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わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)
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ルポ・エッセイ
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第六章 蘇る王国の栄光

『わらわしたい 正調よしもと林正之助伝(KKロングセラーズ)』
[著]竹中功 [発行]PHP研究所


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花ざかりの六〇年代──仁鶴、三枝、横山やすし、西川きよし


 淋しい雑木林の中の荒れ果てたお堂。中で寝ていた渡世人が現われる。そこへ敵の刺客が斬りかかり、派手な立ち回りを演じて、刺客を倒した渡世人が見得を切る。

「泉州は信太の生まれで、姓はあんかけ、名は時次郎。人呼んであんかけの時次郎。俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」


 藤田まこと扮するあんかけの時次郎がお堂の扉を開いた時、一九六〇年代、日本のテレビ・エイジがその扉を開いた。


 うめだ花月がオープンし、「吉本ヴァラエティ」がアチャコ、大村崑、芦屋小雁、佐々十郎、中山千夏らの出演した「迷月赤城山」で幕を開けた昭和三十四年(一九五九年)、大阪の民放テレビがほぼ出揃い、また四月の皇太子ご成婚式典によってテレビの売れ行きが急増した。


 現在、吉本興業の広報マンを務める私だが、実はこのうめだ花月オープンのひと月前の二月六日が私の誕生日なのである。何か運命めいたものがあると、考えることにしておこう。


 ということはギリギリ、テレビ世代に含まれる年代であり、やはり私も例にもれず子供の頃からお笑いの洗礼を受けているのである。


 小学校に行けばやはり「てなもんや三度笠」の蛇口一角に扮した財津一郎のギャグを真似て「してちょ~だい」なんて言っており、前田のクラッカーに付いてたコンソメスープも飲んでいたもんだ。


 昭和三十四年、吉本は毎日放送と提携し「吉本ヴァラエティ」の舞台中継を開始したが、テレビのお笑いで一歩リードしていたのは大阪テレビ(現在の朝日放送)だった。


 大阪テレビは吉本にも新興(松竹系)にも属していなかった中田ダイマル・ラケットと専属契約を結び、ダイマル・ラケットは「スチャラカ社員」でたちまちトップスターに躍り出た。続いて大阪テレビから人気を得たのが「やりくりアパート」の大村崑、佐々十郎。


 そして昭和三十七年五月に同じく大阪テレビ、藤田まこと主演「てなもんや三度笠」の放送が開始され、これも全国制覇を果たした。「てなもんや三度笠」は少しタイトルを変えながらも昭和四十三年三月まで三〇九回続いた。


 しかし毎日放送も翌、昭和三十八年(一九六一二年)大村崑、佐々十郎、芦屋小雁、芦屋雁之助の「番頭はんと丁稚どん」で全国に大阪の笑いを振りまき、またこの年、「吉本ヴァラエティ」の人気も急上昇した。


 しかし、この年、六十四歳を迎えた正之助は闘病生活のため第一線を退き、小屋に姿を見せることはなかった。


 が、しばらくして新世代の芸人、笑福亭仁鶴、桂三枝、やすし・きよしが入社し、人気のきざしを見せ始めた。


 笑福亭仁鶴、本名岡本武士。昭和十二年一月二十八日大阪生まれ。何気なく手に入れた初代・桂春団治のレコードを聞いて落語家になろうと決意し、昭和三十六年四月、六代目笑福亭松鶴に入門。師匠は松竹芸能に所属していたが、仁鶴は自分の持つキャラクターやギャグ性をかんがみて吉本入りを決めた。昭和四十二年、ラジオ大阪「大阪オールナイト」、朝日放送ラジオ「仁鶴頭のマッサージ」などの深夜放送で大人気になる。


 私がまだ小学校に行ってる頃、朝日放送テレビの午後六時から十五分間の帯番組「仁鶴と遊ぼう」は、それはもう毎日毎日が楽しみでしようがなかった。またテイチクから出したシングル盤「おばちゃんのブルース」「大発見やァ」なども大ヒットした。


 桂三枝、本名河村静也。昭和十八年七月十八日堺生まれ。昭和四十一年十二月、桂小文枝に入門。昭和四十二年、毎日放送ラジオ「MBSヤングタウン」、昭和四十四年七月、毎日放送テレビ「ヤング OH! OH!」の司会などで大人気者になる。お笑いタレントのアイドル第一号。


 横山やすし、本名木村雄二。昭和十九年三月十八日高知生まれ。昭和三十四年三月十六日、秋田実に入門。一番最初は堺正スケ・伸スケの名でデビュー。約二年でコンビを解散し、横山やすし・たかし(現・横山プリン)のコンビを組む。続いて二代目たかし(現レツゴー三匹・正児)と組み、その後が西川きよしとのコンビである。本人によると、身上は桜の花のように、性格は平和主義者であり闘い事を好む、とのこと。いくつかの事件を起こした後、吉本の有史以来の解雇処分者。


 西川きよし、本名西川潔。昭和二十一年七月二日高知生まれ。昭和三十七年、石井均に入門。昭和三十八年四月一日、吉本新喜劇の研究生になる。吉本新喜劇の中では通行人や店員、熊の縫いぐるみの中に入っていた。芝居の中ではさえないままの役でいたが、先輩の勧めもあり横山やすしの四人目の相方としてコンビを組む。初舞台は昭和四十一年六月一日。ふたりのスピーディな漫才は解散した今も、ナンバーワンと言われている。


 昭和四十五年(一九七〇年)大阪千里で開かれた万国博覧会によって花月は連日大入り満員であった。もちろんそれは仁鶴、三枝、やすし・きよしらの人気による動員であり、またこの年に間寛平も吉本新喜劇に入団し、木村進(現・博多淡海)との名コンビで吉本新喜劇も新時代を築き始めたのであった。


 この第一期お笑いブームと言われるさなか、昭和四十四年五月、正之助が会長に就任し、翌四十五年五月、社長にカムバックを果たした。しかしそれと入れ替わるようにして弘高が昭和四十六年六月、喉頭がんのため死去する。享年六十四歳。


オモロイやつがアイドルだ


 私が小学生の頃、七〇年大阪千里万博の頃である。テレビや漫画を見たら、よくもてる男の子は殆どが頭が良くてスポーツマン・タイプと決まっていた。大人で言えば加山雄三みたいなのに人気があった。


 しかし大阪は違っていた。人気者は面白いことを言う男の子なのである。昨日見たテレビの話題に始まり、流行歌の替え歌作りやものまね、ギャグやジョーク連発が学校のアイドルだった。


 クレージーキャッツの「ガチョーン」やゲバゲバ90分の「アッと驚く為五郎」より、財津一郎の「~ちょーだい」(今のチャーリー浜の「~じゃあ~りませんか」ぐらいによく使用した)や笑福亭仁鶴の「どんなんかなぁ」に始まり「うれしカルカル」「よ~やる」などと、ちゃんと話の中で前後左右脈絡のあるものを好んで使ったものだ。

“一発芸”とはよく言ったものだ。最近では少しは減ったが、当世のテレビの素人参加番組ともなれば高校生や大学生などは殆どこの方法を用いる。それが物真似や形態模写であっても、たいがい「ちあきなおみの○○とか」とか「新幹線がもし○○だったら」という形態だけのものばかりだ。


 しかし大阪の子供や大阪の子供上がりの大人はちょっと違う。ひとつのギャグを伝えるためにストーリー性をベースに敷くのである。


 ギャグをどこに盛り込んで、うまく「会話を進めていく」かが肝心なのだ。会話の前後左右の脈絡や言葉自体の言いまわしの中に、先のネタをいかに面白く繰り出すかが、頭の使い所なのである。


 だからこそ今日の「ごめんくさい」は挨拶の言葉だからいつでもどこでも何回でも使えるし、九一年流行語大賞を受賞した「~じゃあ~りませんか」も会話の中に何時(いつ)でもとけこますことができるのだ。


 あまり言葉だけが勝手にパワーを持つことが少ないのである、大阪では。


 ちょうど時代を象徴する思い出がある。初めて自分の小遣で買ったレコードのシングル盤のことである。今も心斎橋筋にあるミヤコ楽器店でドーナツ盤を三枚も一度に購入した。悩みに悩んだ末に選んだ三枚だ。六〇年代後半、レコードは一枚四百五十円だった。小学生の小遣には大変な価格だった。一枚は笑福亭仁鶴の「どんなんかなあ/おばちゃんのブルース」、ハナ肇とクレージーキャッツ「酒飲めば/アッと驚く為五郎」、奥村チヨ「恋泥棒」である。三枚のうちギャグソングを二枚も購入していたのだ。


 今聞き直しても楽しい。クレージーキャッツの方はストーリーの展開でオチをつける。スマートだ。笑福亭仁鶴の方は題材自身に田舎っぽさが漂い、その中に細かく仁鶴特有の言いまわしギャグが入ってくる。子供はこのギャグの部分を真似るのである。


 このほか、ギャグのネタ元はいつも吉本新喜劇に数多く求められた。


 これらが私の持論とするところの「吉本新喜劇はドラッグで、子供の頃より血や肉にまで染み込んだギャグ魂は、よりコミュニケーションを潤滑にする」というものだ。


 よって現在、小学生が教室に入るときには「ごめんください。どちらさんですか。三年一組のたけなかです。お入りください。ありがとう」というあいさつはあって当たり前だし、教室から出て行く友達に「いずこへ」と言うのも然りである。


 その果てが体育の時間の「パチパチパンチ」であり、担任の先生の授業終了直前の「今日はこれぐらいにしといたろ」につながっていくのである。


アホなこと、アホなひとの象徴が“吉本”


 林正之助は「世の中で体の中の毒を消すことができるのは“薬”と“笑い”です。体に効く“薬”と違って心に効く“笑い”は副作用の危険もないからエエことずくめです」とよく話していたが、また“笑い”は人々の日常の会話から商談、恋愛、ケンカなどをスムースに進める潤滑油でもあると言える。

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