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「移民」で読み解く世界史
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歴史
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まえがき

『「移民」で読み解く世界史』
[著]神野正史 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:5分
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 昨今、相撲界が大揺れに揺れています。


 ちょうど朝青龍がモンゴル人として初めて横綱になったころからつぎつぎと不祥事や問題が起こるようになり、ついこの間まで大人気を誇った角界が、今や協会解体が叫ばれるほどの批判を浴びています。


 もっとも不祥事自体は今に始まったわけではありませんので、それより筆者が気になるのが「横綱の品格問題」です。


 横綱ともあろう者が「猫だまし」のような姑息な技で白星をもぎ取る。


 横綱ともあろう者がエルボーをかます、相手を威嚇する、土俵を割った相手を突き落とす。


 果ては、勝てばガッツポーズ、負けたら不服な表情を隠さず、自ら“物言い”。


 こうした態度は日本人なら誰もが眉をひそめる行動ですが、こんな事態に陥ったのは朝青龍や白鵬などモンゴル人横綱のせい、というわけでもありません。


 善悪や正邪ではなく、単に彼らが「相撲」というものをまったく理解できていないために起こる()()にすぎないのです。


 柔道・空手道・剣道・弓道・茶道・華道…。


 日本固有の文化・価値観・歴史・伝統の中で育まれたものにはすべてに「(どう)」の精神が貫かれており、もちろん相撲も例外ではありません。


 しかしこの「道」という概念は外国には存在しないため、外国人は自分の知っている(カテ)(ゴリ)に当てはめようとします。


 それが「スポーツ」です。


 スポーツなら「勝敗結果」に重点を置くため、横綱が猫だましをしようが、相手を威嚇しようが、ガッツポーズを取ろうが、ルールに違反していないかぎり何の問題もありません。


 したがって、彼らの心の中には「勝つためだ! 何が悪い!?」という気持ちが渦巻き、どんなに批判を受けようがそこに反省など生まれないのです。


 しかし、相撲は断じてスポーツではありません。

「道」は勝敗など二の次、平素の鍛錬を通じて「精神修養」「人格形成」を目指すものであり、敗者にも敬意を払い、これを辱める行為(ガッツポーズなど)(もっ)ての(ほか)、よく言われる「心・技・体」はお題目ではありません。


 したがって横綱は、そうした理念の頂点に君臨する立場であるため、その理想的体現者でなければなりません。


 姑息な手を使わず、相手の攻撃を堂々正面から受け、その上でこれをねじ伏せる。


 これを「横綱相撲」と言います。


 圧倒的力の差を見せつけて勝って当然、小賢しく立ち回り、それで勝ってガッツポーズ、負けて憮然など、お話にもなりません。


 横綱ともあろう者がそんな汚い手を使わなければ勝てないようなら引退しろ、というのが「相撲」です。


 しかし、こうした日本特有の崇高な理念をモンゴル人が理解できないのは仕方なく、彼らを責めるのは酷ともいえます。


 では、こたびの問題について()えて「どこで間違えた?」と問われれば、そもそも角界に外国人を入れた相撲協会の失態ということになります。

「道」を護りたいと思うなら外国人を角界に入れてはなりませんでしたし、入れるなら「道」が踏みにじられることを覚悟の上でなければなりません。

「道」は護りたいが外国人力士は入れたい、では“子供の駄々”にすぎませんが、協会はそうした自覚がまったくなかったようです。


 (これに)(よりて)(これを)(みるに)


 たかが「角界」という狭い社会にわずかな数のモンゴル人が入ってきただけで、価値観の違いからこれだけの不快な問題をつぎつぎと起こし、協会解体が叫ばれるほどの危機に陥れる破壊力を持ちます。


 ましてや、ひとつの国家の中に大量の異民族が入ってきたらどうなるか。


 明治以来、爆発的に人口を増やしてきた日本も、21世紀に入ってついに減少に転じはじめましたが、これを識者・マスコミが(あお)ること、煽ること。

──このままでは2050年には1億人を割り、100年後には現在の3分の1になる!

──労働環境が! 経済が! 社会保障が!


 彼らは「如何にして出生率を増やすか」を議論し、つぎに「もはや労働者として移民を受け()れるより他に(すべ)なし!」などと、浅慮かつ短絡的な書生論を叫ぶ。


 彼らは、戦前さかんに「開戦!」を叫んだ人たちに似ています。


 大マジメに「日本のため!」を思って叫んでいるのでしょうが、現実には日本を破滅へと追い込んでいる自覚がありません。


 敗戦からなら立ち直ることができますが、ひとたび移民を受け容れてしまったら、二度と未来永劫“古き()き日本”に立ち戻ることはできなくなります。


 目先の小さな問題に目を奪われて、“祖国と民族を永久に抹殺する蛮行”を堂々と主張する(やから)がわらわら現れるのは、(ひとえ)に彼らが歴史に疎いからです。


 歴史を学べば、移民は例外なく“災い”しかもたらさないことを理解できるようになります。


 こうした“亡国論者”の書生論を真に受けないためにも、我々はもう少し真摯に移民の歴史について学ぶ必要があります。


 ただし、ひとことに「移民」といってもいろいろな形態があり、もっとも狭義では、「近代以降における主権国家間を越えた一定の集団的移住」を指しますが、「近代以降の移住」だけを見たのでは、その本質を理解することはできません。


 したがって本書では、もっと広く意味を取り、古代以来の様々な形態の移住、すなわち──

「民族移動」( migration )     … 自らの意志で民族規模で移住

「植民」  ( colonization )    … 自国政府の意向で国民の一部が移住

「強制移住」( forced emigration ) … 外国政府の意向で国民の一部が移住

「難民」  ( refugee )      … 自国の混乱から逃れるため他国へ移住


 …なども含めた総体的な「移民」を論じていくことにいたします。





 2019年 5月


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