読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-2
kiji
0
0
1276345
0
世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」
2
0
0
0
0
0
0
旅行
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第六章 旧ユーゴスラビア ―― コソボの「ワールドカップ」

『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』
[著]早坂隆 [発行]PHP研究所


読了目安時間:17分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

東日本大震災で多額の義援金を送ってくれた国


 やや意外な話から書き始めたい。


 二〇一一年三月に起きた東日本大震災の際、ヨーロッパ諸国の中で最も素早く日本への支援を開始したのがセルビア共和国だった。震災直後から義援金を送る動きが急速に広まり、わずか一カ月後には二億円を超える多額の浄財が集まった。決して経済的な強国とは言いがたい状況であるにもかかわらず、それから数カ月にわたってヨーロッパで最大級の寄付を展開してくれたのがセルビアだった。


 セルビアで謳われたスローガンは「ユーゴ紛争時の日本による支援への恩返し」であった。日本は確かにユーゴ紛争に際して医療支援、水道整備、教育施設の補修など、セルビアに対して様々な形で復興支援や人道支援を行なった過去を持つ。今もベオグラード市内には、日本からの一般無償資金協力によって供与された一〇〇台近くのバスが走っている。バスにはセルビアと日本両国の国旗が描かれており、市民からは「日本人」という愛称で親しまれている。


 二〇一四年五月、集中豪雨によりセルビアが大洪水に見舞われた折には、日本から多くの支援金が寄せられた。日本とセルビアの間には、意外とも言える親密な繫がりがある。


 私が初めてセルビアを訪れたのは、二〇〇一年の秋であった。コソボ自治州の帰属問題を契機として、アメリカ主導のNATO軍がこの地を空爆してから二年後のことであった。当時、セルビアは「ユーゴスラビア」の一部だった。


 ユーゴスラビアという国家は、第一次世界大戦後に生まれた。ユーゴスラビアとは「南スラブ人の国」という意味である。「ユーゴスラビアには六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家がある」と学校の授業で習った経験のある世代の方も多いであろう。


 首都のベオグラードには、バロック風の瀟洒な建築物と、社会主義時代に建てられた無機質なアパート群が混在するが、私の訪問時、その景観は無惨に傷付いていた。国会議事堂から南西に伸びるクネズ・ミロシェ通りは政府系の建物が立ち並ぶ大通りだが、その(かい)(わい)には壁が黒く炭化して窓ガラスが割れたままの建造物が少なくなかった。とある雑貨屋の主人が自虐的に笑う。

「ここは空爆通りさ」


 破壊された建物の窓枠で、平和の象徴である鳩の群れが羽根を休めていた。




 そんな街並だが、歩いているとソニーやパナソニックといった日本企業の看板が目に付く。富士フイルムやヤマハの店舗もある。走っている車もトヨタや日産、三菱といった日本車が少なくない。ホンダのCB1000が車の間をすり抜ける。いいバイクだ。


 ビルの壁面のあちこちに、空手や合気道の張り紙が貼られている。中には「忍術」と書かれた張り紙もあった。どんな講師がいるのか、気になるところである。


「居酒春」と「Ninja sword」


 旧ユーゴの国々を歩いている際に心地が良いのは「人々の無反応」である。私が住んでいたルーマニアでは、一日に何度も、

「キネーズ(中国人)!」


 と声をかけられた。当のルーマニア人にはほとんど悪気はなく、あまりの物珍しさに思わずそうしてしまっているだけなのだが、こちらとしてはその「パンダ扱い」の蓄積にほとほと疲弊した。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:7069文字/本文:8403文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次