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わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)
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ルポ・エッセイ
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第一章 その葬儀

『わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)』
[著]竹中功 [発行]PHP研究所


読了目安時間:31分
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吉本興業のXデイがやってきた


 会長が死んだ。


 東京のTBSが特番を組んで放送してくれた河内家菊水丸の深夜のラジオ番組が午前三時に終了し、やっとこさ寝ついたころ、電話のベルが鳴った。


 両親と同居しているわが一家は実家の二階に部屋を持つのだが、根っからの商売人の家だけに、電話の音に反射的に目覚めたおふくろがその電話を取ろうとして玄関まで行ったようだ。が、電話は三回のベルで切れた。横で深く眠っている妻の横でも子機が鳴っていたのに二階でも取り損ねた。

(オカンが玄関に行くよりお前の方が近いやんけ)


 すぐ二度目のベルが鳴った。冨井総務部長からである。

「会長が午前二時四十六分に亡くなった。午前十時から本社で記者会見をしたい。準備してくれ」

「記者集めをするのにもう少し時間がほしいので、十一時ということになりませんか」と私。

「よっしゃ、それでいこう。本社には総務部の者が出社してる。そこで資料をもろてくれ」


 私は漫才ブームの真っ只中、八一年に同志社大学を出て吉本興業に入社、三か月の京都花月勤務の後、現在の広報の仕事についている。


 当時は「宣伝広報室」と呼ばれ、元々制作部内にあった「広報」と、看板や広告物制作担当の「宣伝課」がひとつになり独立したばかりのセクションだった。新入社員はまずタレントのマネージャーになり、その後番組のプロデューサーへ進むのがひとつのパターンだと聞いていたが、新セクションの創立メンバーとして、期待を胸にその職につき、以来十年間広報一筋でやってきていることになる。

(いよいよ吉本興業Xデイがやってきた。僕の出番だ。対マスコミは任せなさい)


 ところが寝ぼけた頭にはまだエンジンがかからない。いっぱしのサラリーマン並に午前九時半出社を少し早めて出社しようか、ぐらいにしか考えることができず、再び布団に潜り込んで数分間横になった。いやそんな場合ではない。すぐに飛んで起き上がり、未だに締めるのが下手なネクタイを何度も締め直しながらダークスーツに身を包んだ。

「カァちゃん、ヨメさん行ってくるで」


 しかし肝心の愛車ルノーキャトルのエンジンもかからない。三月の末にやっと見つけた生産中止後の新車は三十年前の型のやつだけに、まだ私より寝ボケてる。いまどき「チョークレバーを引いて暖機運転の後にスタートしてください」とはさすが時代おくれの車だ。


 本社到着は朝まだ暗い午前五時前。芸人からは「職員室」それも「体育教官室」と呼ばれている四階フロアは、総務部の所だけ電気がついている。


 早速広報室の明かりをつけて仕事開始である。室長の吉野次長は東京出張中のため本社に戻れず、上司の山下、田中、後輩の田沢が順にやってきた。彼らには家を出る前に自宅に電話を入れておいた。


 そう、こういう時の共同通信社頼みと思っていた私は、会社に出る前に自宅から電話で問い合わせた。共同電は午前八時以降でしか発信されないとのことだった。そこで本社で朝から私の電話大作戦の始まりである。


 手元には、

「吉本興業株式会社会長 林正之助 平成三年(一九九一年)四月二十四日午前二時四十六分 大阪厚生年金病院にて心不全のため死去。九十二歳。密葬は同月二十五日午後二時から吹田市桃山台五-九 千里会館にて。葬儀・告別式は社葬として五月十三日午後一時からなんばグランド花月劇場にて」


 との手書きの資料がある。


 在阪新聞社の社会部の泊まり記者から警備員への伝言、吉本番の記者の自宅、東京、大阪のテレビ局の報道部へと電話をしたおした。大きな声と早口が私の特技だ。


 先方は突然の訃報にも皆冷静に対応してくれた。午前六時過ぎには一応の連絡も終え、六時半ごろ早速NHKが映像なしでニュースを読みあげ、民放局もそれを追った。テレビのニュースを見た在阪の記者から広報への電話が続々と鳴った。

「会長死去にともなう新役員の発表は、本日の午前十一時から本社屋上NSCリハーサルルームでの記者会見で行ないます」


 もちろんこの情報も伝達されており、あとは会長の詳しいプロフィールのコピーや懐かしい写真類をプリントして会見を待つのみである。午前九時には早くも一服させてもらった。


床が抜けないか心配した記者会見会場


 そして九時すぎ、訃報を知った社員もまだ知らない社員も本社にやってくる。制作部のデスク担当もマネージャーたちもやってくる。

「本日の仕事は基本的になんの影響もなく、平常通りにすすめてください」


 この日、吉本のタレントで一番早くに仕事を持っていたのがラジオ大阪で月~金の帯の番組を持っていた西川のりおである。彼にも本番前に自宅に電話を入れ、コメントをはさまず訃報のみを伝達しておいた。話せることはそれ以上でもそれ以下でもない。


 のりおはただ「はい」とだけ答えた。寝起きでまだ頭がはっきりしないのか、それとも事態を深刻に受け止めているのか、のりおの反応は私にはよくわからなかったが、のりおはただ「はい」とだけ答えて、電話を切った。


 その後、続けて業界関係者、演芸界、放送、新聞、出版、広告、銀行、證券、政治、そして一般の人からも通夜、密葬についての問い合わせの電話が入った。

「通夜、密葬とも会長の遺志により、しきみも香典、お花もお断りせよ」


 ということだったので、

「お時間があればお顔だけ見せに千里会館においでください」


 と言うだけだった。


 そして午前十一時からの記者会見会場。普段は吉本の新人養成所、よしもとNSCの稽古場でやるのだが、大勢の記者が来る時は四階にある第一会議室ではなく、ここを使用するのである。この日も総務部は「第一会議室で会見をやろう」と判断していたが、朝からのマスコミの反応から見てその小さな部屋に入り切れるわけがなく、NSCの稽古場にしようと言った。

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