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「帝国」ロシアの地政学(東京堂出版) 「勢力圏」で読むユーラシア戦略
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政治・社会
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はじめに──交錯するロシアの東西

『「帝国」ロシアの地政学(東京堂出版) 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』
[著]小泉悠 [発行]PHP研究所


読了目安時間:17分
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近くて遠い島


 2018年7月、筆者は北方領土の国後島にいた。


 日本では記録的な猛暑が続いており、テレビでは連日のように熱中症の危険が説かれていた最中である。北方領土はさぞ涼しいだろうという筆者の密かな期待は裏切られ、(くな)(しり)島の中心地・(ふる)(かま)(っぷ)(ロシア名ユジノ・クリリスク)は東京ほどではないにせよ、汗ばむような陽気であった。「数日前まではすごく寒かったんだけど、日本人が暖かさを運んできてくれましたよ」という島民の言葉も、うだるような暑さの東京からやってきた筆者にはうらめしいだけである。続いて訪れた(えと)(ろふ)島もひどく暑く、持参したウインドブレイカーには数えるほどしか袖を通さなかった。


 北方領土を訪れるのはこれで二度目だった。どちらも内閣府の北方四島交流事業(いわゆる「ビザなし交流」)による訪問だが、前回は2013年秋だったので、ほぼ5年ぶりということになる。


 近年になって始まった航空機訪問の場合を除くと、ビザなし訪問団は内閣府の訪問船「えとぴりか」で北方領土を訪れるのが一般的である。地元の北方領土返還運動団体に見送られて根室港から夕方に出航するのだが、その余韻に浸るまでもなく、船はその日の日没前には国後島沖合に到着してしまう。何しろ根室港から古釜布の沖合まで、直線距離で80キロメートルにも満たないのだからあっという間だ。(はぼ)(まい)群島の貝殻島などは()(さっ)()岬から3・7キロメートルしか離れておらず、展望台からは肉眼でもはっきりと見ることができる。日露間の係争地であるために自由に訪れることができない北方領土だが、物理的には文字どおり目と鼻の先なのである。


 ちなみにロシア政府は北方領土の行政区分をサハリン州(タイムゾーンはグリニッジ標準時プラス11時間)としている。一方、「えとぴりか」船内ではグリニッジ標準時プラス9時間の日本標準時が適用されるから、船内から手を伸ばせば届きそうな距離にある国後島とは2時間の時差が存在することになる。船内時間では午後7時でも、島内ではもう午後9時なのだ。これもまた政治が作り出した北方領土との「距離」であると言えよう。


 甲板に出てみると、目の前の国後島は見る間に夕闇に沈んでいく。島内のあちこちで明かりが(とも)り始めるが、その数は5年前よりも随分増えているようだ。島内の幹線道路沿いにも街路灯が点々と輝いており、これも前回の訪問時には認められなかった。ロシア政府によるインフラ整備は着々と進んでいるらしい。


 日が落ちてしまうと、当面することは何もなくなる。船内の食堂で夕食をとり、風呂に入ってから、訪問団の面々とビールを飲みながらそれぞれの身の上などを語り合うくらいだ。元島民やその親族、メディア、労働組合、公務員、地方議会・国会の議員、学生、研究者などバックグラウンドは様々だが、これから数日間は全員平等の「訪問団員」である。特に「えとぴりか」は総トン数わずか1124トンの客船であるから、一部の人間だけを特別扱いすることは物理的にできない。あてがわれる居室も、団長と医師の部屋(診察室を兼ねる)を除くとほとんどが二段ベッドの四人部屋であり、国会議員といえども例外ではない。




 団員たちとの語らいが盛り上がっていても、夜更かしは禁物である。国家の税金で参加する以上、二日酔いで島に上陸するなどもってのほか、ということもあるが、何しろ翌朝が早い。前述した時差のせいである。向こうが朝9時に上陸してくれと言ってきたとすると、船内時間では朝7時。ということは、その前に身支度と朝食を済ませておかねばならないので、どうしても朝は早くなる。


 国後島に上陸する訪問初日は特に朝が早く、午前4時に叩き起こされる。上陸にあたり、ロシア国境警備隊が「入域」検査を行うためである。「入域」とは、「入国」という言葉を避けるためにひねり出された役所用語だが、事実上は「入国」そのものだ。訪問団員達の朝食が済んだ頃、ロシア国境警備隊の将校が船内に乗り込んできて、事前に提出された参加者リストと実際の訪問団員が相違ないかどうか、一人一人チェックしていく。島に持ち込むカメラ、携帯電話、パソコンなどもすべて型式番号やシリアル番号を書面に記載して提出しなければならない。何度となく繰り返されてきた手順なので向こうも慣れたものだが、人数が多いのでそれなりに時間が掛かるのである。


 こうしてチェックが済むと、横付けした連絡船に乗り換えて古釜布の港に上陸する。2013年の訪問では手すりさえついていない(はしけ)で吹きさらしのまま上陸したが、今回は日本からの資金援助で建造された連絡船が使えるので随分楽だ。


 港の海面は北国特有の重く暗い色をしており、沖合には舷側にロシア国旗のトリコロールを描いた警備艇が停泊していた。警備艇は「えとぴりか」が国後島沖に停泊している間中、動かずにそこにいる。

クリミアから来た酒


 ビザなし交流に船が用いられる理由は、当初、純粋に技術的なものだった。つまり、北方領土には軍用飛行場(択捉島のブレヴェストニク飛行場。旧日本海軍の(てん)(ねい)飛行場をソ連軍が接収したもの)を除いて空港が存在しなかったため、船で行くほかなかったのである。当時は日本政府が客船「ロサ・ルゴサ」をチャーターして交流用に使用していたが、これは「えとぴりか」よりもずっと小さく、古い船で、海が荒れた際の乗り心地は相当に酷いものであったと聞く。その後、「ロサ・ルゴサ」は船主である根室市内の企業が税金を滞納したことから差し押さえの対象となり、代わりに建造されたのが「えとぴりか」だ。


 だが、ロシア政府の北方領土開発計画である「クリル諸島社会経済発展計画」によって国後島と択捉島に近代的な民間空港が整備されてからも、一部の例外を除き、ビザなし交流では「えとぴりか」が依然として主要な交通手段として用いられ続けている。北方領土では霧が発生することが多く、しかもロシアの建設した空港の着陸支援施設が貧弱であるために欠航が多いという事情もあるが、より大きな要因はやはり政治だ。


 航空機で北方領土入りした場合、訪問団は現地に宿泊しなければならなくなる。最近では北方領土にもホテルが建設されているので宿泊場所自体には問題はないが、こうなると不測の事態が発生する可能性が高まる。たとえば、訪問団員が何らかの犯罪に巻き込まれるとか、死亡するといった事態である。この場合、普通は警察による取り調べとか検死が行われるが、そうなればロシアの行政権を間接的に認めることになってしまい、日本政府としては受け入れがたい。実際、2018年には「えとぴりか」の船内で訪問団員が入浴中に死亡するという事態が発生したが、ロシア側による検死を受けさせた方がいいのではないかという医師の意見を外務省の随行員が突っぱねて遺体を根室まで持ち帰ったという。日本人は北方領土で「死んではいけない」のである。


 この点、船を使えば島に宿泊する必要はなくなる。つまり、訪問団は朝に島へ上陸し、一日の視察や交流が終わったらまた船へ引き返すということを毎日繰り返せばよい。上陸中にトラブルが生じた場合には如何ともしがたいが(ロシア人からのウォッカのもてなしで泥酔する団員がたまに出る)、少なくとも面倒の起こる確率はかなり減らせるというわけだ。最近では国後島に一泊する訪問形式も実験的に開始されているが、日本政府として安心なのはやはり従来通りの船内泊であろう。


 ただ、「えとぴりか」から連絡船への移乗は細い渡し板を伝って行われるので、現役世代はまだしも、元島民のお年寄りには負担が大き(※))。本書を執筆している時点で、元島民の平均年齢はすでに84歳に達しており、船旅の負担は年々大きくなっていく。ことに単なる交流ではなく、元島民による墓参ということになると訪問団自体の平均年齢も跳ね上がるため、2017年からは日露政府の合意に基づいて航空機による墓参が開始された。(なか)(しべ)()空港から航空機を利用すればわずか40分で国後島のメンデレーエヴォ空港に到着するため、元島民の負担は格段に低下するが、この場合は島内に宿泊することなく日帰りである。


 こうした事情もあるので、島内では基本的に自由行動は許されない。特に「国境」の島である国後島では制限が厳しいらしく、筆者が訪れた二度とも、古釜布の中心部を集団行動で視察するのがせいぜいであった。日本政府としても、訪問団員が勝手な行動をとって政治問題に発展するのは避けたいところであろう。特に筆者が参加した二度目の訪問では、その直前に国後島を訪れた訪問団が持参した衛星電話をロシア当局に没収されるという事態が発生したばかりであった。団員の間でも「カメラは大丈夫かな」「携帯電話は置いていった方がいいんじゃないか」といった会話が交わされ、緊張した雰囲気が漂っていた(結果的に没収されることはなかったが)


 もちろん、自由行動が全くできないというわけではない。訪問団員はルーブルの持ち込みが許されており、限られた時間内に島内の商店街(ささやかなものだが)で土産物を購入したり、市街地の中心部を散策したりする程度のことはできる。


 といっても商店で売られているのは、一般的な食料品や生活雑貨ばかりだ。さほど珍しいものでもないので、訪問団の輪から離れて市街地の少し奥まで歩いてみた。


 商店、学校、住宅などが海沿いの通りに並んでいる。看板や標識はもちろんロシア語で、街の造作もどう見てもロシアのそれだ。事情を全く知らない人物を目隠ししてここまで連れてきたとしたら、少なくとも日本だとは思わないだろう。よく「北方領土でロシア化が進んでいる」といったことがメディアで言われるが、「進んでいる」というよりもロシア化は「完了している」というのが筆者の印象である。それも5年前に比べると建物の多くが綺麗にリノベーションされていたり、かつては泥道だった道路がアスファルトで舗装されていたりと、インフラは格段に改善されている。




 スポーツウェアに大きなリュックサックを背負った三人組が道の向こうから歩いてくるのが見えた。地元の人間ではないようだ。挨拶してみると、「サハリンから観光旅行で来た」という。「あなたはどこから?」「日本です」「ああ、一度行ってみたいんですよ」そんな会話を交わす間、彼らの態度には全く屈託がなかった。日本としての立場がどうあれ、北方領土は実態としてもロシア国民の認識としても「ロシア」になってしまっている。


 あまり遠くまで行ってもいけないので、商店街へ戻った。団員の買い物はまだ続いているので、筆者もいくつかの店を覗いてみることにする。


 まずは電器店に入ってみると、ガラスのショーケースにスマートフォンがずらりと並んでいた。「一番人気はどれですか?」との筆者の問いかけに、気のいい店員がカウンターから出てきて丁寧に説明してくれた。最も売れているのは中国ファーウェイ社のブランドHonor、これに続くのがやはり中国のシャオミー社製とのこと。価格は1万8000ルーブル台から2万数千ルーブル(だいたい3万円台前半から4万円台前半くらい)ほどだ。ロシア人の全国平均所得3万6000ルーブルと比較してかなり高価なようだが、北方領土の住民は給与の割り増し支給や住宅・光熱費補助など様々な優遇措置を受けている。その日の午前中に国後島の行政当局から受けたブリーフィングによると、国後島および色丹島の平均所得は月に5万2300ルーブル、大手企業勤務で平均7万6000ルーブルであるというから、決して手が届かないものではないようだ。ローンも利くという。


 少し意地悪をして、「じゃあ一番ダメなのは?」と尋ねてみると、店員氏は少し笑って、中国某社の名前を挙げた。価格はいずれも1万ルーブル以下。かつてはロシアでも中国製と言えば粗悪品の代名詞であり、2013年の訪問では中国を見下すような声も住民から聞いたが、今では中国製も「ピンからキリまで」という認識に変化しているようだ。ちなみに北方領土に引かれている光ファイバー回線もファーウェイ社のもので、2019年にはサハリンから国後、択捉を経て色丹島にまで至る回線網が完成した。


 続いて食料品店を覗いてみる。品揃えは5年前よりよくなっているようだが、やはり生鮮食料品は少ない。ソ連崩壊後、大都市では年間を通じて輸入物の生鮮食品に困ることはなくなったが、北方領土のような僻地では依然として生鮮食品は貴重である。しかも船や飛行機で運んでくるので、どうしても割高だ。上述の優遇措置も、人を集めるためというばかりではなく、僻地での高コストな暮らしに対する補助金という側面もあるのだろう。


 隣の店は酒屋で、酒瓶がずらりと並んでいた。ロシア人と言えば酒好きで知られる。キエフ大公ウラジーミル一世は国教を定めるにあたり、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教を検討したが、イスラム教では飲酒を禁じていると聞くと「ルーシの民から酒の喜びを奪うことはできない」と述べてイスラム教を退けたという伝説が残っているほどだ。最近ではインテリ層が公の場であまり酒を飲まなくなり、ビジネスライクな夕食ではワイン一杯だけ、という人も少なくないが、労働者階級は依然としてよく酒を飲む。一番人気は何と言ってもウォッカだが、ワインやコニャックもよく飲まれてきた。


 ただ、並んだ酒瓶のラベルは、筆者がモスクワで見慣れたものと少し違うようだ。

「これはクリミアのウォッカですよ」


 いつの間にか背後に立っていた現地のコーディネーターが教えてくれた。国後島で観光事業などを手がけており、日本からの訪問団の世話を焼いてくれていた人物だ(もちろん日本人を監視するお目付役としての顔も持っている)。この日は安倍首相とプーチン大統領の顔写真が印刷されたTシャツを着ており、「ほら、シンゾウ(心臓)のところにシンゾウ(安倍首相)の顔が来るでしょ」と日本語交じりのロシアン・ジョークを飛ばしていた。


 そう言われて「マリノフカ」というウォッカの瓶を手に取ってみると、なるほど「クリミア産」と書かれている。ワインやコニャックもクリミア産で、結局ビールを除く酒瓶の大部分がクリミア産の酒で占められていた。黒海に面したクリミア半島は古くから葡萄の産地として知られ、ソ連時代もワインづくりが盛んだった。




 クリミア半島と言えば、2014年のウクライナ政変に乗じてロシアが武力占領し、同年3月に併合してしまったウクライナ領である。九州の7割ほどの面積もある領土を力ずくで併合してしまうという、時代錯誤とも言えるロシアの行動には国際的な非難が集まり、現在まで続く対露制裁や軍事的緊張の原因となった。


 もちろん、ロシアはクリミア半島を返還する意思を見せておらず、クリミア半島でのインフラ整備や軍事力強化を着々と進めている。筆者が北方領土を訪問する少し前の2018年5月にはロシア本土とクリミア半島をつなぐクリミア橋(ケルチ海峡大橋)が開通し、開通式ではプーチン大統領自らがハンドルを握る国産トラックが橋を渡った。


 片や欧州の半島、片や極東の島。歴史的経緯もロケーションも全く異なるが、どちらもロシアと外界との境界上にあって、ロシアが実効支配する場所という点では共通している。その二つの地域が、国後島の小さな酒屋の棚で交錯しているような感慨をふと覚えた。


(※) 2019年には約3000万円を投じて「えとぴりか」が改修され、悪天候時でも船内で小型ボートに乗り込んでから海に降りられるようになった。

「フラスコ」と「浸透膜」


 本書のテーマを一言で述べるならば、ロシアの「境界」をめぐる物語、ということになろう。


 教科書的な理解によれば、国家は国境線という境界で隔てられる領域を有し、その内部において主権を行使するということになっている。これに国民を加えたのが、いわゆる国家の三要件と呼ばれるものだ。


 もちろん、これは一種の理念型であるから、常に現実に当てはまるわけではない。実際、国境線をどこに引くかをめぐって国家間が対立し、国家の境界がはっきり定まらないという事態は決して珍しくない。ここまで述べてきた日露の北方領土問題はその一つだが、世界を見渡せば、国境問題の例は他にも枚挙にいとまがないほどである。その中には、ナゴルノ・カラバフ地方の領有をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの紛争のように深刻な軍事的対立の火種となっているものもあれば、カシミール地方をめぐるインド、パキスタン、中国の紛争のように三つ巴の様相を呈するものもある。概して平和的な関係にある米国とカナダでさえ、いくつかの地点では国境紛争を抱えている。


 ただし、ロシア周辺における国境問題には、ある種の特殊性が認められる。つまり、国家の境界というものがひとつながりの閉じた線としてではなく、より曖昧なグラデーション状にイメージされているのではないかと疑わざるを得ないような事例がしばしば見られるのである。


 ここではこんな(たと)えを用いてみたい。


 古典的な国家観においては、境界とはフラスコのようなものとイメージすることができよう。硬いガラスの殻があり、その内部には「主権」という溶液が詰まっているが、これを他の液体につけたとしても、内部と外部が混じり合うことはない。


 しかし、ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集性を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出してもいく。仮に浸透膜内部の「主権」が着色されていれば、染み出していくそれは浸透膜に近いところほど色濃く、遠くなるほどに薄いというグラデーションを描くことになるだろう。一方、浸透膜は外部の液体を内部に通す働きもする。もしも外部の液体の方が浸透圧が高い場合、膜の内部には他国の「主権」がグラデーションを描きながら染み込んでくる。


 先に挙げた様々な事例と比較すると、このような境界観は明らかに特異なものと言えよう。多くの国境紛争当事国が「閉じた境界線とその内部で適用される主権」という前提を共有した上で境界線をどこに引くかを問題にしているのに対し、ロシアの関与する紛争においては、境界線の性質に関する理解そのものが異なっているためである。ここで問題にされているのは、法的な国境線をどこに引くかというよりも、ロシアの主権は国境を越えてどこまで及ぶのか(あるいは及ぶべきではないのか)なのであって、一般的な国境紛争とは位相が大きく異なる。前述したウクライナ危機は、その典型例と言えるだろう(ウクライナ危機については第4章で触れる)


 国家の構成要件である国民についても、ロシアの理解には特殊性が見られる。ロシアの言説においては、「国民」という言葉が法的な意味のそれ(つまりロシア国籍を有する人)ではなく、民族的なロシア人(あるいは「スラヴの兄弟」として近しい関係にあるウクライナ人やベラルーシ人)と読み替えられ、政治的・軍事的介入の根拠とされることが少なくない。


 そして、このような「国民」の読み替えが上記の「浸透膜のような境界とグラデーション状の主権」という理解と結びつくことで、「ロシア人の住む場所にはロシアの主権が(完全ではないにせよ)及ぶ」という秩序観が成立する。しばしば帝国のそれになぞらえられる、特殊な秩序観である。


 では、こうした秩序観は、どのような思想的背景の下に生まれてきたものであり、ロシアをめぐる国際関係にどのような影響を及ぼしているのだろうか。あるいは、約6万キロメートルに及ぶロシアの国境線は、一様に「浸透膜」として振る舞うのだろうか。それとも地域的な差異が認められるのだろうか。そして我が国が抱えるロシアとの北方領土問題は、このような構図の中でいかに理解されるべきなのだろうか。


 本書は、「境界」の概念を軸として、こうした問いに答えていこうという試みである。



(※) 本書中に引用されているロシア語原文の演説や書籍からの引用文について、特に明記のないものは、すべて著者の翻訳による。

(※) 日本国外務省は、平成27年4月22日以降「ジョージア」の国名呼称を、「グルジア」から「ジョージア」へ変更しているが、本書では著者の意向により「グルジア」と表記する。

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