『プーチン幻想 「ロシアの正体」と日本の危機』
[著]グレンコ・アンドリー
[発行]PHP研究所
■有権者の七七%はソ連存続を支持
ベルリンの壁が崩壊して東欧諸国が解放され、ソ連軍が撤退した後も、ゴルバチョフはソ連を存続させることに必死であった。従来型ソ連の存続が不可能なことは明らかだったので、ゴルバチョフは完全な自治権や諸共和国の主権、自由民主主義や人権を保障するような「緩やかな連邦」を提案した。一九九一年三月十七日にソ連の存続を問う国民投票がソ連(一五共和国のうち、九共和国で実施)で行われ、八〇%の投票率で有権者の七七%はソ連存続を支持した。この結果は、ゴルバチョフを勇気付けた。彼らの目算では「ソビエト社会主義共和国連邦」の代わりとなる新連邦の設立準備を加速させる新連邦条約によって、国名が変更され「主権国家連邦」となる予定であった。
一九九一年四月から八月にかけて、新連邦条約への準備が行われた。中央や諸共和国の政治家や法律家などがモスクワ郊外に集まり、条約の具体的な条文を巡る議論を行なっていた。その時点で新連邦に参加する予定だったのは九共和国である。バルト三国や、ジョージア(旧名:グルジア)、アルメニア、モルドバは新連邦への参加を拒否し、独立への準備を表明した。新条約において諸共和国の自治拡大は決定事項であったが、どれほどの権力が中央政府に残るのか、どの程度が諸共和国の政府に移譲されるのかは交渉の対象となった。
一九九一年春の時点で、新連邦条約の締結とソ連の代わりとなる「主権国家連邦」の成立はまだ可能であるように見えた。しかし、二つの出来事がこの流れを変えたのだ。
一つ目は、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国における動きである。
二つ目は、同年八月のクーデター未遂事件である。
まずは、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国における動きについて。