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世界遺産のひみつ
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歴史
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第3章 崖っぷち世界遺産のひみつ

『世界遺産のひみつ』
[著]宮澤光 [発行]イースト・プレス


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ウィーンの歴史地区

進化なのか、破壊なのか



 モーツァルトのピアノソナタ第11番をご存知ですか? 3楽章がエキゾチックなリズムと旋律で「トルコ行進曲」と呼ばれている曲です。モーツァルトはヴァイオリン協奏曲第5番の3楽章でも「トルコ風」とされる旋律を使っていて、トルコの音楽がモーツァルトにずいぶん影響を与えていたことが分かります。19歳の時に書かれたヴァイオリン協奏曲のほうがインパクトのある旋律になっている気がします。しかし、こうしたトルコの影響を受けたのはモーツァルトだけじゃなかったんです。


 1617世紀にかけて、強大な力を誇るトルコのオスマン帝国がヨーロッパの地を東から狙っていました。その矢面に立っていたのが中欧の国々です。中でも、モーツァルトが活躍したウィーンは、都市の周囲を2度もオスマン帝国軍に包囲され、あわや陥落か? という危機に直面していました。イスラムのオスマン帝国軍は軍楽隊を連れており、彼らが奏でるメフテルと呼ばれるエキゾチックな音楽が城壁の外から聞こえてくるのを、ウィーンの人々はどんな思いで聞いていたのでしょう。


 オスマン帝国は、当時のヨーロッパの人々に大きな恐怖と同時に、異国文化への関心を呼び起こしました。トルコ風の音楽やコーヒー文化などが受け入れられていきました。怖いもの見たさというやつでしょうか。だからといってオスマン帝国に国家を明け渡すわけにはいきません。ウィーンはオスマン帝国に包囲されるたびに都市を囲む城壁を強化していきました。中世のヨーロッパでは都市の周囲を城壁(市壁)が囲んで都市の内側と外側がはっきりと区別されており、城壁は自立した都市のシンボルでもありました。


 19世紀初頭、ハプスブルク帝国の帝都であったウィーンは人口が急増していました。城壁のために都市を広げることができないため、内部は建物や人でもうぎゅうぎゅう詰めでした。内部を守ってくれる城壁は、都市の発展を妨げる「壁」でもあったのです。そこで、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は城壁を取り除いて近代的な都市へと生まれ変わる都市改造計画を決定します。都市のシンボルを破壊するなんてずいぶん大胆な計画ですが、パリが都市の大改造で成功したのを彼は知っていました。それに加え、帝都でありながら自立した歴史をもつ都市としてしばしば皇帝と対立するウィーンを、帝国の中で位置づけし直す意味もありました。


 1858年から城壁の解体が始まると、跡地にはリンクシュトラーセと呼ばれる広々とした環状道路が築かれ、環状道路の周りには、新たに市庁舎や議会議事堂、アール・ヌーヴォー様式のカールスプラッツ駅の駅舎などが築かれました。近代建築の巨匠のひとりオットー・ワーグナーが設計したカールスプラッツ駅の駅舎は、後に取り壊しの危機に直面しますが、当時は時代の最先端をいくデザインでした。こうして今も見られる、中世から近代の建築が混在する独特な歴史的都市景観が完成しました。この都市改造が世界遺産としても評価されています。


 しかし、こうした都市の大改造を経たウィーンですが、現在、新たな都市開発計画が問題となり、危機遺産リストに記載されています。世界遺産の登録範囲内で進められている、ウィーン・アイススケートクラブとインターコンチネンタル・ホテルの再開発が、都市の景観を破壊するものだと判断されたのです。問題になったのがその高さでした。「美しい眺め(ベルヴェデーレ)」という名前をもつベルヴェデーレ宮殿から眺めると、その視線の先に、伝統的な街並みの中からぽっこりと近代的な建物が頭を覗かせるような計画だったからです。これは「ブルットヴェデーレ(ひどい眺め)宮殿」と改名すれば済む問題ではありません。ウィーンでも市民を二分して大きな論争となりました。


 開発賛成派は、都市は生きているので変化していくものだということに加え、開発によって新たな雇用が生まれ海外からの投資も呼び込めるという意見です。反対派は、先人から守り伝えてきた景観を破壊することは都市の文化や住民の生活の質を下げるだけでなく、訪れる観光客の満足度も下げてしまうという意見です。これはどちらが正しいというわけではないので、結論を出すのが難しい問題です。雇用問題や住民の高齢化などを言われると反対しにくいところもありますし。現在は、ウィーン市が再開発に積極的であることもあり、再開発の方向に傾きつつあります。もしかすると近い将来、ウィーンは世界遺産ではなくなってしまっているかもしれません。


ウィーンの歴史地区


オーストリア共和国

[登録基準]②④⑥

ウィーンの旧市街とリンクシュトラーセ周辺の都市改造と、中欧に位置することでみられる文化交流の歴史や芸術の都としての価値が評価されている。


サン・テミリオン地域

温暖化が奪うかもしれない世界遺産の座



 大学院時代の友人の影響もあって、旅先で造り酒屋があると覗いてみたくなります。日本酒について詳しくないのですが、ご主人の話を聞きながら試飲させてもらっていると、その地の気候風土がこの地酒を作り上げているのだなと納得します。だってご主人はどなたも地元の気候風土に詳しく、それが地酒にも反映されているように感じるからです。しかし、そうした文化を育んできた気候風土が今後大きく変わってしまうかもしれません。


 2014年に「国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」から出された報告書で、地球温暖化の影響がすべての大陸と海洋で生じていると警鐘が鳴らされました。陸上の気温が1980年代頃から大きく上昇し、過去1400年間で最も高い気温を保ち続けていること、北極域の海氷面積が1980年代頃からかなり減少していること、海面の水位の上昇率が20世紀初頭から上がってきていることなどが報告されています。これが人類の経済活動による温室効果ガスの影響なのか、地球全体のサイクルなのか、確実な原因は分かっていません。しかし、中世でも一部の地域で気候異常があったものの、現在のように多くの地域で一貫性をもって発生したものではなかったことを考えると、IPCCの報告にもあるように、経済活動(人間活動)の要因が大きい気がします。また、報告書では同時に、温暖化により農作物の収穫量の減少や、それによる農作物価格の高騰、資源を巡る紛争、集中豪雨や旱魃など自然災害の増加などが起こるとされています。まさにディストピア的な状況です。


 科学雑誌「エンヴァイロメンタル・リサーチ・レターズ」に掲載された、世界遺産と気候変動の関連を論じる2014年の論文によると、調査した文化遺産と複合遺産の720件のうち、気温が3℃上昇すると136の遺産が水没し、5℃上昇すると149の遺産が水没するとしています。実際、パラオ共和国などは海面が1993年以降、毎年9mmも上昇しており、国土自体が水没してしまうのではないかという深刻な状態にあります。当然、その時はパラオの世界遺産「ロック・アイランドの南部ラグーン」は水の中でしょう。また気候変動は、海面上昇だけでなく地球環境を大きく変化させます。フランスの「サン・テミリオン地域」がブドウの生産に適さなくなれば、その文化的景観としての価値は損なわれます。ブドウがだめならマンゴーにしたら? という単純な問題ではありません。


 サン・テミリオンは、ボルドー地方のドルドーニュ川右岸に続く小高い丘にあり、起伏のある丘陵地帯が特徴です。穏やかな海洋性気候と大陸性気候を併せもっており、水も豊富なため、古代ローマ時代からブドウが栽培されてきました。8世紀にキリスト教の修道士である聖エミリオン(サン・テミリオン)がこの地の洞窟で修道生活を送ったことが街の始まりです。そのため聖エミリオンは街の守護聖人になっています。その後、この地を通過するサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者達が、サン・テミリオンのワインの美味しさを広めたために、ワインの名所として有名になりました。

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