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わらべ歌に隠された古代史の闇
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歴史
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第1章 神事に通じる子どもの「あそび」

『わらべ歌に隠された古代史の闇』
[著]関裕二 [発行]PHP研究所


読了目安時間:32分
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「カゴメ」は「籠目」ではなく「かがめ?」


 カゴメ歌が謎めいて聞こえるひとつの理由に、カゴメ紋に感じる本能的な畏敬の念があるのではないか。


 本来、人は円や正方形、正三角形というもっとも基本的な図形を神聖視してきたが、カゴメ紋はまさに、この神聖な図形を二つ組み合わせた神秘の造形をなしているといえよう。


 新興宗教では、カゴメ紋を利用する例が多く、また、カゴメ歌を引き合いに出す例がまま見られるのも、理由のないことではあるまい。カゴメ紋はカゴ(籠)を編めば、自然に浮かび上がる図形であるが、何本もの竹を六十度に交差させただけで、どこまでも広がる平面、永続性が生まれる。このため、実際に、古代人にとって「カゴ」は、神から授かった神聖な利器でもあった。


 そのためか、カゴメ紋は、古来各地で魔除けの護符としても使用されてきたのである。


 ところが、民俗学者はカゴメ歌のカゴに関して、きわめて無頓着で、冷淡な見方をしている。


 たとえば、日本民俗学の祖・柳田国男は、『こども風土記』(筑摩書房)のなかで、「カゴメ」は「籠目」ではなく、「かがめ」がなまったものとする。


 カゴメ歌は、数人が手をつなぎ輪を作り、中央にしゃがみ込んだ鬼のまわりをぐるぐる回り、歌い終わったところで、鬼が背後に回り込んだ者の名を当てるゲーム(当てものゲーム)でもある。この、しゃがんだ(かがんだ)鬼の状態こそ、「カゴメ=かがめ」の原義だったとするのである。



 誰が改作したか、それ(かがめ……筆者注)を鳥の鷗のやうに解して籠の中の鳥といひ、籠だからいつ出るかと問ひの形をとり、夜明けの晩などゝいふあり得べからざるはぐらかしの語を使つて、一ぺんに坐つてしまふのである。



 つまり、柳田国男によれば、はじめ「かがめ・かがめ」とはやしていた遊びが、子どもたちの自由な発想によって、現在の形に変化したのだろう、というのである。


 この柳田国男の指摘は、民俗学上の通説、定説となった。


 たとえば、浅野建二氏は、『新講 わらべ唄風土記』(柳原書店)のなかで、


「かアごめ」は、もと身を(かが)めよ、即ちしゃがめという意味であったが、誰が改作したか、それを鳥の「(かもめ)」のように解して、「籠の中の鳥は」といい、籠だからいつ出るかと問いの形をとり、「夜明けの晩」などというあいまいな語を使って、しまいに「つる〳〵つッペヱつた」から「鶴と鶴と(或ハ「鶴と亀と」)すウベった」に(てん)()してしまったのである。



 としている。


 ほとんど柳田国男の説を踏襲しているのは(文章もそっくり)、柳田国男が民俗学の権威、大御所だからで、「カゴメ」が「かがめ」であったとのっけから断言しているのは、柳田国男がそう「定めた」からにほかならない。


 もちろん、柳田国男には「カゴメ」を「かがめ」とする根拠はあったのだが(このことは再度触れるとして)、それにしても、ほぼ日本全国の子どもたちが、「カゴメ歌」を遊びながら、「かがめ」という「古態」を伝えた「カゴメ歌」をひとつも残さなかったのはなぜだろう。誰も疑問を唱えないのは、かえって不審ですらある。


 少なくとも、柳田国男以降、民俗学がカゴメ歌の「カゴメ」に無関心で無頓着であったことは、たしかなことなのである。

竹で編んだカゴは神聖な器だった


 ここで注目すべきは、「竹で編んだカゴ(籠)」そのものが、「神」「祭り」に直結する、神聖な器だったということである。神聖な器であると共に、神に仕える人びとが造る利器でもあった。そうであるからこそ、「カゴメ」の一言が、すでに大きな暗示なのである。


 このことがわからないと、カゴメ歌の謎解きに入ることはできないのである。


 たとえば、籠の材料となる竹(竹取に従事する人も含まれる)は、ときに神聖視されたものであった。理由は、おそらく成長の驚異的な早さから、生命力みなぎる植物とみなされたからであろう。沖浦和光氏は『竹の民俗誌』(岩波書店)の中で、竹や竹製品について、



 どこにでも生えている〈(ぼん)(そう)(しゆう)(ぼく)〉とは違って、《竹》には超自然的な働きをする(れい)(りよく)があると信じられていたのである。それゆえに、(じゆ)(じゆつ)の用具として(ちつ)()が用いられたのだ。



 としている。すなわち、籠は単なる生活の道具ではありえない。


 たとえば、能楽のシテが笹を持って登場する場合、笹=竹は霊性が認められていたから、この行為は、持ち主の神聖さを表していたとさえいわれている。つまり、笹を持つことで、シテが神であることを表しているのである。


 また、籠の中でも(ひげ)()と呼ばれる、編み残しが鬚のように出たものがあって、平安時代頃から贈答の容れ物として用いられるようになったが、それ以前、この籠は神への()(もつ)()れであった。


 つまり、籠は神聖な供物の容器にもなったわけだが、さらにそれ以前に遡ると、籠が想像以上に重要で神聖な意味を持っていたことがわかる。(おり)(くち)(しの)()によれば、それは神の在処であり、また太陽神を表したものであろう、とするのである。


 折口は、「鬚籠の話」(『折口信夫全集』中央公論社)の中で、鬚籠について、おおよそ次のような指摘をしている。


 古くから続く祭りの中で、だんじり、だいがく、ほこなど()()(みこしではなく)は、たいがいの場合、(しめ)(やま)の風習を伝えたものとされている。この標山とは、(だい)(じよう)(さい)のとき、()()()()二つの国の国司の列立する場所に、しるしとして祀られた木が原形で、山の形に作り、日や月、(さかき)などの飾り物をしつらえるものであった。そして、大嘗祭の標山をさらに遡ると、どうも鬚籠に行き着くらしいのである。


 だんじり、だいがく、だし、ほこの上には、柱や旗竿が天高くそびえ、その先端には、三日月、槍、(なぎ)(なた)神楽(かぐら)(すず)などが飾ってある。

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