『「遊んでいる」のになぜか結果の出る人 「頑張っている」のになぜか結果の出ない人』
[著]川北義則
[発行]PHP研究所
人は目標を持っていないと、知らず知らずに適当な生き方をするようになる。これは人間の本性だから仕方のないことでもある。だが、よりよく生きるには、やはり目標が必要なのである。
しかし、この目標というものも厄介だ。例えば、懸命になって努力している人を見て、「よくがんばっているな」と思う経験が誰にでもあるはずだ。「そんなつらいこと自分にはとてもできない」──と。また、だからといって考えもなく目標を決めてしまうと、すぐ「やめた」になってしまう。
では、目標をきちんと持つためにはどうすればいいのか。
このことはいささか意外ではあるが、きちんと「遊ぶ」ことで見えてくることがあるのだ。例えば、次のように考えてみればいい。
子供というのは遊びたがる。することがないと、なんとか遊ぼうといろいろな工夫をする。何もすることが見つからないと退屈で退屈で仕方がない。私の子供時代はそうだった。
だが、いまはどうかというと、遊びを見つけなくても、向こうからやってくる。テレビを見たり、ゲームをしたり、その他いろいろ。自分で見つけなくても、時間潰しという点では、いくらでも遊びがある。
だが、こうした与えられた遊びでは、本当の充実感がない。自分から「こうしたい」という気持ちがあってすることでないと、なかなか満足は得られない。
大人になっても同じである。生活のために働くが、それだけではいくら収入があっても、決して満足できない。充実感がほしいのである。
大人になると多くの人が忘れてしまうようだが、本来人間というのは、「何かおもしろいことないかな」「何して遊ぼうか」と生涯考え続けているものなのだ。
つまり、「遊び心」を忘れなければ自分の目標は自ずと見つかり、充実した人生を送れるはずである。
過去にどれだけ無駄な時間を持ったか。
過去にどれだけ無駄金を使ったか。
過去にどれだけ無駄なつきあいをしたか。
機械には遊びがないと、摩擦が起きすぎて長持ちしない。人間も同じで、遊び心がないと誤った努力に陥り、結果が出ない。真面目人間にうつ病が多いのは、そのことをよく物語っている。遊びと仕事に関しては、こんな言葉もある。
「遊ぶべきに遊ぶは、なお勤むべきに勤むるが如し」(三宅雪嶺)
遊んでいる人は、目標をしっかり持っているから結果が出る。真面目でも、場当たり的に生きている人間は結果が出ない。
仕事や生活には一見役に立ちそうにもない遊びを、自分でもっと認めるべきである。身を滅ぼすような行きすぎはダメだが、人間は、遊びから生きるうえで大切な嗅覚や交際術、観察眼などを学ぶ。遊びは人間を太く大きくするのだ。
川北義則