読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1281645
0
わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)
2
0
0
0
0
0
0
ルポ・エッセイ
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第二章 笑いこそ我が領土

『わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)』
[著]竹中功 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


酢の匂いと黒のキャデラック


 何故、私は吉本興業の入社試験を受けることにしたのだろうか?


 当時十月一日が会社訪問の解禁日だった。例に漏れず、夏休み中は友達の連れてくる会社関係の先輩に会って、そのうちに「本社に来て下さい、面談しますから」とか言われ、別にこっちから頼んで入りたい気持ちはないので最終面接でやめさしてもらったり、その他、就職情報にうとい私はリクルート社などから送られてくる無料の情報誌(これが電話帳五冊分ぐらいがいっぺんに来る)を見て、「こんな会社知らんわ」のオンパレードには呆気に取られ、せめて自分の知ってる会社にしたいと願っていた。


 その時、大学の就職部の掲示板のマスコミの欄に放送局や新聞社、広告代理店に混じって「吉本興業」の名を発見した。大学生の頃はクラブ活動の代わりにタウン誌の編集やそこが主催するイベントの手伝いをやっていたので、流れ的にはマスコミ志望学生だったから、そこからいくつか選ぶことにした。しかしいくつかは、学部指定があったり、学内推薦があったり、新聞社はどれも難しい筆記試験があったりで、早くもこっちが選ぶ前に、あっちに選ばれていたのだ。


 十月一日に朝から並んで、最初に訪れる会社が一番志望の会社であるというのだが、マスコミ各社は事前に電話予約を受け付けており、どこも十月五日以降しか会ってくれない。もちろん九月中に会社の説明を聞きたいという名目での訪問も許されていない中、吉本興業は「いつでもどうぞ」だったので九月中に一回顔を出しておいた。


 十月五日までいろいろと突然の訪問OKの広告代理店などをまわったが、どうも乗り切れない。自分はメジャー志向であることに気がついたのだ。やはりベースになる部分が広くないと気に入らない。大きい舞台で暴れたかったのだ。今だから話せるが、放送局の方ではふたつくらい結構上位までは行ったのだ。


 ふたつとも制作部の募集に誘われて応募したら、ひとつはアナウンス部の試験も受けに来ないかと一回目の面談の後、電話がかかってきた。広告代理店の筆記試験と同じ日にマイクテストがあるという。どうせ勉強はしてないのでアナウンサー試験もよかろうと、その局を目指した。まわりは就職浪人をしながらもアナウンサーを目指してる強豪ばかりである。またここでも全く勉強をしていない私は浮いてた上、失格だ。もう一局は当時よく試験に使われた、グループ・ディスカッションに呼ばれた。一つのテーマを五人の学生で九十分程度討論させて、試験官がそのまわりをウロウロしながらチェックするというものだ。就職の案内書には、こういう時は主張することだけ言い合うのではなく、司会役、進行役、二大対立意見、それをなぞっていく役などに分かれるのが理想的だと書いてあった。論客としては私自身、下手を打ったとは思わなかったがここも失格だった。


 同じ頃、マスコミを受けている多くの者たちは、メーカーや金融などの内定を貰ってきていたが、私には後がなかった。何故か吉本しか残っていなかった。それも落ちたら、パン屋か何かに弟子入りして手に職をつけようかとも思っていた。


 ところが二回の面接試験しかなかった吉本興業が内定をくれた。二回目の面接の日が月曜日で、まわりは皆前夜放送の「花王名人劇場」のことをたくさん聞かれたとか言っている。残念ながら私は聞かれていない。花月は父親と何度も通っているし、吉本新喜劇のエキスを血肉に染み込ませた少年だったし、デビューまもないカウス・ボタンに京阪電車で会った時、友だちと一緒にサインも貰っている。そんな私に内定が出た。まあひと安心。あとは残した単位をシッカリ取って卒業するだけだ。しかし私が吉本興業に拾ってもらったのはどこがよかったのか? 声が大きかったからか。実は私も家から通える芸能界であるというのが、ここを選ぶ大きな要因でもあったのも安易だったのだが。


 しかし失礼な学生だったものだ。今でこそデカイ顔して広報マンを名乗っているが、入社までの私はといえば、本社にはベテラン芸人の花紀京や笑福亭仁鶴が座っていることもあると信じていたのだ。その上、総務部や経理部があったことにも驚いた。マネージャーやプロデューサーしか頭になかったのだから。


 その無知さゆえ、ムキになって、広報に所属後は、吉本興業の会社・スタッフの紹介などの企業研究もののニュースを多く発信していく諜報部員になっていくのだから、世の中わからないものである。積極的に東京の雑誌や新聞に企業研究の特集を組ませたりしたのだから。


 自分自身がやっと会社のことが分かったからには、入社して二年生ぐらいでも、「会社のことは何でもきいてください」という男になれてしまうものなのだ。


 さて吉本に入社して、初めて会長に会ったのはいつのことだっただろうか。しかし、実のところそれがなかなか思い出せない。


 私の会長についての一番最初の記憶は酢の匂いである。


 入社した年の七月、私は京都花月での現場見習いから本社に移り、七階の事務所に勤務することになったのだが、七階の一角に安っぽいベニヤ板で仕切られた「会長室」があった(この「会長室」のチープさが、いかにも吉本らしくて、私はそれを見るたびに吉本に入社したことを実感していたものである)。ある日、私がデスクに座っていると、どこからともなく酢の匂いが漂い、どうやらその匂いのもとは会長室のようだった。奇妙に思って尋ねてみると、会長が酢に足を浸して水虫の治療をしているとのことで、真面目な顔で酢の匂いに耐えているまわりを見て、私はおかしくて仕方がなかった。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:12444文字/本文:14733文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次