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京女の嘘
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人文・科学
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あとがき

『京女の嘘』
[著]井上章一 [発行]PHP研究所


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 (げい)()やホステスは、男に()びることをなりわいにしていると思われやすい。男が社会を牛耳る男社会だからこそ、ああいう仕事はなりたっている。そう考える人も、少なくないだろう。いわゆるフェミニズムの公式的な見解に、今のべた説明はなっていると思う。


 だが、十八世紀なかばまで、江戸前半期の花街に、女の芸妓は存在しなかった。男たちの宴席で接待役をつとめていたのは、もっぱら男である。今で言う太鼓持ちにあたる人材が、宴の男たちをもてなした。


 そのころだと、芸者という言葉は、男の座持ち係をさしている。芸が達者な男というぐらいの意味合いで、彼らを芸者とよんでいた。武芸の達人を武芸者というように。


 江戸前半期のマッチョな男社会は、宴席が女色でけがされることを、いやがった。男が男どうしでたのしむ、純度の高い男権社会を構築していたのである。


 だが、十八世紀の中葉に、町方から事態はかわりだす。町人たちは、女の芸妓にもてなされる宴席を、よろこぶようになる。そして、その風俗は武家社会にも(でん)()していった。ハードなマッチョイムズがゆらいでいく。そのすきまに、女の芸妓は浮上していったのである。


 京都では、十八世紀に出現した新しい女の芸妓を、芸子とよびだした。男のつとめである芸者とはちがう、女が従事する芸子だ、と。


 京都で芸者と言えば、それは今なお、もうすっかりすたれた男の芸者をさすことになる。


 江戸では、新しい女の芸妓を、女芸者と呼称した。古くから宴席をにぎわせていた男たちのことは、男芸者と名づけている。


 そして、時代が下るにしたがい、女芸者は男芸者を圧倒した。のちには、そんな女たちの総称が、ただの芸者になる。おとろえきった男芸者とは、もう区別する必要がなくなったせいである。


 東京で芸者とよばれる女たちのことを、どうして京都では芸子と言うのか。「京女」を語る本なので、いちおうその理由も解説しておいた。


 しかし、そんな語彙の歴史より、私にはのべておきたいことがある。芸妓やホステスを、男社会だから浮かんだ職種だと、単純にとらえるべきではない。男社会が解体されだしたからこそ出現したという面も、彼女たちにはある。女権の伸張過程という文脈のなかでも、彼女らのことはえがけるのだ、と。


 ざんねんながら、そういう女性史を展開した読みものは、まだない。私がいどまねばならないなと、今は思っている。


 京都の宮廷は、とりわけ院政期以後、女たちを大きくうけいれるようになる。女ともたわむれあう宴を、しばしばひらいてきた。()(だい)()天皇にいたっては、女の肌が見えるシースルーパーティさえ、もよおしている。まあ、『太平記』を信じればの話だが。


 そして、十七世紀には、男を芸者とする宴席の時代が、やってくる。こういうことを、われわれはどううけとめればいいのか。いずれは、そういう歴史にもいどみたい。


 この本でのべたいくつかの短文は、そこへととびだす跳躍台にもなっている。そのつもりで書いた文章もあることを、一言ことわっておくことにしよう。

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