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(2021/11/26 追記)

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サムライ・マインド
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生き方・教養
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「士太夫(したいふ)」のエートス ―― 宋の繁栄を支えたもの

『サムライ・マインド』
[著]森本哲郎 [発行]PHP研究所


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   「礼儀」の喪失


 倫理とか、道徳といった言葉は、いまでもよく使われる。たとえば、政治倫理、あるいは生命倫理というふうに、である。しかし、この言葉の内容は、日に日に風化しつつあるのではなかろうか。その遠因は敗戦にあると私は思う。

 敗戦と同時に、アメリカの占領軍が日本を統治し、日本改造に乗り出した。いわゆる戦後の“民主主義革命”である。その過程のなかでアメリカの司令部は多くの問題と取り組んだが、学校教育の変革も重要事項のひとつだった。なぜなら、日本を軍国主義へ駆り立てたのは、なにより教育にあった、と考えたからである。そして、教育のなかでも、とりわけ「修身教育」がその元凶とみなされた。

 たしかに、アメリカ人にとって、学校で教師が修身=道徳を教えるというのは、不遜このうえない所業としか思えなかったにちがいない。なぜなら、欧米人にとって道徳とは、神の前に立つ人間の良心にかかわる問題であり、したがって、そのようなモラルを扱うのは教会の役割とされているからである。つまり、道徳的な考えとは神父や牧師が受け持つ仕事なのだ。

 ところが、日本ではそのような神聖な教育を、一般の市民と少しもかわらぬ教師が“説教”している! それは神を恐れぬ行為ではないか。そこで、アメリカの総司令部は学校から「修身教育」を追放したのだった。

 ここから戦後の日本人の道徳アレルギーが始まった。「修身」の否定とともに、人間が本来、行動の規範とすべき道徳までもが好ましからざるもののように思われ、あたかも、民主主義と日本人の伝統的な道徳観念とは相反するもののようにさえみなされたのである。そして、そのような「道徳」などを振り回すのは軍国主義者であり、自由の敵のごとく扱われる始末となった。

 なぜ、このようなことが起こったのか。それは日本人の道徳意識が、きわめて漠然としているせいであろう。どうして、漠然としているのか。端的にいうなら、日本人に「神」の明確な観念が欠けているためである。

 どんな民族にあっても、モラルは神の定めた(おきて)として受け取られている。そのような神の観念が明確でないなら、道徳意識は曖昧(あいまい)にならざるをえない。そのあげく、日本人は「道徳」のなかに、さまざまな「掟」を持ち込むことになった。それらの「掟」のなかには、たんなる規則(ルール)にすぎないものまでもが取り込まれ、こうして、日本人はいよいよ道徳観念をぼやけたものにしていったのである。

 そこで、戦後、アメリカの占領当局によって学校から「修身教育」が追放されると、日本人は道徳と一緒にルール教育まで放棄してしまった。
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