『マリリン・モンロー 魅せる女の言葉』
[著]高野てるみ
[発行]PHP研究所
誰も彼女を見出したりしていない。
彼女は自分でスターの座を築いたのだ。
ダリル・ザナック
(映画プロデューサー/脚本家)
生身のマリリンからセックス・アピールは感じたことがないが、スクリーンに映し出されると、そこから彼女の性的魅力が発散される。
ジョン・ヒューストン(映画監督)
マリリンは喜劇女優として天才的な才能に恵まれていた。滑稽な台詞をしゃべるための、特別な感覚があった。
ビリー・ワイルダー(映画監督)
彼女は、ガルボやチャップリンに並ぶ天才であり、奇跡だ。
ジョシュア・ローガン(映画監督)
マリリンは、苦しみなどとは無縁の「看板娘」であり、悩みや不安を超越した、永遠に若い性の女神であって、ふつうの人の手の届かない、神話のなかにでもいるような存在だった。
アーサー・ミラー
(劇作家/M・Mの三番目の夫)
至上最高の女優。
ジャン=ポール・サルトル(小説家)
1 好感
私のこと好き?
口に出さなくても、写真から、映画から、そのまなざしや態度で、そう確かめているようなマリリン・モンローの表情。セクシーなだけではなく男も女も虜にするマシュマロみたいな印象。独特のベビーフェイスで天使のような求心力の強い眼力。それらには、幼いころからの愛を求めてやまない心の叫びが隠れているのだと言うのは、夫であった劇作家アーサー・ミラーです。
幼少期、親の愛に恵まれず、不安な気持ちで成長した人間独自のものであると。また、それが一種の魅力となって人々を強く惹きつけるということも。
しかし、そういう生まれ育ちでなくても、人には誰にでも、常に人から好かれているのか、愛されているのか確かめたくなる自然の欲求があるものです。
欲張りかもしれないけれど、愛をたくさんもらえていても、より愛されたい。愛してくれる人がたくさんいても、もっとたくさんの人に愛されたいと思う気持ち。女性なら人一倍、この欲求があるはずです。モンローは自分に正直に、女としての最高の幸せ、愛される女をめざしました。女優となって、人々を魅了し、知り得ない人たちからも愛されたいと渇望したのです。
2 挨拶
ハーイ、私、マリリンよ。
愛されること、愛でられることが仕事のスターたちは、オフタイムとなれば人の眼を逃れ生きていく宿命を背負います。反面、気づかれないことの失望と不安で、常にこのジレンマと戦う複雑な生き物のようでもあって。
大スターの座を獲得してからのモンローが、プライベートで外出する時は、ノーメイクにサングラス、スカーフを顎のところで結ぶバブーシュカと呼ばれるスタイル。「マリリンじゃないですか?」と尋ねられたら、「あー、あの、お綺麗な方のこと?」と、煙に巻くのがお上手だったとか。
NYにいる頃の親しい友人で詩人で劇作家のノーマン・ロステンは、モンローによく誘われ、オジサンとオバサンカップルに変装し、難関突破して人目を逃れるスリルを楽しんだとか。素顔はとにかくお茶目で、楽しい気持ちにしてくれるのがモンローの魅力のひとつだったと言います。
二番目の夫であったジョー・ディマジオが、新婚旅行で来日時、集まる報道陣やファンのお目当てが、ほぼ100パーセント、米野球界のヒーローの自分ではなく、モンローだっただと知るや結婚に不満を持つ様になった話は有名です。
焼きもちも半端ではなかったようで、それだけ、モンローの桁外れの人気に圧倒されたということでしょう。ちなみに、次なる夫アーサー・ミラーは、モンローと共に群衆にとり巻かれることも多々ありましたが、ジェラシーなど感じることなく、ただただ映画界のスターというものは、聞きしに勝る求心力の持ち主であると感嘆。いつも彼女の守り役になり、仕事を中断した程でした。
モンローが『ショウほど素敵な商売はない』の撮影時、スタジオを訪れた映画・演劇関係者の面々に、「私がマリリンよ!」と耳元に囁きながら挨拶。
花のついた大きな帽子、大きなイヤリング、9センチのハイヒール、赤のマニキュア、黒のビキニに水玉模様の赤いペチコートをつけフリル一杯のスカートを巻いたいでたちのブロンド美人が、『ヒートウエーブ』を歌い踊る姿は、誰も見逃すはずもないのに、ね。
そんな、「私を、愛してくれるかしら?」という気持ちを込めて確認を求める挨拶には意味があり、彼女が「M・M」でいる時は、いつも真剣勝負中。
何とも愛らしいセルフ・プロモーションの才も、彼女の魅力のひとつでした。
3 女優
私は完全に私の望むままに仕事ができる。
なぜなら、
女優になることが
小さな頃からの一番の願いだったから。
実の父親に見捨てられたうえ、実の母親は精神を病み、入退院を繰り返していて、里親の家を転々として、孤児でもないのに孤児院での生活を余儀なくされ不遇であったと自ら語るマリリン・モンロー。いつも、一人ぼっちで、自分は必要とされていないのでは、という疎外感一杯の少女だったそうです。
肉親から愛情をたっぷりもらえなかった分の埋め合わせを、自分で勝ち獲り、幸せになりたい! 母親も憧れていたというハリウッドで女優になり、普通の子どもたちが一生かけても得られないような大きな愛に包まれたい、世界が跪くような有名なスターになることは、いけないことなんかじゃないと信じます。モンローに限らず、不遇の身の上から大スターになった男女は少なくありません。その出自を隠さず、むしろ強調され、成功者となるための理由づけのように掲げることが誇らしげであったりします。
また、実際の自分より、より幸福な女性や、もっと不幸な女性など、様々な女の人生を女優になって演じてみたい。そんな気持ちが人一倍であったのも、彼女の境遇あってのことでしょう。
4 ピアノ
幼い頃、私はあのピアノのそばにいる時が、
一番幸せだった。
マリリン・モンローの実母はグラディス・ベイカーといい、実父は母が勤めていた映画の現像所出入りのセールスマンで、C・スタンレー・ギフォードというクラーク・ゲーブルばりの好男子だったとか。グラディスがギフォードと恋に落ち、モンローを身ごもった時期には、未だモーテンセンという夫がいて、彼と離婚してギフォードと再婚するつもりでしたが、叶いませんでした。
よって、モンローは私生児になってしまい、一時ノーマ・ジーン・モーテンセンと命名されますが、グラディスが離婚後は、ノーマ・ジーン・ベイカーとなります。
母親はシングル・マザーとして働き、ノーマ・ジーンを育てるため、知り合いのボレンダー家に預けて毎週末には会いに来るという生活でした。