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世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」
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旅行
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第七章 トルコ・シリア ―― 時を越えた恩返しとトウモロコシ

『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』
[著]早坂隆 [発行]PHP研究所


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エルトゥールル号事件が生んだ「正の連鎖」

「中東」と聞くと、最近では「イスラム国」(IS)をはじめ、過激なテロの連鎖や激しい内戦を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、本来のイスラム諸国とは、穏やかな雰囲気の漂う長閑な国々である。そして、親日的な人が多い。

「中東の親日国」と聞いて最初に連想されるのはトルコであろう。中でも「エルトゥールル号事件」は近年、日本でも少しずつ知られるようになってきた。


 一八九〇年、オスマン帝国から総勢六五〇名にも及ぶ使節団が、木造のフリゲート艦・エルトゥールル号に乗って日本を訪れた。その三年前に()(まつの)(みや)(あき)(ひと)(しん)(のう)がイスタンブールを訪問したことへの答礼と、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねての訪日であった。


 だが、その帰途の九月十六日夜半、同使節団は大型の台風に遭遇。和歌山県串本町沖の海洋でエルトゥールル号は沈没してしまう。結果、五八七名もの乗組員が犠牲になるという大惨事であった。


 しかし、付近の住民たちによる献身的な救助活動により、六九名の乗組員が命を救われた。その後、日本海軍の軍艦「金剛」と「比叡」により、生存者たちはトルコへと帰国した。




 これが「エルトゥールル号事件」の概要であるが、この話はトルコ国民の間では広く知られた事柄となっている。学校の授業で教えられることも多いという。


 実際、トルコを旅していると、トルコ人たちからこの「エルトゥールル号事件」の話題を振られることがある。以前は、ほとんどの日本人がこの史実を知らず、そのことにトルコ人たちは驚いていたが、最近ではそのようなアンバランスな状況は徐々に改善されつつある。


 現在、遭難の地となった串本町には「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」と「トルコ記念館」が建立されている。

「エルトゥールル号事件」から十四年後の一九〇四年、日露戦争が勃発。日本はロシアを打ち破ったが、この結果はトルコの人々に大変な衝撃と歓喜をもたらした。トルコ史とは、クリミア戦争や露土戦争など、ロシアからの圧力に苦しめられ続けた歴史である。日本とトルコは「ロシアの南下政策」という共通の課題を抱えた国同士であった。


 よって、トルコ人たちは「大国ロシアを下した日本の快挙」に熱狂した。とりわけ、バルチック艦隊を日本海海戦で一方的に破った連合艦隊司令長官・東郷平八郎の名前は、トルコ国内で一挙に有名となった。東郷は尊崇の対象として人気を集め、「トーゴー」という名を子供に付ける親が続出したという。


 第一次世界大戦の際にはトルコは同盟国側となり、連合国側に立った日本とは対峙する関係となったが、大戦後の一九二四年に国交を回復。敗戦で傷付いたトルコが国家再建のための教科書としたのが日本の明治維新であった。トルコは明治維新を手本として、国家の抜本的な近代化政策に取り組み、大きな成果を上げた。

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