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世界を変えた暦の歴史
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歴史
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第IV章 中国では暦が服従のバロメーターだった

『世界を変えた暦の歴史』
[著]谷岡一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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中国では皇帝が代わるたびに新暦が施行された


 古代バビロニアが西方社会における暦学のチャンピオンだとすれば、東のそれはさしずめ(清朝以前の)中国であろう。


 太陰太陽暦を基本として、閏月を挿入する考え方に始まり、最終的に一二進法や六〇を単位とする表示基準の採用にいたるまで、古代バビロニアとよく似たシステムを独自に開発していたらしい。互いに教え合った形跡はないので、論理思考により、同時並行的に同じやり方に到達したと考えるべきである(1)


 宋(南朝)の文帝(在位424~453)にかぎらず、中国では王朝が代わるごとに使用される暦が変化するのが通常だった。唐代などでは、王朝内の皇帝が代わるごとに新暦が施行されたほどである(2)


 これには理由があった。中国の儒教思想では代々、皇帝(王)は「天意を知る者」と同義であり、暦は皇帝が天に代わって人びとに与える新秩序だと考えられたからである。川原秀城氏は次のように述べる。



 儒学の社会制度論によれば、「帝王」とは、天帝の命を受けて天子となり「天」にかわって「人」を統治する者のことである。帝王や王朝の権威は「天」から授与されたものであり、すべての俗権に対して優越している(受命説)

(中略)


 帝王が天道に合致する行為をすれば、天は瑞祥を下して称賛する。あるいは天下は平和になり、天下の和気が瑞兆をいたす。逆に、帝王が天道に反する行為を犯せば、天は災異を下して譴責・威嚇する。あるいは民心は乖離し、天下の乖気が災異をいたす(天人相関論ないし災異説)

(「中国式太陰太陽暦」『暦の大事典』岡田芳朗・神田泰・佐藤次高・高橋正男・古川麒一郎・松井吉昭編、朝倉書店、二〇一四年)



 先に、中国は暦学における東側諸国の雄だと述べたが、西側(バビロニア、インド、ヨーロッパなど)のそれと大きく異なる点が二つある。


 一つめは、西側諸国の天空観察、およびそれに関連する占星術は、黄道付近(獣帯)が中心であったのにくらべ、中国のものは北天域が中心であった。これは北極星を天帝とし、その周辺の星々を「()()(えん)」と呼ぶ、宮中を模す考え方に端を発する(これに関しては、あとでもう一度説明する)


 もう一つの差異は、天文観測を通じて、古代バビロニアや古代ギリシアでは幾何学が発達したのに対し、中国では幾何学はあまり発達しなかった点である。かわりといっては語弊があるが、天空の星々の動きを代数計算(とくに分数)によって示す方法がとられた。


 たとえば、太陽回帰年や、月の朔望日数を表示する場合でも、上のような基本定数が暦のなかで採用されている。




 太陽の回帰率を表す分数の分母と、朔望月の日にちを表す分数の分母を通分すると、二つの異なる次元の融合を図ることが可能となる。二つの動きが一つの式に組み込まれると、一方の値を決めると他方が決まる関係性をもつにいたる。ちょうど物理学において、同次元で表示できない自然の力を統一しようとすると、変数の多い何次元もの式になるようにである。

中国の暦は自然暦と共通暦を内包していた


 なぜ、中国では、代数計算による表示が発達したのに、古代ギリシアなどのように幾何学的思考はあまり発展しなかったのだろうか。もしくは、逆になぜ、ヨーロッパでは代数表示があまり重要視されなかったのだろうか。


 一つの仮説として、ヨーロッパでは砂漠や海上の交易において、自分たちの位置と、進む方向を知るための測量が重要視されたが、中国では天が伝える声──とくに金星、火星、木星など5つの惑星の(よく見える)動き──の解釈が重要視されたからではないかという考え方がある。もっともらしい物言いで、つい納得しがちであるが、本当にそうかといわれるとよくわからない。


 唐の「(りん)(とく)(れき)(3)は唐代随一の善暦とされるが、通分の分母の数値を「1340」に設定した。この数値は第Ⅴ章でも登場するので覚えておいてほしい。


 前出の川原氏は、次のように述べる。



 中国の天文学は古来、独自の伝統を誇る暦法と天文(占変)の2学科からなっていたが、学科の間に顕著な価値の軽重や評価の上下があり、暦法が天文に比してより重んじられていた……。

(前掲書) 



 つまり、暦法は「帝王が天命を知るために不可欠の学術」と位置づけられていたがゆえに、その重要度はこれ以上ないほど高いものであったが、天文については「聖王の政に参するゆえん」ととらえられていたにすぎなかった。


 したがって、暦法(正しい観測による正しい解釈)が主であり、天文(暦法による解釈に注釈を加え、吉兆・凶兆などを示すことで政治に利用する)はあくまで従の立場で、いわばつけ足しのようなものだった。


 同じく、川原氏は次のように述べる。



 天文学は国家の未来を予言する技術として、類まれなる政争の道具、あるいは権力基盤を盤石とする一方で、革命の起爆剤にもなりうる劇薬、無限の破壊力を秘めた諸刃の剣であり、野放しにするにはあまりに危険すぎる技術であったからである。国家による天文学の管理の真の意味は、むしろ、統治者の意向に反する占星術の暴走を防ぐところにあったということができるであろう。

(中略)


 占星術は本質が疑似科学である以上現象の解釈が恣意に流れることは避けられないしたがって権力者がうまく利用すれば政敵を攻撃するのにこれほど便利な道具もない。まして中国の国家占星術の場合は、王朝権力とじかに結びつく御用技術であり、他者の反論を許さぬ独尊かつ無謬の学術である。その性格はいっそう甚だしい。しかし、王朝の管理からひとたび離れると、国家占星術が時の王朝に平然と牙をむくことも、歴史が証明している通りである。

(前掲書、傍点は筆者) 



 暦と社会における大きな二つの流れ(ステージ)については、前章で解説した。すなわち、月や太陽の動きに対応した自然暦が社会を発展させた第一段階と、より正確で大衆にも共有された共通暦が逆に社会を変えていった第二段階の二つである。

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