最新の宇宙研究の成果からいえば、私たちの宇宙は、今から百三十八億年の遠い昔、かぎりなく熱く、まばゆいひとつぶの光から生まれたということが、検証可能な科学的事実としてわかっています。その宇宙は、急速に膨張を続けながら温度を下げ、やがて光のしずくは宇宙の霧になり、原始銀河が生まれ、その中で星が誕生します。星は光り輝く過程で、命をつくる材料を含めてたくさんの元素を合成していくのですが、燃料を使い果たしたとき、バランスを崩して超新星爆発を起こし、星のカケラという形で、宇宙空間にまき散らされます。そこから太陽系が生まれ、地球が生まれて、私たちを含むすべての存在が誕生しました。つまり、この宇宙に存在するすべてのものは、根源において同一であり、したがって独立存在はありえず、すべては、互いに浸透し合う相互依存の存在だということになります。
私たちは、自分というものが自らの意思で生きているかのように思っていますが、自分では心拍のコントロールはできず、日常生活の中で、呼吸をしていることすら意識することなく過ごしています。食事をするときに、食物を口に運びこみ、咀嚼するところまでは、自分の意思で行いますが、その後のことについては、すべて体まかせなのです。
私たちの体は、およそ数十兆個の細胞でできているとされています。しかし、その一パーセント、すなわち、数千億個は、一晩で入れ替わるともいわれています。物質としての自分の体は、時々刻々と変化しているのに、なぜ、自分は自分であり続けられるのでしょうか。
それはあたかも、水は水自身からできているのではなく、水ではない水素と酸素からできているという事実を思い起こさせます。「私」とは「私以外」のものからできているようです。そこで、もし、それが真実であるならば、その事実から、どのように生きるべきなのかということの答えが、見えてくるかもしれません。
そんな思いを抱くとき、私はこの世界の様相が、「般若心経」の世界観そのものであると感じます。現代科学と「般若心経」という取り合わせを、みなさんは意外に思われるでしょうか。しかしこれは、宇宙研究にたずさわる者の一人としての確かな実感なのです。
この本は仏教哲学の立場から書かれた般若心経の解説本ではなく、「般若心経」に書かれている内容を起点として、現代科学が理解している宇宙の様相をお話ししてみようと試みたものです。もし、この本を手にしてくださったみなさんが、科学のまなざしを通して読み解く「般若心経」の簡潔な美しさに関心をもっていただき、そのエッセンスのひとしずくが、これからの毎日を生きるための力の源になっていただけたとしたら、こんなにうれしいことはありません。