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日本は本当に「和の国」か
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人文・科学
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第一章 日本人のアイデンティティとは何か

『日本は本当に「和の国」か』
[著]吉木誉絵 [発行]PHP研究所


読了目安時間:47分
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 自分が「日本人」であることを意識して日常生活を送る日本人が、日本にどれだけいるだろうか。訪日観光客の増加と共に、街で外国人にすれ違う機会は増え、そのときに、ふと「あの外国人観光客はどこの国から来たのだろう」と思うと同時に、自分が日本人であることをなんとなく感じることはあるかもしれない。しかし、それもほんのささやかな一瞬のことで、すぐに意識は日常のざわめきの方へと引き戻されるだろう。


 そもそも、アメリカ、香港、シンガポールなどのように世界中から多様な人々が集まっている諸国と比べると、日本における個人の生活において「日本人であること」をわざわざ意識する機会など、ほとんどない人が大半であると思われる。


 かく言う私もその一人で、高校でアメリカに渡るまで、自分が何人かなど深く考えたことも、その必要性もなかった。それまでの海外旅行やひと夏の海外でのホームステイの際、他国の人と接する機会があっても、自分が日本人であるということは、自分が属する国を他国の人々と識別する以上の意味を持たなかった。無論、異なる文化や風習に触れることで、それらと比較して日本らしさを感じることはあった。しかし、それは漠然とした感覚で、それが即ち、自分が日本人であるという認識──日本という共同体を意識した上でそれを自分という個人のアイデンティティに重ねるような感覚──を持つまでには至らなかった。


 私の中で、自分という個人の存在と日本という共同体は長らく切り離されていた。しかし、高校でアメリカに行ったとき、日本人である自分をどうしても意識せざるを得ない状況になる。


 それまでの私は、日本の歴史や文化に対して無関心を決め込み、むしろ日本に劣等感を覚え、日本を褒めることに対し嫌悪感に近いものすら覚えていた。小学生の頃、自分の父に日本の偉人を紹介する本を勧められたとき「教科書にも載っていない、たいしたこともない人たちを、自分の国を美化したくて無理やり取り上げた本」という思いで、その本を開きもしなかった。日本の賞賛は空しいものだと、そのような類の本をどこか軽蔑する目で見ていた。興味はいつしか海外、特に欧米文化に向けられ、日本を出ることを決意。高校はアメリカの現地校に進学した。

民族について意識せざるを得なくなった、とある事件


 私が留学したのは、アメリカ中西部の最も北に位置しカナダの国境に接するノースダコタ州の、ファーゴという町にあるキリスト教系の私立の現地高校だった。ノースダコタはアメリカの中でも辺境の地のようである。日本で会うアメリカ人にノースダコタに留学していたことを伝えると、必ず「アメリカ人でも行かないくらい田舎の場所なのに」と驚かれる。アメリカ人でもほとんど訪れる人はいないのだから、日本人となると非常に限られる。私が通っていた高校には日本人はほとんどおらず、同学年の中となるとアジア人は私のみ、英語を母国語としないのも私一人だけだった。


 アメリカの最果ての地、ノースダコタの冬は長く、極寒だった。一番寒い時期は風速によっては体感温度がマイナス六〇度を下回ることもあった。そうなるとますます世界は閉ざされてしまう。しかし、そんな分厚い氷のカーテンの中で生きる人々は、ノースダコタの寒さを愛していたし、どのように暖を取るかよくよく心得ていた。頻繁に親戚や友人をホームパーティーに招き、料理を楽しみ、語らい、大きな刺激よりもささやかな日常を()としていた。しかし高校生の私にとって、このような異国の地での生活は、たとえ閉鎖的だったとしても毎日が刺激的だった。


 また、ノースダコタに留学する変わり者は私だけではなく、別の学年には少数だが、サウジアラビア、スーダン、中国、韓国などから来ている生徒がいた。また、アメリカ人といっても、厳密にはドイツ系、イタリア系、メキシコ系、ノルウェー系など様々なルーツを持っている。多様なバックグラウンドを持つ友人たちは、私が日本人であるということを気づかせ、また異文化生活という環境は、自らの文化やルーツについて否が応でも考えさせるものだった。



 そんなアメリカでの日々の中で自分のルーツやアイデンティティといったものに思いを()せるようになった私が、それらとさらに深く向き合う大きなきっかけとなった、ある事件が起きた。それは高校生の私にとって衝撃的で、(むご)く悲しい事件だった。私の住んでいるノースダコタ州の隣に位置するミネソタ州の高校で銃乱射事件が起こったのだ。そして、その乱射事件の犯人は、私と同じ高校生で、アメリカ・インディアンの少年だった。


 私も町の中でインディアンと(おぼ)しき人々に何度かすれ違ったことがあるが、ノースダコタ州を含む北部中西部をはじめ、アメリカにはインディアンの居留地(Indian Reservation)という、政府が指定するインディアンが住むための土地が多数存在している。白人らが土地を開拓する中で先住民であったインディアンと対立することになった際に、勝手に居留地を決めてそこにインディアンたちを追い込み、条約を結ばせ事実上強制的に住まわせた場所である。今でも数多く存在するが、そのほとんどは荒地の不毛地帯である。居留地に住むインディアン達に対し政府は資金援助をしているため、インディアンたちは自分で稼ぐことをしなくても最低限の生活は送ることができる。しかし、それは政府が親切でやっているのではなく、インディアンたちが反逆を起こさないように“飼い殺し”しているというのが現実であろう。


 居留地内では産業が発達せず、インディアンたちはカジノ経営などを主な収入源としているが、現在でもインディアンの貧困率は二八%と他の人種と比べても抜きん出て一番高く、失業率も五〇%を占め、若者の自殺率は全米平均の三倍にもな()。他にも、特に居留地内の教育水準の低さ、アルコール依存、ドラッグの使用など多くの問題を抱えてい()。ちなみに、同じインディアンでも、純血のインディアンの貧困率が最も深刻であり、一方で白人との混血のインディアンの貧困率は最も低いということがわかっている。


 事件が起こったミネソタ州の名前は、アメリカ先住民であるインディアンのダコタ・スー族の言葉で、「曇り空の色に染まった水(sky-tinted water)」を意味する"Mnisota"(彼等はミネソタ・リバーをそう呼んでいた)に由来する。ノースダコタ州とその真南にあるサウスダコタ州の「ダコタ」とは、ダコタ・スー族の「ダコタ(Dakota)」に由来し、その意味は「仲間、同盟者」である。スー族とは三つから成る部族連合の総称で、アメリカ北部中西部を中心に先住していた部族であり、ダコタ族はその一部族である。


 銃乱射事件は、そんなインディアンの言葉を由来に持つミネソタ州にある居留地内で起こったものだった。二〇〇五年三月、ミネソタ州のレッドレイク先住民居留地(Red Lake Indian Reservation)内にある高校で十六歳の少年が銃を乱射し、自分の祖父や学校の警備員、生徒を含む九人を銃で殺害、五人を負傷させ、そして最後は教室で自らを銃で撃って自殺したのだった。


 私が通っていた高校のアメリカン・フットボール場の真横にはレッド・リバーという川が流れており、その川がミネソタ州との州境で、事件の場所となったレッドレイク先住民居留地は学校から車で三時間ほどのところにあった。広大なアメリカにおいて車で三時間の距離はとても近い場所に感じられる。私は、自分が学校で平和に勉強している間に、傍の学校でそのような残虐な事件が起こり、しかも犯人が自分と同年代の少年であるということに大変なショックを覚えた。


 私にとってその事件がただの痛ましい事件で終わらなかったのは、その事件が外圧によりインディアンという民族の文化や歴史を否定、もしくは誇りに思えなくなるような政策が行われている居留地という場所で起こったからだった。インディアンたちは、その歴史上、白人開拓者から自分たちの言語をはじめとした数々の文化を否定され、いまだに民族としての誇りを持ちづらく、居留地でも無気力が支配していると聞く。犯人の少年が事件の前年である二〇〇四年に、実際にインターネットへ書き込んだ内容を見ると、それがよくわかる。


 少年は、「文化に対する圧倒的支配と人種混血の結果、純血なネイティブ(先住民)はほとんど残っていない。自分が住んでいる居留地では、自分の部族の言葉を話せる人は一%以下だ。若者の間では黒人になりたいという願望が蔓延(はびこ)っている。

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