『最新 世界情勢講義50』
[著]パスカル・ボニファス
[翻訳]佐藤絵里
[発行]ディスカヴァー・トゥエンティワン
39 民主主義平和論は机上の空論である
【よくある思い込み】
民主主義体制では、国民に決定権がある。国民は紛争の影響を真っ先に被るため、戦争をしたがらない。逆に独裁者は、発言権がない国民をいとも簡単に戦争に引きずり込み、戦争の最たる被害者にする。
ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト帝国が瓦解したあとの1990年代初頭、民主主義平和論が新たに脚光を浴びつつあった。冷戦期の西側の人々の意識には、ソビエトの脅威と、共産圏を潜在的侵略者とみなす考え方が刷り込まれていた。その結果、東側社会の非民主的性格と好戦性が強く結びつけられ、西側は逆に市民の自由が保証された平和な世界とされて、それが民主主義平和論の論拠となったのだ。
しかし、西ヨーロッパの国々は数世紀間にわたる果てしない対立の末に2度の世界大戦を引き起こし、ようやく(植民地以外の本国では)平和の時代に入ったのは1945年以降である。平和がより確実になったのが、民主国家のみに対して開かれた組織であるEC、欧州共同体(のちのヨーロッパ連合)の設立(1957年のローマ条約調印による)だ。昨日まで敵同士だったにもかかわらず、EC加盟国間では戦争は考えられなくなった。これにより、民主主義体制を世界に広めるのが戦争の危機をなくす最善の解決策だとされるようにもなった。
とりわけ、アメリカのビル・クリントン大統領(在任1993―2001年)は、民主主義による平和を外交政策の柱の1つに据えようとした。民主主義の推進は国益にかなうと考えたのだ。アメリカ的なリベラルな価値観を尊重する平和な世界であったほうが、アメリカにとっては有利だからである。ところが、その論理はのちに打ち砕かれることになる。
そもそも、国民にとって民主主義体制が望ましいのは明らかだが、民主主義が必ず平和を伴うとは限らないし、独裁体制が必ず戦争を伴うとも限らない(チリの独裁者ピノチェト将軍は1度も戦争をしなかった)。きわめて民主的な大国であるアメリカは、自らの価値観や国益を守るために無謀な軍事行動を度々起こしてきたし、中近東で唯一の民主国家を標榜するイスラエルは、何度となく地域紛争の火付け役となり、2006年には民主国家レバノンに侵攻している。また、1971年にパキスタンを攻撃したのは、民主国家インドだった。
また近年も、人権保護の名目で躊躇なく戦争を始める民主国家は後を絶たず、大規模な戦争となることさえある。たとえば、1999年にはNATO諸国(すべて民主制の国)がコソボの住民を守るためにセルビアを攻撃したが(選挙によりセルビア大統領からユーゴスラビア連邦共和国大統領となったミロシェヴィッチは、確かに圧政を敷いていた)、国連による委任もなければ、正当防衛となる状況でもなかった。
アメリカは正当防衛を口実に、アフガニスタン(タリバン政権がウサマ・ビン・ラディンをかくまい、アメリカ本土への9・11テロ攻撃を計画したアルカイダに訓練拠点を提供していた)を攻撃できた。ただし、2003年に独裁者サダム・フセインが率いるイラクに仕掛けた戦争を、同じ口実で(あるいは国連のお墨付きを得たとして)正当化するのは、無理があったと言える。
リビア内戦(訳注:2011年)では、国連安保理決議第1973号により国民を「保護する責任」を履行するために軍事介入が承認されたものの、ミッション遂行中にフランスとイギリスが、目的をリビアの政権交代に変えた。この場合も、独裁体制に対して戦争を仕掛けたのは民主主義の国々であったことを、忘れてはならない。
40 民主主義体制を外部から押しつけることはできない
【よくある思い込み】
独裁体制の下では国民は困窮し、自力で民主主義体制を打ち立てられない。したがって、独裁体制を倒して圧政を終わらせるのを助け、市民の自由を回復するために、外国の介入が必要な場合がある。
アメリカの新保守主義者は、冒頭に挙げたような論法をどこまでも押し通し、イラク戦争を正当化して、イラクに民主主義を確立させるためにも不可欠だったと強弁する。