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旧皇族が語る天皇の日本史
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歴史
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第六章 天皇の近代

『旧皇族が語る天皇の日本史』
[著]竹田恒泰 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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 王政復古で新政府が成立したとはいえ、旧幕府勢力は健在であり、新政府を牛耳る薩長両藩に反感を抱く藩もあった。そのため、政権が安定するまではしばらく時間を要した。


 旧幕府の(かつ)(かい)(しゆう)と官軍の西(さい)(ごう)(たか)(もり)が協議し、(よし)(のぶ)の助命を条件に、(けい)(おう)四年(一八六八)四月、江戸城無血開城が実現した。幕府の本拠地である江戸城が、戦火を交えずに明け渡されたことは世界史上、非常に稀な例であろう。だが、幕臣の一部はこれを不服とし、抵抗を続けた。


 また新政府は、鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍の先頭に立って戦った会津藩を朝敵とし、東北雄藩に会津追討令を出した。しかし、東北諸藩はこれに消極的で、三十一藩から成る奥羽越列藩同盟が成立し、会津藩の赦免を願い出た。もともと会津藩主(まつ)(だいら)(かた)(もり)は、(こう)(めい)天皇の信任を得て京都守護職を担った廷臣である。会津が朝敵とされるのはあまりに酷であろう。


 奥羽越列藩同盟の成立は、新政府に対する北部政府が成立したことを意味する。北部政府は、慶喜の赦免のために水面下で活動していた(りん)(のう)(じの)(みや)(明治天皇の叔父)を盟主に擁立し、新政府に対抗した。宮が天皇を称したかについては諸説あるが、後年「東武皇帝」と呼ばれる。北部政府が皇族を立てて正統性を示したことにより、日本を二分する二つの政府が並び立ち、南北朝時代の再来ともいえる状況に至った。


 東北地方で旧幕府軍を加えて二つの政府間で戦闘になった。当初兵力は(きつ)(こう)していたものの、結局は会津藩が降伏することで奥羽越列藩同盟は崩れ去った。その後、北部政府の残党と旧幕府軍は()()に移動し、箱館戦争で()(りよう)(かく)が陥落すると、鳥羽伏見の戦いから続く()(しん)戦争はここに終結した。


 輪王寺宮は京都の朝廷に対して謝罪の書面を差し出し、謹慎を命ぜられるも、寛大な措置により一年ほどで謹慎を解かれ、皇族に復帰し、(よし)(ひさ)親王を称することを許される。親王はのちに(きた)(しら)(かわの)(みや)を継ぎ、明治二十八年(一八九五)に近衛師団長として台湾出征中に戦死することになる。


 戊辰戦争の最中、新政府は近代国家の基盤を着実に築きつつあった。慶應四年のうちに、新政府の基本方針を記した「五箇条の()(せい)(もん)」、新政府の組織を規定する「政体書」などが続けて出され、同年九月には明治に改元された。これまで天皇が任意に改元してきたが、明治以降は、一世一元の制が定められ、天皇一代につき一元号とすることになった。そして明治天皇の東京行幸が実現し、明治二年(一八六九)には東京遷都が行なわれ、「江戸」が「東京」と改められた。


 江戸時代の「藩」はそれぞれ主権をもつ「国」であり、幕府は多数の国をまとめる連合政権であった。たとえるなら現在のアメリカ合衆国に似ている。新政府が成立してもこの構造は維持されていたが、明治四年(一八七一)に大改革といえる廃藩置県が断行され、全国が政府直轄となり、いよいよ中央集権体制が確立した。各府県には政府が任命した府知事・(けん)(れい)が派遣され、旧藩主は地位を追われた。


 明治五年(一八七二)に太陰暦から太陽暦に変更されたのも大きな変革である。明治五年十二月三日が、明治六年一月一日に置き換えられた。本稿でも以降は、太陽暦を用いて記すことにする。また、明治九年(一八七六)には廃刀令が出され、続けて武士の()(ろく)を全廃する(ちつ)(ろく)処分が行なわれると、武士の精神的・経済的基盤は完全に失われた。


 やがて、新政府の中枢を担う者のなかにも、新政府の方針に反発する者が現れ、特権を剝奪されて不満を抱える士族と結びついて各地で叛乱が起きるようになる。その最たるものが、西郷隆盛が起こした叛乱、西南戦争である。


 西郷が自害すると、武力による新政府への反抗は実効性が乏しいと誰もが悟ることになり、以降は国会の開設を望む自由民権運動がさかんになる。これにより、武士が政治を動かす時代は終焉を迎えた。


 明治十三年(一八八○)、満二十八歳の明治天皇は、すでに政治的に覚醒され、政治に対して大きな興味を抱きつつ、連日内閣に臨御されるようになった。


 自由民権運動の嵐が吹き荒れるなか、憲法調査のために()(とう)(ひろ)(ぶみ)が欧州に派遣された。天皇は伊藤に、各国の王室・内閣・議会について調査するように命ぜられた。わが国は早期に列強と対抗しうる強国にならねば、いつ植民地にされてもおかしくなかった。

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