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サムライ・マインド
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生き方・教養
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微味幽玄(びみゆうげん) ―― 大原幽学の漂泊、そして悟り

『サムライ・マインド』
[著]森本哲郎 [発行]PHP研究所


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   「サムライ」とは何か

「あいつはサムライだ」といった会話は、現代でもよく聞かれる。こうした会話に登場する「サムライ」とは、はたして、どのような概念で使われているのだろうか。

 古くさい、封建的だ、権威主義的だ、時代錯誤だ、というようなマイナスのイメージではないことだけは確かであろう。むしろ、確固たる信念の持ち主、責任感の強い正義派、義理がたい人物、決断力ある勇猛果敢な性格、といったプラスの面からの評価である。

 ということは、現代の日本人の心のなかにもサムライ精神に対する伝統が、かすかながら残っていることを語っていないであろうか。

 にもかかわらず、サムライ精神とは何なのか、その内容は必ずしも明らかではない。たしかに、これまで多くの人物が「武士道」について記し、その古典とされているものも少なくない。しかし、その論はそれぞれに異なっており、日本の伝統的価値体系としてまとまっているものではない。ただ、日本人の心のどこかに、ある種の理想として生き続けているイメージというほかない。

 それだけに、私はサムライ精神の自由な解釈こそ、日本のアイデンティティー確立に不可欠な価値観と考える。そして、この精神が日本の歴史をどのように(いろど)り、日本の文化形式にどんな影響を与えてきたのか、あらためて検証する必要があると思うのである。

 サムライ精神とは、むろん、多くの武士たちの生き方によって例証されてきた。彼らの生き方がさまざまであったように、その精神もまた、けっして教条的に固定したものではなかった。むしろ、多彩な広がりを見せたといっていいだろう。私がここに取り上げるひとりの人物の場合も、その一例である。


   農民の救世主


 安政五年(一八五八)三月八日の未明、六十二歳になるひとりの浪人が、黒絹の着物に白い帯、小倉の袴をつけて、下総(しもうさ)長部(ながべ)村(現在の千葉県香取郡干潟(ひかた)町大字長部)の松林に囲まれた丘へのぼっていった。新暦に直すと四月二十一日の朝まだきのころになる。おそらく、あたりは松籟(しようらい)に包まれていたことであろう。その松の根元で彼はゆっくりと短刀の(さや)を払い、左手で右の脇腹を押さえ、大きく息を吸って止め、割腹のあと、その九寸五分で咽喉(のど)を突き、刃を三方(さんぼう)に置いて従容(しようよう)として死についたのであった。これほど立派な最期を遂げたのを見たことがない、と検死の役人が感嘆したほどだったという。

 このサムライこそ、二宮尊徳と時を同じくし、また奇しくも関東という地域を同じくして農民の教化に半生をかけた江戸末期の経世家、大原幽学(おおはらゆうがく)であった。

 彼をこのような自刃へと至らしめたものは何だったのだろうか。房総地方の農村の改革に力を尽くしたあげく、その活動が幕府、勘定奉行の疑惑を呼び、江戸へ呼び出されて吟味を受けたことにあった。幽学が南総、北総各地の農村をまわって「聖学=性学」を説き、寺子屋ともいうべき教導所を設けて農民を集め、教育に力を注いでいた天保期は、折りも折り、「天保大飢饉」で、農民一揆が頻発し、日本全国が騒然たる有様だった。
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