『呼吸を変えれば「うつ」はよくなる! 研究医が教える禅的呼吸法』
[著]有田秀穂
[発行]PHP研究所
睡眠物質「メラトニン」
セロトニンは覚醒しているときの心と体に影響を与える物質ですが、それとは逆に、睡眠を演出する脳内物質も存在していることが、ここ一〇年ほどの研究でわかってきました。
その物質の名前は「メラトニン」。セロトニンと「トニン」の部分が共通していますが、それもそのはず、メラトニンはセロトニンから作られる物質なのです。
日本ではそれほど話題に上りませんが、メラトニンは欧米では大ブームを巻き起こし、ドラッグストアでも人気の商品です(日本の薬局では販売されていません)。なぜかというと、この物質は夜の睡眠を誘発するほか、夜に体内で行われるアンチエイジング(老化防止)にも関与しているからです。
私たちは呼吸によって酸素を体内に取り入れ、食品から得た炭水化物などをその酸素で酸化し、そのときに発生するエネルギーを生命活動のために使っています。そして排ガスとして炭酸ガスを排出するわけですが、酸素という物質は強力な酸化作用があるため、生体にとっては劇物でもあります。
酸化という化学反応は、簡単にいうと「火」と同じです。火は生活のためになくてはならないものですが、一つ扱いを間違えると火事を起こします。それと同様に、生きていくために不可欠な酸素も、強力な悪さをすることがあるのです。
その悪い面としてよく指摘されるのが、「活性酸素」です。これが出てくると、接触した細胞や組織がダメージを受け、それによって老化が早まったり、病気が誘発されたりすることが、今盛んにいわれています。
メラトニンには、その活性酸素を無毒化する作用があります。したがって、アンチエイジングの点から見ても、体の中でメラトニンがたっぷり分泌されることが重要というわけです。
メラトニンにはさらにもう一つ重要な働きがあります。それは睡眠に入ったときに、免疫機能を高める役割です。老化を防ぐだけでなく、外来からの細菌やウイルスを夜の間に処理してくれるのです。
メラトニンのもともとの機能は、質のよい睡眠を取ることができるように、体を調整することです。睡眠の質とは、睡眠の深さや長さ、中途覚醒が起きないことで、メラトニンがきちんと出ていれば、夜の睡眠をよく演出してくれます。
そのような体にとって大切な働きをしているメラトニンですが、前述したように、これはセロトニンから作られています。覚醒と睡眠という、陰と陽の正反対の働きをしていながら、この二つの物質は兄弟ともいえるわけです。
セロトニンは、脳幹の縫線核で神経伝達物質として働いていますが、メラトニンもやはり脳の正中部にある「松果体」というところで作られます。メラトニンが作られる経路は、必須アミノ酸であるトリプトファンが栄養分として体外から摂取され、それからまずセロトニンが合成されます。そして、セロトニンからメラトニンが作られるという順序です。
メラトニンが作られるためには、「お日様が沈んで暗くなる」というのが条件になっていて、網膜に太陽光が入らなくなることが引き金となっています。暗くなってスイッチが入ると、メラトニン合成が始まるわけです。
ところが、いくらスイッチが入っても、メラトニンの原料であるセロトニンが充分に存在しないと、メラトニンを作ることができません。「うつ」には不眠症の人が多いのですが、それはセロトニンが不足しているために、睡眠物質のメラトニンが充分に分泌されないからではないかといわれています。先にセロトニン神経が太陽の光で活性化されると説明しましたが、メラトニンはその正反対の条件で作られることになります。
したがって、よい睡眠を取り、いつまでも若々しく健康でいるためには、セロトニンが昼間の間にたくさん作られている必要があるわけです。さらに、夜メラトニンが作られるときまでに、貯えたセロトニンが消耗しないようにしておく必要もあります。
前述したように、セロトニンの合成に必要なのは太陽の光とリズミカルな運動なので、メラトニンをしっかり作るためには、昼間太陽の光の下でしっかりと運動していたかどうかがカギになります。
中国の陰陽学という思想は、対立する二つの概念が、対立だけではなく因果関係にもなっていることを説いています。陰が陽を生み、陽が陰を生むという構図です。セロトニンとメラトニンの関係もまさにそれで、覚醒と睡眠という正反対の活動をつかさどる因子でありながら、陰が陽から生まれる経路を持っているわけです。数千年も前に生まれた思想が、最新の科学で解き明かされたメカニズムを説明しているということは、非常に興味深いと思います。
質のよい睡眠は、心身を健康にして老化を防ぎます。そして質のよい睡眠を得るためには、太陽の下で体を動かすことが欠かせません。「うつ」の人はよく眠れない場合が多いのですが、睡眠導入剤を飲むよりも、メラトニンが出やすい生活をする方がずっと効果があります。寝るためにアルコールを飲むとか、睡眠導入剤を使うという対策は、悪循環に陥りがちです。
メラトニンは飲んでも効くので、特に時差ボケの薬としてよく使われています。