『齋藤孝のガツンと一発文庫 第1巻 勉強なんてカンタンだ! これで受験も大丈夫』
[著]齋藤孝
[発行]PHP研究所
1 勉強ラクラク大作戦!
「勉強」っていう字は大キライ!
みんな、そこにお座り。
これから、勉強に関するおもしろいお話をします。
この話を聞けば、
「なあんだ、勉強って、そういうことだったのかぁ」
「なんのために勉強をするのか、やっとわかったぞ」
「テストのときは、こうやればよかったんだね」
「コツがわかっちゃえば、なんだ、それでいいの? って感じだよね」
と思えること、まちがいなしだ。
この本に出合ったキミは、それだけで、勉強がラクになる。学校の授業もラクショウ!
そんなお話を出血大サービスしちゃう。おトクでしょ? だから、ぼくの話を聞きたまえ。
勉強って、そもそもなんだっけ?
勉強というのは、いま思い出してみると、ぼくはすごくキライだったんだよね。
ぼくは、東京大学という大学に行きました。いわゆる「東大」です。
「東大に行ったくせに、勉強がキライだなんて言うんじゃないよ」
というふうに思うかもしれないけれども、ほんとうにキライだった。
なぜキライだったかというと、「勉強をしろ」と言われるのがイヤだったんだ。
それともうひとつ、ただイメージだけなのだけれど、「勉強」ということばそのものがキライだった。だって、字が悪いでしょう。
まず「勉」の字。勉めるというのが、なにか厳しい感じがする。
そして「強」という漢字からは、強引にやれ! という感じを受ける。
でもね、この字を見るとイヤなんだけれど、勉強の内容をひとつひとつバラバラにして考えてみると、そんなにイヤなものでもなかったんだ。
実際に、ほんとうに勉強がキライだったかと思い返してみると、じつは、国語の授業は好きだったし、中学に入ったときには英語の授業も好きだった。じゃあ、算数はキライだったかというと、そんなこともない。
つまりパート1で言いたいのは、こういうことだ。
「“勉強”をぜんぶまとめて好きだ、キライだ、と言うのをやめて、ひとつひとつをバラバラにして考えてみよう!
そうすれば、じつのところ、ひとつひとつはそんなにイヤなものじゃないぞ!」
っていうことなんだ。
勉強はアタマのスポーツだ!
まずはじめに、みんなに大事なことを話しておこう。
それは、「勉強はアタマのスポーツ」だということ。
これだっ!
つまり、こう考えてほしい。
スポーツと同じで、練習して、うまくなれば、楽しくなる。試合をやって、勝てばうれしい。負ければ悔しいけどね。そうやって、それまで知らなかった世界がドンドン自分のものになっていく。ますます夢中になれる。それが勉強だ、と。
みんなのなかに、自分で自分のことを「アタマがいい」「アタマが悪い」って決めてしまっている人、いない?
もしいたら、それはやめてください。
勉強のコツは練習のコツ。そして試合のコツ。アタマのいい、悪いよりも大事なことがあるからだ。
ぼくは、勉強は卓球に似ていると思っている。
どういうことかというと、卓球というのは、運動神経がよくてあまりまじめに練習しない人よりも、特別に運動神経がいいわけじゃなくても、パンパン、パンパン打って、まじめに練習している人のほうが、まずまちがいなくうまくなる。
逆に百メートル競走は、いい素質をもっている人、運動神経がいい人が勝つことが多いんだ。瞬発力がモノをいうからね。
けれども、卓球は違う。
もちろん足の速さ、運動神経のよさも大事。けれど、それよりも、球が飛んでくるタイミングのつかみ方、ラケットの振り方、球の打ち方で決まるものだ。この三つは、練習すればうまくなるよね。
ここが、勉強と似ている。ぼくがこれまでやってみた限りでは、勉強は、もともとのアタマのよさよりも、やり方の工夫によって「できる」「できない」が決まってくる。ぼくはそう思っているんだ。
勉強には「やり方の工夫」がある。
それこそが、試合に勝つための「作戦」なんだ。
得意な作戦を見つけてしまおう!
ぼくが行った東大というのは、勉強のすごくできる人が集まるところだ。そこの人たちを見ていると、アタマがいいというよりは、みんな自分に合った「得意なやり方」をもっているんだな。
たとえば、ノートをめちゃくちゃ上手にとれるヤツがいる。
うらやましかったね。ぼくは、どうしてもノートを上手にとることができなかったからね。
おまけに、授業を長い時間、だまって聞いているのも苦手だった。聞いているうちに、自分のアタマのなかにいろいろな考えが浮かんできて、グルグルうずまいちゃうんだ。だから、長く聞いていられなかった。
でもぼくには、別の得意なことがあったんだ。それは、
「ここが大事だ!」
というところをみつけて、そこに線を引っ張ること。だから、ノートをきちんととるという、自分にとって苦手なことはさっさとあきらめて、本に線を引っ張りながら覚えていくという、得意な作戦を使っていた。それをとことん使ったから、東大に入れたのだと思う。
ぼくがキミたちに言いたいことは、自分はアタマがいいか、悪いかなんていう、つまらないことを考えるのはやめよう、ということ。
そして、自分に合った得意な作戦をみつけてね、ということ。
それさえみつけられれば、勉強なんてむずかしくないし、楽しくもなるんだ。
そしてこのパート1の役目は、みんなが自分に合った得意な作戦をみつけられるように、“基本作戦”を教えること。
さあ、「勉強なんてカンタンだ!」と言えるように、一気に読んでしまおう!
2 “勉友”をつくろう!
ふたりでやれば、覚えられる
勉強は、覚えることが多い。
ということは、覚えるときのコツをつかめば、勉強の大部分を制覇したことになる。カンタンなことだ。
そして、覚えるときのコツというのは、なんと、ほかの人に教えてみるということなんだ。
ほかの人に教えられるようになったら、もう一人前。そのためには、とにかく“人に話す”ことが大事だ。人に話すと覚えられる。これが勉強の鉄則なんだ。
だからぼくは、じつは勉強をひとりでやってきたことはほとんどなくて、友だちとふたりでやってきたんだ。コンビプレーですべて切り抜けてきた。
では、どういうふうにやるか。
ふたりが集まる。集まって、ひとりがもうひとりに、覚えたことを説明する。上手に説明ができたら、カンペキに覚えているということだろう。
説明を聞く人は、教科書やノートで答えを見ながらその話を聞いて、合っているかどうかチェックしてあげるんだ。相手の説明が正しいか、まちがっているか。×だったら、印をつけてあげる。
問題を出す人と答える人にわかれて、片方が質問して、片方が答えるってこともやったほうがいい。クイズを出すような感じで。順番に、代わりばんこに同じ問題をやるといい。
わからなかったことを知って、知ったらすぐにそれを人に教えてあげる。
じつはこれが、勉強ができるようになるヒケツなんだ。それをはじめから勉強法に取り入れちゃえばいいんだ。
ふたりでやれば、つかれない
ふたりでやることのよさは、ほかにもある。それは、気力が続くこと。
たとえば、
「この時間までにやっちゃおう」
というふうに時間を区切って、ふたりでダアッとやる。そうすると、ひとりでやっているときよりも、つかれない。
理由は、気持ちに“張り”があるから。いい意味での緊張感といってもいい。ひとりでやっていると気が散ることが多いけれども、友だちがとなりで集中していると思うと、自分も集中できる。自分が集中していれば、となりの友だちだって、もっとがんばれるだろう。
こうやって、お互いにドンドン、ドンドン「がんばろう」という気持ちが強くなるし、知らないうちに集中力だって高まるんだ。
だから、勉強をいっしょにやる友だちをみつけちゃうというのが、勉強ができるようになるための一番いいやり方。
これをぼくは“勉強の友”=“ベントモ”方式と呼んでいる。これが、つかれないやり方。
一万円札の福沢諭吉の大ショーック!
じつはこの作戦、慶應義塾大学という有名な大学をつくった人で、一万円札に印刷されている、あの福沢諭吉先生も若いころにやっていたんだ。
『福翁自伝』という本を読むと、福沢先生の勉強のようすが詳しく書かれている。福沢先生は、大阪にあった「適塾」というところで、オランダ語を死ぬ思いで勉強していた。
すごいですよ。なにしろ、勉強のしかたがハンパじゃないから。夜中じゅう勉強して、トントントンって、朝ご飯を作る包丁の音がしたら寝る。「朝ご飯できたわよ」って言われたら起きる。