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人類の歴史とAIの未来
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人文・科学
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第一部 今日に至る、長く険しい道 プロメテウスの物語

『人類の歴史とAIの未来』
[著]バイロン・リース [発行]ディスカヴァー・トゥエンティワン


読了目安時間:1時間22分
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PART ONE: THE LONG, HARD ROAD TO TODAY

The Story of Prometheus



 プロメテウスの物語は古い。作られたのは3000年前とも、それ以上前ともいわれている。あらすじは以下のとおりだ。ティターン(オリュンポスの神々に先行する古の神々の子)のプロメテウスと弟エピメテウスは、地球上の全ての生き物を創造するよう命じられた。兄弟はさっそく粘土を使って仕事にとりかかった。エピメテウスは手当たり次第粘土をくっつけ、動物を次から次へと作っては、ゼウスから託された性質を1つずつ与えていった。ずる賢い動物、カモフラージュできる動物、鋭い牙を持つ動物、空を飛べる動物……。一方、思慮深いプロメテウスは、与えられた時間のほとんどを費やしてただ1つの生き物を作り上げた。神と見た目がそっくりで、直立歩行をする……そう、人間だ。作り終えたプロメテウスは、弟がゼウスから託された贈り物を全て動物たちに与えてしまったことに気づく。すっかり空になった、ゼウスからの贈り物が入っていた箱を呆然と見つめ、弟に「おい、マジかよ?」と言っているプロメテウスが目に浮かぶようだ。そんなわけでプロメテウスは、禁じられていたあることをした。火を人間に与えたのだ。この罪を咎めたゼウスにより、プロメテウスは岩にくくりつけられ、ワシに肝臓を引き裂かれるというひどい代償を支払うことになった。彼の肝臓は毎晩再生しては、翌日また引き裂かれた。この拷問はプロメテウスが後にヘラクレスによって解放されるまで、長きにわたり繰り返されたという。


1 第一の時代:言語と火



火が脳にもたらした恩恵


 個々に孤立して存在していた人間がいつ火を利用し始めたのか、正確なところを知る者はいないが、10万年前にはすでに広範囲で使いこなされていたことを示す証拠が見つかっている。その頃からみればかなり新しい時代になってから作られたギリシャ神話のプロメテウスの話には、火が劇的に私たちを変えたという古からの記憶が刻まれている。火は史上初の多機能技術だった。火は光源となり、また動物が火を恐れるので安全を提供した。火は持ち運び可能なため、寒い地域にも暖をとりながら移動することができた。しかし、火の最大の功績は、食物を加熱調理できるようにしたことだ。


 なぜこの使い途が最も重要だったのだろうか? 加熱調理できるようになったことで、摂取できるカロリーが大幅に増大したのだ。例えば肉を加熱すると、噛み切るのが簡単になるだけでなく、肉に含まれるたんぱく質がほどけて消化しやすくなる。また、火を使うことで難消化性のセルロースやでんぷんを分解できるようになり、それまで食べられなかった多くの植物が突如として食材に変わった。つまり、火は私たちの体内で行われる消化プロセスの一部を「アウトソーシング」できるようにした、というわけだ。生の食材を摂取しても大部分が未消化のまま体内を通過してしまう。そのため、今日の人間が生きるために必要とするカロリーを生の食材だけでまかなうことは極めて難しい。


 では、こうして得た大量のカロリーを、私たちの祖先は何に使ったのだろう? 脳だ。彼らは、類を見ない複雑な脳を作りあげるためにこのエネルギーを投入した。人間は短い間に、ゴリラやチンパンジーが持つ3倍の数のニューロンを手に入れた。この脳はしかし、イタリア製のスーパーカーのようなものだ。止まった状態から時速60kmまで一瞬で加速できる代わりに、大量のガソリンを消費する。実際、私たちはぜいたくにも総消費カロリーの20%をこの高度化した脳を支えるためだけに使っているのだ。この半分の量のエネルギーでさえ、知性の維持に費やす生き物はほとんどいない。生存という観点からは、これはかなり大胆な賭けだった。ポーカー用語を借りれば、人類は脳に「オールイン」したわけだ。そしてその行為はめでたく報われ、私たちはもう1つの新たな技術である言語の創造に至った。言語はまさに大きな飛躍であり、歴史家ウィル・デュラント曰く、言語が「私たちを人間にした」。


 そのようなわけで、火こそが、私たちと技術が今も織りなす長い長い物語の出発点だったということになる。では、技術とはいったい何だろう? この本で私が「技術」という語を使うときには、知識を物やプロセス、あるいはテクニックに応用することを意味する。それでは、技術は何のためにある? 主として人間の能力を高めるためだ。技術によって、私たちはそれまでできなかったことをできるようになり、それまでできていたことはより上手に、より楽にできるようになる。


 もちろん、私たちの祖先は火の前にも単純な技術を使っていた。200万年以上も前のことだ。しかし、火は特別だった。今でも火は何かの魔法のように思える。キャンパーたちは夜な夜な焚火を囲んで炎を見つめ、この世のものではないような揺らめきに魅入られる。


 もっと強大な技術である言語は、私たちが情報を交換することを可能にした。言語を使えば学んだことを要約し、人から人へと効率よく広めることができる。例えばトラに噛まれて右腕を失った人が経験から得た「トラは、しっぽを引っ張られるのが好きではない」という知識を、彼を直接知らない多くの人も得られるわけだ。さらに、言語は人間が持つ特殊能力の1つともいえる協力を可能にした。言語を持たないヒトが1ダース集まってもマンモス1頭には太刀打ちできないが、言語を使って協力し合えれば彼らはほぼ無敵だ。


 私たちの大きな脳が言語をもたらし、言語を用いて思考することで脳がより大きくなる、という好循環が生まれた。言葉を使わなければできない種類の思考があるからだ。言葉とはつまるところ考えを表す記号であり、私たちは話すという技術がなければどうやればよいかも見当もつかない形で考えを組み合わせたり変化させたりできる。


 言語のもう1つの贈り物は、物語だ。物語とは私たちが進歩するために最初に必要だった想像力に形を与えるものであり、人間に最も重要なものだ。今日ある物語歌(バラッド)、詩、はたまたヒップホップの原型といわれる詠唱(チャント)は、話すことを覚えた私たちの祖先が最初に創作したものであろう。そのままでは覚えられないような物事も韻を踏むと覚えやすくなるのはなぜか? 1ページ分の散文よりも歌の歌詞のほうが覚えやすいのと同じ理由だ。私たちの脳がそのように作られているからこそ、「イーリアス」と「オデュッセイア」は、文字が発明されるずっと前から長きにわたり口伝で受け継がれていた。私も、もう何十年と見ていない「ギリガン島」「じゃじゃ馬億万長者」「ゆかいなブレディ家」といったテレビドラマのオープニング曲を、いまだに口ずさむことができる。そして、そういった歌はみな物語仕立てになっていて、歌詞に「物語」や「お話」といった言葉まで出てくるという点は注目に値する。ギルガメシュ叙事詩に代表される人類最古の物語も、「書く」という技術が発明されるまでの間、数千年にわたり口承で伝わってきたのだろう。


言語はどこで生まれたのか?


 人類最古の言語については、今日使われている言語から類推することくらいしかできない。人類が最初に話した言葉、そしてそれに続く私たちの祖先が使っていた様々な言葉はみな、とうの昔に失われてしまった。現代の言語は、理論的に再建された共通祖語に由来する語族にグループ分けされている。例えば印欧祖語からは、ヒンディー語、英語、ロシア語、ドイツ語、パンジャーブ語など、今日存在する445の言語が派生した。


 言語学者は、言語間にみられる単語の類似性に基づいて祖語を研究する。2013年にはイギリス・レディング大学の研究者がこの手法を用いて、私たちが現在使っている言葉の中で最も古い単語を同定した。彼らの研究から、23の「超高度に保存された」、すなわち1万5000年間ほぼ同じように発音されてきたと考えられる単語が明らかになった。つまりこれらの単語は、印欧祖語より前に存在した祖語にまで遡れる可能性がある。23個の中には「男(man)」、「母(mother)」、「2(two)」、「3(three)」、「5(five)」、「聞く(hear)」、「灰(ashes)」、「虫(worm)」などが含まれている。そして、中でも最も古い言葉は「ママ」のような単語だった。様々な言語で、母親を指す単語はmの音、つまりだいたいの赤ちゃんが最初に発音できるようになる音で始まるからだ。


 さらに興味深いのは、言語学的祖先が見つからない、どこから出現したのかわからない出生不明の言語があることだ。そういった孤立した言語の代表例ともいえるバスク語は、スペインとフランスの間の山間部に住む人々によって話されている。多くの研究者はバスク語が印欧祖語よりも古いと考えており、バスク人の間には、エデンの園にいたアダムとイブもバスク語を話していたという伝説まで残っている。


 言語の汎用性と複雑さは驚異的だ。英語を構成する語は最近100万語を突破したが、私たちの多くは日々2万5000語ほどを使ってやりくりしている。だんだんとペースは落ちてきているものの、およそ1時間に1つの割合で新しい英単語が作り出されているそうだ。その昔、シェイクスピアなどは朝食前に新しい単語を3つ作るのが日課だったという。新たな単語が作られる速度の低下は、そのような洒落を許さない、文書作成ソフトのスペルチェッカー機能が原因だという説が有力だ。赤い波線だらけのメールを送りたくなければ、自分が作り出した新しい単語など使わず、おとなしくスペルチェッカーのリストに掲載済みの表現を使うしかないからだ。


 ところで、第一の時代(狩猟採集民族として言葉と火を操りながら生活していた10万年間)に住んでいた私たちの祖先の生活は、どのようなものだったのだろうか。その頃の世界人口はおよそ20万人、絶滅危惧種とまではいかないが、人類の存続が確約されているとはとても言い難い時代だ。多くの人間は社会主義(集産主義)的であって、その実践形態には様々なバリエーションがあったに違いないが、ほぼ階層化されていない社会生活を送っていた。西暦1700年ごろまでは地球上に5000万人を超える狩猟採集民族がいたため、私たちには「近代の」狩猟採集民族について直接知ることができた事実が多くある。今日でも、私たちが接触できていない狩猟採集民族が100以上は存在し、その総人口は1万人を超えるといわれている。


 今日の狩猟採集民族の暮らしぶりから農業を始める前の人類の生活を類推すると、生きるために必要な食料を確保することはそう簡単ではなかったようだ。また、数日病気をすれば誰もがたちまち生命の危機にさらされたであろう。そのような状況下では自然に、純粋に利己的な要因から集産主義が生じたはずだ。集団内で最も力がある者も、いつか他者の助けを必要とするときが必ず来るからだ。皆で分け合うことを知っている集団は、分け合わない集団よりもうまく生き抜くことができたであろう。だいたい、富を独占してため込む意味もなかった。富といえばその日に捕まえた、貴重な栄養源であるカブトムシの幼虫くらいのものだったし、それ以外に何かあったとしても保管する手段もなかったからだ。人間は1日1日を辛うじて生き延びる、ただ1度の厳しい冬やたった1頭の凶暴なマンモスによってあっという間に死に絶えてしまうような存在だった。


 現代のルソー信奉者はロマン主義という名のバラ色のメガネを通してこの時代を振り返りがちであり、現代社会の虚飾によって破壊される前の、人類が美しい自然と調和して生きていたシンプルな時代だと考えたがる。だが、もし私たちがいま突然その時代に放り込まれたら、おそらく古き良き時代だなどと思うことはないだろう。そもそも、その時代は暴力的だった。ハーバード大学の心理学者スティーブン・ピンカーによれば、古代人の骨の分析結果は、その時代の狩猟採集民のおよそ6人に1人が別の人間の暴力によって生涯を終えていたことを示しているそうだ。2度も世界大戦が起きた「血塗られた」20世紀でさえ、そのような死に方をした人間は30人に1人だ。つまり、古代の狩猟採集民の人生は短く、苦痛に満ちた、厳しいものであったことは間違いない。しかしその時代は人間を試す場でもあった。そして、言語とともに、私たちの祖先は今日へと続く道を歩み始めたのだ。


2 第二の時代:農業と都市



農業が生んだ都市と分業


 私たちの祖先は、おしゃべりしながら狩りや採集をする生活を10万年ほど続けた末に、劇的な変化を経験した。農業を発明したのだ。それにより、人類そのもの、そして社会が根本的に変わった。この第二の時代が始まったのはわずか1万年前だ。このとき地球上の総人口は400万人ほど、現在のロサンゼルスの人口より少し多いくらいであった。その前の9万年間で私たちの祖先は4~5回ほど人口を倍増させるのがやっとであった。それは極めて貧弱な成長と言わざるを得ず、当時の人類がどれほど脆弱な存在であったかを示している。


 農業は言語と同じく技術であって、これまた言語と同じく他の多くの進歩をもたらした。まずは都市の誕生だ。農業をするには1つの場所に定住する必要があるから、都市が発達した。これは全く新しい試みであった。チャタル・ヒュユク、エリコ、アブ・フレイラなどの最古の都市はだいたいが水と肥沃な農地にアクセスしやすい川沿いに作られ、そこには市場、家、寺院などがあった。人類があへんを使ったり、サイコロを使った賭け事をしたり、化粧をしたり、金の装飾品を身に着けたりし始めたのもこの時代だ。


 都市は交易やアイデアの交換を活発化させたが、同時に私たち人類を完全かつ決定的に動けなくした。家は永住するためのものだった。私たちは堤防や高台を作って地形を変え、塀や柵を立てた。また、あとからお参りできるよう、死者を埋葬した場所に特別なしるしをつけたりもした。このような多くの要因によって、私たちの祖先の放浪癖は封じられたのだ。もう後戻りはできなかった。


 農業と共にもたらされた2つ目の技術的進歩は、分業だ。これはさして重要な出来事のように見えないかもしれないが、分業は人類史の中でも最も重要なマイルストーンとなった。分業をすると、自分の生存のために必要なすべての仕事を自分だけで担う必要がなくなり、狭いタスクに特化できるようになる。これは効率化につながり、爆発的な経済成長を可能にする。分業化は、交易や技術の進歩と共に、誰の労働も増やすことなく全体の富を増やせる3つしかない方法(経済学用語で「フリーランチ」と呼ぶ)のうちの1つであった。


 農業が直接分業をもたらしたわけではない。農業は都市をもたらし、都市が分業をもたらした。というのも、分業はたくさんの人が狭い範囲に住んでいるときに一番うまくいくからだ。隣人から遠く離れてぽつんと暮らす農民は何かに特化して生きることは難しく、必然的によろず屋(しかしどれもマスターするまではいかない)のような働き方をしなければならない。

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