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旧皇族が語る天皇の日本史
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歴史
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第一章 日本の神代

『旧皇族が語る天皇の日本史』
[著]竹田恒泰 [発行]PHP研究所


読了目安時間:32分
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 日本の神代を語るには、わが国最古の歴史書である『古事記』と『日本書紀』を外して語ることはできない。この二書は末尾を取ってまとめて()()と呼ばれており、とくに『日本書紀』は(せい)()とされている。正史とは、国家によって(へん)(さん)された公式な歴史書のことをいう。たとえば中国の正史には『史記』『(かん)(じよ)』『三国志』などがある。

『古事記』『日本書紀』は、どちらも壮大な宇宙の誕生の物語から書きはじめられる。その後記紀は、宇宙が形成される過程で次々と神が生まれ、その神が連鎖的に神を生みつづける「神生み」の物語に入る。


 はじめは光に包まれていてそのかたちすら判然としなかった神々が、やがて人のかたちになり、神が陸地を生む「国生み」の物語に展開し、(たか)(まが)(はら)(天上の世界)を支配する太陽神・(あま)(てらす)(おお)()(かみ)が生まれる。高天原から舞い降りた天照大御神の子孫が、(あし)(はらの)(なかつ)(くに)(地上の世界)を統治するようになり、(じん)()天皇(初代の天皇)につながる。


 そして、神武天皇が即位した日こそがヤマト王権の成立の日、つまり日本建国の日である。神武天皇以降は、ヤマト王権が拡大し、九州から関東にかけての広い地域を統治する大和朝廷に発展していく過程の歴代天皇の物語が綴られている。記紀を知るということは、天皇の起源を知ること、そしてわが国の起源を知ることなのだ。

『古事記』と『日本書紀』は七世紀後半、(てん)()天皇の命によって編纂が始められた。当時、天皇の系譜・事蹟そして神話などを記した『(てい)()』『(きゆう)()』という書物があり、これらを(ひえ)(だの)()()が二十九年間かけて(しよう)(しゆう)(書物などを繰り返し読むこと)し、それを(おおの)(やす)()()が四カ月かけて編纂して完成したのが『古事記』全三巻である。


 一方、皇族をはじめ多くの編纂者が、『帝記』『旧辞』以外にも中国・朝鮮の書なども使い、三十九年かけて編纂したのが、全三十巻と系図一巻から成る大著『日本書紀』である。『日本書紀』は本文のほかに多くの別伝が併記されている。神代は二巻にまとめられ、以降は編年ごとに記事が並べられ、時代が下るほど詳しく書かれている。


 では、どうして同じ時代に二つの異なった歴史書が編纂されたのだろうか。それは二つの書物の違いから想像できる。記紀が編纂された七世紀、すでに日本は外国との交流がさかんで、外交に通用する正史をもつ必要があった。当時の東アジアにおける共通言語は漢語(中国語)であり、正史たる『日本書紀』は漢語によって綴られた。また『日本書紀』は中国の正史の編纂方法を採用し、公式の記録としての性格が強いことからも、広く海外に向けて書かれたものだと考えられる。


 それに対し、日本語の要素を生かして(おん)(くん)混合の独特な文章で天皇家の歴史を綴ったのが『古事記』である。編纂当時、まだ仮名は成立していないため、漢語だけでは日本語の音を伝えることはできなかった。そこで編纂者は神名・地名などの固有名詞に漢字の音をあて、日本語の音を伝えようとした。そのため『古事記』の本文は非常に難解なものになり、後世に『古事記』を本格的に研究した江戸時代の国学者・(もと)(おり)(のり)(なが)は、『古事記』を読み解くのにじつに三十五年の歳月を費やす。ところで本居は全四十四巻から成る古事記研究書の『古事記伝』を著し、『日本書紀』には古代日本人の心情が表れていないことを述べ、『古事記』を最上の書と評価した。


 歴史物語の形式をとり、文学的要素の強い『古事記』は、天皇家による統治の由来を周知させ伝承するために記したテキストで、氏族の系譜について『日本書紀』よりも詳しく記していることからも、国内に向けて書かれたと考えられる。『古事記』は『日本書紀』のように別伝が併記されていないので、読みやすいかたちになっているが、当時の庶民が漢語を基礎とした書籍を読むとはとうてい思えないので、『古事記』は皇族や貴族たちの読み物として用いられたのだろう。皇族たちの美しい生き様の手本となる物語が多く収められていることからも、貴族の子女の教育にも用いられていたと思われる。




 では、記紀に書かれたことはどこまで史実なのだろうか。これも簡単に答えられるものではない。そもそも『古事記』については長年「偽書説」が根強く主張されていた。その最大の理由とされたのが、『古事記』を編纂したとされる太安万侶の実在を示す証拠がなく、彼の実在自体が疑われていたからだ。


 ところが昭和五十四年(一九七九)に、奈良市(この)()(ちよう)の茶畑で農家が畑を掘り起こしていたところ、偶然に安万侶の墓を発見した。木棺に入った人骨と、二行四十一文字が刻まれた銅板の墓誌が出土し、墓誌の銘文には、はっきりと「(おおの)(あそみ)安万侶」の文字があった。また安万侶の命日が(よう)(ろう)七年(七二三)七月六日であることも確認された。安万侶が(げん)(めい)天皇に『古事記』を献上したのが()(どう)五年(七一二)であるから、年代も一致する。墓の発見で太安万侶の実在が確認されたことで、古事記偽書説も雲散霧消した。


 記紀の後半部分にはかなり細かい記述があり、多くの固有名詞が現れ、記述内容と実際に出土した考古学史料とが一致することも多い。一方で、記紀にはとても史実とは思えない記述もある。

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