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万葉の心(毎日新聞出版)
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文芸
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心とことば

『万葉の心(毎日新聞出版)』
[著]中西進 [発行]PHP研究所


読了目安時間:23分
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よき人のよしとよく見て



 平安時代初期の大学者に菅原(みち)(ざね)という人のいたことはよく知られているが、道真は「万葉集」が大変むつかしい書物だといって嘆いている。彼のような大学者でもむつかしかったというのは、一つに「万葉集」が漢字ばかりで書かれているからである。


 当時はまだ平がな、片かなができていなかったから、中国から借りた漢字を使って記録したわけである。だから読む方もそうだが、書く方も大変苦心した。苦心して彼らは二つの方法を考え出した。一つは日本語と同じ意味の漢字を探してそれで書くこと。「いぬ」は「犬」、「うま」は「馬」というように。ところが、それでは日本語と漢字とがうまくかみ合わない場合がある。たとえば「うらさぶ」、何となくさびしいといったような時、「寂」でも「淋」でもいいようだが、やはり「さびし」と書く方が忠実である。仕方がないので、さ、び、し、という音のそれぞれの漢字を代用することを考える。これが第二の方法である。さらに「うら」ということばは全く意味が違うが「浦」という字がある。組合わせれば「うらさぶ」は「(うら)()()()」といった形になる。


 彼らはもっとも根本的にはこの二つの方法で万葉の歌を書いていった。だから前者と後者とだけでそれぞれ書くと、大変な違いになる。たとえば前者だけで書くと、一首の歌は


春楊 葛山 発雲 立座 妹念


といったなぞなぞのような形になってしまう。道真がむつかしいといって嘆いたのも、無理はないが、学者たちの長い努力の結果、これは「春(やなぎ)(かづら)()山に()つ雲の立ちても()ても妹をしぞ(おも)ふ」と読まれて、読者たちに提供されることとなった。


 またこの反対に後者だけで書くと、


和何則能爾 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母


という、これまたすぐには読めない字面になる。これを一字一字かなに直してゆくと、わかるわけで、「我が苑に梅の花散る久方の天より雪の流れ来るかも」という、大伴旅人のすぐれた一首なのだった。


 したがって、この双方をとりまぜて書けば、かなり読みやすい文字づかいになるはずだ。「万葉集」でも、大体この両方を使って書いているが、右の旅人のように書いた部分も、けっして少なくない。これを一字ずつ平がなに直したのが、平安朝のかな文字なのだから、むしろこうした書き方は、「万葉集」でも新しい時代に現われて来る。


 しかし、彼らはただ苦労しながら、一首一首の歌を書いたのではない。かなという便利なものがあるなどとは、つゆ知らないのだから、むしろ積極的に、漢字による書き方を楽しもうとさえしている。


よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ

天武天皇(巻一、二七)



 一見してわかるように「よし」ということばを重ねることに興じたもので、八つもそれが出て来る。これは万葉時代に流行したたわむれで、坂上郎女は「来むというも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを」という歌を男に返している。どういう意味か、考えるのがけっこう楽しみでさえある。


 そこで右の歌だが、「よし」のくり返しをただくり返して書いたのでは、書き手の男がすたる。彼はこう書いた。


淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三


「よし」を六つに書き分けたのである。おまけに「四」だから最後は「三」と。

「万葉集」の書き手は時と場合によって、さまざまだが、彼らはおおむね官職の上でも、書記官とか、仏教の経典を写すとか、書き手としてつとめていた人たちである。したがって文字の熟達者で、いろいろな技巧をこらしている。「(いろ)()山上復有山()」は何とよむかわかるだろうか。「山の上にまた山がある」というのだから「(いで)」である。ところがこれは中国にあるなぞの詩の一節をそのまま使ったので、彼の学識を示すものなのだった。


 同じような技巧は、


たらちねの母がかふ()(まよ)ごもり馬声蜂音石花蜘蟵あるか妹に逢はずて

作者未詳(巻十二、二九九一)


にもある。

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