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「中国の歴史」がわかる50のポイント 古代から現代中国までの流れが見える
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歴史
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序章 中国史の時代区分

『「中国の歴史」がわかる50のポイント 古代から現代中国までの流れが見える』
[著]狩野直禎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:34分
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王朝単位の区分




 中国では自国の歴史を区分するのに、王朝を単位とする方法を取ってきた。したがって私たちが、中国の歴史を見る場合も、その区分法を利用すれば、流れがつかめて理解しやすくなる。そこで本章ではそれをもとに、王朝交代の歴史をざっと紹介しておこう。


三皇・五帝・三代


 ()()(せん)は中国最初の歴史書『()()』を記すにあたって、五帝から記述を始めたが、中国では五帝時代の前に三皇の時代を置くことがある。三皇についてはだれをあてるか、いろいろな説があるが、一例を挙げると、(ふつ(ふく))()(しん)(のう)(じよ)()となる。五帝についても同様にいろいろな説が存在するが、司馬遷は黄帝、帝(せん)(ぎよく)・帝(こく)・帝(ぎよう)・帝(しゆん)を挙げている。とくに最後の堯・舜の二人の治世は、後世に至るまで理想的な時代として称えられていった(堯舜の世)


 ところで堯から舜への交代にあたっては、堯は自分に子供がありながら、孝行者の評判が高い舜に位を譲った。これを(ぜん)(じよう)という。舜もまた自分に子供がありながら、黄河の治水に功績のあった()に位を譲った。そして禹もまた禅譲を試みたが、人々が禹の子・(けい)のもとに集まったので、啓が後を嗣ぎ、世襲の王朝()が誕生した。


 夏王朝は十七代(けつ)王が徳を修めず、民を苦しめ、妃の(ばつ)()に心を奪われ政治を顧みなかったので、(いん)(とう)王に伐たれた。これを禅譲に対して(ほう)(ばつ)という。


 湯王の開いた殷(商ともいう)もまた三十代の(ちゆう)に至り、(しゆう)の武王に伐たれた。酒池肉林、長夜の宴を開き、妃の(だつ)()を溺愛し、残虐な刑を好んだ紂は、最後は自らを火に投じて死んでいる。そのため桀紂と連称され、堯舜と対比される。


 殷に代わって成立したのが周であり、その年は前一〇五〇年ごろと考えられる。周は文王とその子武王が太公望・()(しよう)の助けもかりて建国したと伝えられる。そこで三皇・五帝の時代につづくこの治世を夏殷周三代と呼ぶ。


 周の武王は都を(こう)(けい)(西安付近)に置くと共に、ここが西の方にかたよっているので東方を治めるために新しく(ゆう)(洛陽)を築いた。そして武王の弟・周公(たん)周の礼と呼ばれる制度(封建制や井田制に代表される)参照)を作りあげ、後々まで高く評価され、理想化されてゆく。


 しかしこの王朝もまた夏・殷と同様に、十二代(ゆう)王が立つと、滅亡への道を歩み始める。美女の(ほう)()を喜ばせるために、偽りの烽火(のろし)を上げて諸侯の兵を集めるなどしたため、実際に西(せい)(じゆう)の攻撃を受けた時に助けにくるものがなく、いったん周王朝は滅ぶ。しかし子の平王が洛邑に都を遷して周を継ぐ。この年が前七七〇年であり、これを境としてそれ以前を西周その後の時代を東周と呼ぶ。


 殷周王朝はその実在が確かめられてはいるものの、西周までは神話・伝説めいた話の多いことは否定できない。これに対し十九世紀末から始まった考古学的調査・研究は、中国にも世界の他の地域と同様に旧石器・新石器等の時代が存在したことを証明し、中国先史時代に多くの新しい知見をもたらした。このあたりの解説は一章・二章に譲る。


春秋・戦国


 東周の時代は通常、春秋・戦国の二つの時期に分けられる。総じていえば、周王の力は衰え、ただ名目のみ存在するにすぎず、代わって有力な諸侯が出て覇者となり、中国の政治を動かしていった時代である。


 春秋時代は、孔子が編纂したと伝えられる()の国の年代記『春秋』に書かれているので、こう呼ばれる。周の礼がまだ行われていた時代とされるが、殷・西周、そして春秋の時代までは国といっても都市国家の段階であった。


 さてこの時代は、(せい)(かん)(こう)(しん)(ぶん)(こう)に代表される覇者が、周王に代わって諸侯をリードしていくが、春秋の五覇といって五人の覇者が挙げられる。五覇の数え方はいろいろあるが、斉の桓公・晋の文公は必ず入るし、残りの三人には(そう)(じよう)公、(しん)(ぼく)公、()(そう)王、()王の(こう)(りよ)(闔廬)(えつ)王の(こう)(せん)などのうちから数えられる。


 戦国時代は紀元前五世紀に入って始まり、この時代は周の礼がもう行われていないとされるが、このころから国は一定の領土を持ったものとなる。戦国時代の名は『戦国(さく)』という書物による。


 紀元前四五三年、晋は家臣の(かん)()(ちよう)三氏によって分割され、この三氏が名目的存在になっていたが、前四〇三年に周王から諸侯として公認された。ついで、太公望・()(しよう)を始祖とする斉(呂斉)が家臣の田氏によって奪われた。国名はやはり斉であるが、田斉と呼んで区別する。こうして戦国時代には秦・楚・燕という春秋からつづく国と、新たにできた韓・魏・趙・斉を加えた七国によって覇権が争われることになる。


 戦国時代は社会や政治の機構が大きく変わった時代であるが、それに一番適応しようとしたのが秦で、紀元前四世紀の半ば、孝公の時代に商(おう)を用いて変法(政治改革)を行い、一番の強国となっていった。他の六国は西の辺境から(ぼつ)(こう)してきた秦に対し、(がつ)(しよう)(れん)(こう)といった離合集散を繰り返して、外交と軍事力の両方で争うが、結局秦王の(せい)が中国の統一に成功した。前二二一年のことである。


秦漢時代


 政は中国を統一すると新しく皇帝という名の称号を作り、自ら最初の皇帝=始皇帝と称した。そして統一国家にふさわしい制度を作ると共に、法家思想を政治理念として採用し、法家以外の思想を弾圧した。(ふん)(しよ)(こう)(じゆ)という。一方、外に向かっては、折しも北アジアに台頭してきた(きよう)()と戦って勝ち、万里の長城を築いた。

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