パーソナリティと魂を同調させる
魂ってそもそも何?
二〇一四年一月に、父が永眠しました。お昼寝をしたまま、旅立ちました。
同年一一月には、父の双子の弟(叔父)が、他界しています。お友だちと麻雀を楽しんで、着替えの途中に、イスに腰掛けたままです。
二人は、十分違いで、この世に生まれ、十カ月違いで、亡くなったのです。
二人の共通点は、「朝の人参りんごジュース生活」です。人参嫌いの叔父は、人参は少しだけの、ほぼりんごジュースを、毎朝、飲んでいました。
朝食を、自家製ジュースにすると、ピンピンコロリと、天に召されることができる……のでは? と、今になって、思います。自宅で亡くなるのが、珍しい日本です。
近くの内科医の先生が、「開業して四十年になりますが、自宅で息を引き取られた方の、死亡診断書を書いたのは、お父様が、初めて。叔父様は、お二人目です」と、話しておられました。
二人共、心臓が弱く、父はカテーテルが九本入っており、叔父は、バイパス手術を受けており、胸に大きな十字のキズがありました。
薬もたくさん処方されていて、病院と縁の切れない暮らしでした。それでも、自宅で、日常生活のリズムの中で、息を引き取ることができたのです。
父は、朝の人参りんごジュースを作り続けてくれました。私のガン闘病中は、三階の私の部屋まで届けてくれて、少しお喋りをして帰っていくのが習慣でした。
父の存在がなかったら、人参りんごジュースを、毎日飲み続け、ガンが消えることはなかったと思います。
階段も自力で昇れない状態だったので、八百屋さんへのお買い物も、ままならない。たとえ、八百屋さんの配達を利用したとしても、ジューサーで自分のジュースを作り続けることができたとは、思えません。
父に、生命を救われました。思い出すだけで、目頭が熱くなります。パパ、ありがとう……。
父が亡くなってから、私の生活は、一変しました。母との暮らしが、スタートしたのです。
叔父が亡くなってから、私のプライベートな時間は消えました。子どものいない叔母とも暮らすことにしたからです。
二人の身辺整理で、六トンのモノを処分しています。
二人共、あなたに任せるわ~と、他人事です。泣きたい日々が続きました。父と叔父に、文句タラタラです。
母も叔母も、二人して、銀行通帳の仕舞い場所すら知らないのですから。
父に文句を申し立てても、父の体は火葬され、骨と化しています。どこかに存在するであろう、父の魂を探していました。気配がしないかと、目をこらせば見えるのかと。
ふと、そもそも“魂”って何?? という疑問に、ブチ当たったのです。
肉体から離れた父の魂は、エネルギー体として存在するのでしょうか?
「愛は、魂からやってくる」?
書棚の『魂との対話』ゲーリー・スーカフ著を、手に取ったのは、その頃です。ポストイットだらけの本ですから、何回か読んだ痕跡はあります。
本を読みながら、感動したページには、ピンク色のポストイットを、よくわからない個所には、グリーンのポストイットを貼る習慣があります。
『魂との対話』は、グリーンのポストイットだらけで、広がっていました。
“魂”のことを知りたい! と動機を持って読み返すと、心に響くものです。以来、何回、読み返したことか……。今では、ハードカバーの表紙がハズれてしまっています。
危険を承知で、この一冊を要訳するならば、
*宇宙は、生きている。そして進化し続けている。
*私たちの魂は、宇宙の一部であり、繋がっている。
*宇宙は、愛に満ちている。
*魂も、進化し続けている。
*私たちの魂は、愛に向かって、進化している。
*私たちの肉体を含むパーソナリティーは、魂の本来のエネルギーと、ズレている。
*私たちが、この地球上で手にする体験のすべてが、自分のパーソナリティーと、自分の魂との「同調」を促すものである。
今の私のレベルでの、理解です。
いかに、パーソナリティーを、進化させるのか?
*この世に存在する、いかなる形の生命をも愛すること。
*自分が出会う、いかなる人間をも裁かないこと。
*どんなに小さな生命、あるいは物事のなかにも意義と目的を見いだすこと。
この簡単そうで、とてつもなく高いハードルを越えることで、パーソナリティーと魂を「同調」させることが可能である。と説かれています。宇宙に「御心のままに」と言えるように。
そして、そして、「愛は、魂からやってくる!」と、断言されているのです。
なぜならば、宇宙は、純粋な愛のエネルギーで満たされていて、私たち、おのおのの魂は、宇宙の一部だからです。
ファンタジーだとしても、美しい物語です。
著者のゲーリー・スーカフ氏は、ハーバード大学卒業の量子物理学者です。ある時期から宇宙が彼に語りかけてくるようになり、地球上で初となる「魂の物理学」が、情熱の対象となっています。
『魂との対話』を読み込んでみて、いつしか私の中で「魂」「愛」「宇宙」「神」「光」が同義語、同列の言葉になりました。
宇宙が語りかけてきた美しい物語に魅せられ、私の関心は、パーソナリティーと魂を「同調」させることに移りました。
「同調」させる→チューニングする→波長を合わせる……「波動」。
……キーワードが「波動」だなぁ~と、「波動」を追いかけることになりました。
「波動」って、馴染みのある言葉ではありますが、知っているようで、よくわからない。
このときも、書棚に並ぶ一冊の本に手が伸びました。足立育朗著の『波動の法則』。ずいぶんと古びています。本を手に取ると、二五年以上前にタイムワープするようでした。
「波動」の法則
三十歳になる頃、穂高養生園に足繁く通っていました。きっかけは、芹沢光治良さんの文学愛好会で知り合った、湯川れい子さんのご紹介です。
早朝、穂高の山を散歩して、ヨガをして、一日二食の玄米菜食をいただいて、薬湯につかる。さらに川で泳いだり、人生初の田植えも体験しました。
都会で育ち、田舎のない私にとって、濃すぎる自然との関係が、どれもこれも新鮮でした。
穂高養生園で、不思議な絵を描かれる、足立幸子さんと出会いました。
お兄様の足立育朗さんが「波動」の研究家で、素晴らしい発見をなされ、「波動の法則」の勉強会を開いているから、参加なさっては? とお誘いいただきました。
当時「波動」には、全く興味がなかったのです。横尾忠則さんもご出席と聞き、八ヶ岳のセミナーに参加してみました。
勉強会の内容は、ちんぷんかんぷんで、私の理解能力をはるかに越えており、ただ座っているだけ、いや居眠りしているだけでした。
なのに、通い続けたのは、八ヶ岳の星空が、あまりにも美しくて……それでも通っていれば何かしら学べます。
「この世に存在するモノ、全てが『波動』を持っていて、波動数の違いだけで、形成のされ方が違うこと」私とペットの犬とも波動数の違いがあるだけ? 本当ですか? が、正直な気持ちでしたが、波動の元の元の元を極めると、原子・原子核・電子・中性子・陽子……と、おのおの働きがあるということで、それぞれの周期形や、回転スピードの模型を作ったりもしました。
でき上がった模型も、平面図も、美しくて、これが、宇宙の成り立ちの根源! と、感動だけは、参加者の方々と、共感できました。
通い続けて、よかった~と、思えることが、人間の「意識」は、中性子と同じ動きと振動数を持っているということです。
「あらゆる物質の元となっているもの、それが、原子核。その中に、中性子と陽子がある。その中性子が「意識」であるということは、どんなものも全部が、「意識」で構成されている!! 目に見えない空気も、「意識」を持っている」というのです。
それでは陽子は? というと、陽子は「意志」を持っている! 中性子が「意識」で陽子は「意志」。
陽子は「意志」であると同時に、自然の法則の「愛」という構成。
中性子の方は「意識」があって感情の役割があり、常に「調和」を、とり続けている。
・陽子=意志=愛
・中性子=意識=調和
基本的に、原子核は、中性子と陽子が、結びついて、でき上がっています。
極論ですが、「愛」と「調和」が、全ての存在物の素になっている。これは、地球上でいう全ての存在物です。
「愛」と「調和」が、私たちの身体の素。シビレました。感電したかのように感動したことを、記憶しています。
「愛」と「調和」に向かって、波動をチューニングし直せば、純粋な「魂」のエネルギーとなり、パーソナリティーと「魂」を「同調」させることが叶いそうです。
以来、「波動」という言葉に敏感になり、「高波動」と聞くや飛びついて、様々色々と、試しています。
神様って、スゴイ!
事の発端は、一昨年の春、熱海から京都へ引っ越して、半年頃のことです。親しくさせていただいている、宮古島の神女・マキコさんからの一本の電話です。マキコさんは産休中でしたので、久しぶりの電話でした。
「お引っ越しした? 夕べ、富士山の神様が来て、京都の神様方から、テルミさんが引っ越しの挨拶に来てるけど、聞いとらん! って……。富士山の神様とか、熱海の神様に、引っ越しの挨拶をした?」
「はぁ? していないです……」
「ご挨拶した方がいいね~。お世話になりましたって。京都の神様に、お繋ぎのお願いもしないとね~」
作法・日取りなど、アドバイスをいただいて、すぐに、お参りに出かけました。
会社に神棚をお祀りして六年。新年に御札を取り替えて、を儀礼的にしているだけでした。富士山の浅間大社さん、熱海の来宮神社さん、そして天照大神様の御札です。
京都に引っ越して、古い御札はそのままにして、京都の神社に、勝手に、お参りして、御札を足していたのです。
富士山・熱海と、お礼と引っ越しのご挨拶をすませ、京都の神社三社へ、引っ越しの報告をして、自宅に御札をお祀りする日、その朝のことです。
神棚にお供え物をして、御札をお祀りして、神女さまが、遠隔で、神扉を開いてくださると聞き、神棚の前で手を合わせていたら、電話が鳴りました。神女さまからです。
「赤飯、悪ないな~って、神様が言ってるけど、お赤飯、供えてる?」
ドキッと、しました。お供え物リスト外でしたが、お目出たいからと、勝手に、お赤飯を追加していたのです。
「ごめんなさい。お赤飯、下げます~」
「いいんじゃない? 悪ないな~って、喜んでるみたいよ」
他愛ない会話と思われるかもしれませんが、心底、驚きました。驚いたと同時に、神様を身近に感じる体験となったのです。
神様って、お赤飯、お好きなんだ~と。
家には、お仏壇がないので、神棚に、頂き物やお菓子を、欠かさずにお供えする習慣が、スタートしました。
そして、朝と晩に、神棚に向かう習慣も、身につきました。
昨年の秋から、引っ越し先を探していました。京都に移ってきてから住んでいたマンションの規約上、犬二匹それも中型犬一匹が、違反なのです。
この機会に、自宅と会社を、一緒にしたいと、物件を探していたのです。欲深いことに、気学上でよい方角でありたい、と条件は難しくなるばかり。三カ月間、徒労に終わっていました。
ここでまた、神女様の登場です。
「引っ越し先探し、神様と一緒に探したら? 神様たちの方が、探すの上手だと思うよ~」
へぇ~? 神様と一緒に? 不動産探し? 「神様と一緒に!! 不動産を探す!」めちゃくちゃ気に入りました。
「どうやったら、神様に一緒に不動産を探してもらうことができるのでしょう?」
お答えには、気が抜けました。
「神社に行って、一緒に探してください、ってお願いすればいいだけよ」
神社へのお参りが、通り一遍から、気合いが入りだしたのは、このときからです。
神様って、スゴイ!
ものの、一週間で、候補の物件が見つかりました。市役所で、申請が必要なことは、仲介業者さんが、丁寧に、一カ月をかけて、解決してくださいました。
自宅から先に引っ越すこととなり、リフォームも、神懸り的なスピードで終わったのです。だって、“神懸り”ですから。
引っ越し先は、理由もなく大好きな上賀茂神社の参道に建つ一軒家です。このお家の前を、毎日犬の散歩で歩いていました。
己れの人生を、明け渡す
京都で、これ以上はない眺望で、鴨川越しに、正面が比叡山、東に、大文字東山、北に、北山に連なって鞍馬山が見えるのです。
朝日は、大文字東山の肩越しに昇ります。木造住宅ですから、寒いは寒いのですが、ペレットストーブ設置で解決です。
バタバタと引っ越しから片付けを終えてみると、会社まで、バスで一〇分。徒歩時間を入れても二〇分。叔母の介護施設まで、地下鉄で四駅。ドアツードアで、三〇分。犬の散歩は、目の前が、賀茂川遊歩道です。バス通りがなければ、ドアから犬たちを放して、勝手に散歩に行かせたい環境です。
自分の実力を越えた、恵まれすぎた物件です。木造の一戸建てはイヤ、マンションか、ビルがいい、と探していたことを、神様に謝りたい。陽当りのよい家がこんなに快適だなんて。
この引っ越し先の物件探しで、コツを掴んだと申しましょうか。自分で考え、動き回るのは、ムダだ! ということが、よく理解できたのです。
あんなに、ネットで不動産検索して、問い合わせをして、もう、どこの業者さんが、どの物件の内見希望のことを話しているのか、わからないぐらい探していました。
神様に、「一緒に引っ越し先の不動産を探してください」とお願いをした一週間後に、別の物件を内見に行く道すがら、「あらっ? このお家、空家になったんだ~」と、目について、仲介業者さんに、家主さんにコンタクトを取ってもらい、トントンと、話が進んでいったのです。
私は「神様と一緒に!」というフレーズが、気に入っています。
神様って、スゴイ! 畏敬の念って、こういうことか。畏れ入るって、こういうこと。
「神」と「宇宙」、「魂」「愛」「光」が、私の中で、ほぼ、同義語です。
人生を「神」に委ねる。
人生を「宇宙」の流れに、任せる。
「魂」の声に従う生き方を。
「愛」に基づく生き方を。
「光」に向かって生きる。
今まで、読んで聴いてを繰り返しながらも、我が強くて、どうしたらよいのか、わからなかったのです。
「神様と一緒に!」は、今の私にとって、ちょうどよい指針となりました。
私の知識や経験とは、比べようもないデータバンク、人材バンクを、神様は、お持ちです。何をするにも、決めるにも、どこへ行くにも「神様と一緒に!」です。
このことが、どれだけのパワーを持っているのか? は、計測不可能ですが、心強さといったら、百人力どころか、怖いものなし。
きっと大丈夫。神様が、よき采配をなさるから、と、安心感に包まれます。
自分の好き嫌いにこだわらず、頭の中を絶えず駆け巡るエゴの力に負けず、自分を空っぽにして、無心になって、全ての事の流れを、神様に明け渡す感覚です。無心であれば、ブレようがありません。「無」なのですから。何の影響も受けません。
眼の前に与えられた仕事、人、私の場合は犬たちは、神様からのキャスティングです。
流れゆく人生は、神様が、私に与えたもう、最も美しい物語となります。
神様ってスゴイ! と、畏敬の念を持ててから、朝晩のお祈りも、姿勢を正し、手だけでなく、神様と心を合わせたいと、願う時間となりました。
幼な友だちが難病闘病中で、時間を合わせて一緒にお祈りしています。
「祈り」とは、神様とのチューニング、波動調整だったのです。
ガン闘病中、そして社会復帰までの三年間、苦しくて、苦しくて、祈ってばかりいました。
一番熱心に祈っていた「聖フランチェスコの祈り」の冒頭が、
「神よ、私をあなたの平和の道具として、お使い下さい」
一〇年、祈り続けて、やっと、この一行に、畏敬の念を抱けるようになりました。
私は、一〇年以上、アリスという天使と一緒に暮らしています。守護天使です。話しかけますし、あれこれと、相談しています。絶対的な存在感もあります。
その上、神様と一緒に暮らせるだなんて!
神様は、はるか遠く手の届かない天上の存在ではなく、私たちのごく身近におられました。
私は、残念ながら、神様の声を聞けるレベルには至っていませんが、証しを読み取ることはできます。
神様方にも得意分野が、色々とおありです。どんなときでも、どんなことでも、「あっ! それの担当、わたし!」という感覚で、導いてくださいます。
いつも頭の中が、オーバーヒートして、あ~でもない、こ~でもない、と、騒がしかったのが、シ~ンとしています。
この行き着く先に「光」の世界がある
誰よりも頑張って、我慢も努力もしてきたつもりなのに、自分の人生が、思い通りになんてなりませんでした。
まだ数カ月ですが、別次元に放り出されたような、大変化です。
判断は、神様に明け渡したのですから、自分の好き嫌いで、ジャッジをしない。人もコトも、モノもです。
好き嫌いを、手放せば手放すほど、世界がどんどん広くなりました。
常に、何かをジャッジするのに、どれだけ自分が振り回されていたことか!
好き嫌い、善悪、損得……自分で判断しなくてよいと、気づけたら、人生、ヒマになりました。時間が、ゆっくりと流れ始めたのです。
この行き着く先に「光」の世界が、きっとある。その世界にふさわしいように、「愛」と「調和」のエネルギー体である「魂」と同調したパーソナリティーが、磨かれていくのだと思えます。
やっと、スタートラインに立てました。
宇宙のスケールでは、一瞬でも、私の人生の三〇年近く続けていた「スピリチュアル・ジャーニー・自分探し」の旅の途上で、やっと一つの島に泳ぎ着いて、ひと休みして、陽なたぼっこを二匹の犬としている気分です。
いまだかつて、味わったことのない、内なる平和な時間の流れ方です。
今まで、誰と一緒でも淋しくて、心細かったのに、淋しくないのです。
だって、神様たちが、一緒です。
だって、神様たちに、愛されています。
きっと、父の魂とも、いつも一緒です。
……とても、幸せです。
抗えない大いなる見えない力に、
生かされている……
私たちは、生きているのではなく、
生かされている! と気づくこと。
これが“幸せなんだなぁ~”
幸せ不感症と不幸中毒症を、長患いしていました。
幸せは、外から与えられるものではなく、自分で、気づくだけでした。