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「色彩セラピー」入門 心を元気にする色のはなし
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生き方・教養
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II 色彩心理──心の言葉としての色たち

『「色彩セラピー」入門 心を元気にする色のはなし』
[著]末永蒼生 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間17分
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赤の心理 原初からの叫び


人はどのような時に赤を求めるのか


 アメリカの人類学者バーリンとケイの研究によれば、人類が最初に意識した色の名前は「赤」だという。それ以前にも光と闇をイメージさせる「白」と「黒」の色名があったが、いわゆる有彩色としてははじめに「赤」が登場したという。たしかに、日本の古墳内部にも赤でさまざまの文様が描かれている。アルタミラやラスコーの(どう)(くつ)壁面にも赤系の色が目立つ。なぜ、人間ははじめに赤を意識したのだろうか。現代人にとって赤はどんな意味を持つのだろうか。人はどのような時に赤を必要とするのだろうか。ここでは、赤が心理的な癒しに結びついた身近な例を紹介しよう。


 ある日私のアトリエを訪ねてきたのは、四十代くらいの女性だった。かりにKさんとしよう。Kさんは季節が冬だったせいもあって、長く黒いコートをしっかりと着込んでいた。第一印象は全身黒ずくめという感じである。


 Kさんは、何かを強く内に秘めたような口ぶりで静かに話しはじめた。「実は、末永さんの本を読んで、子どものことで相談ができるのではないか、少なくともお話だけでも聞いていただけたらと思って来たのです」と絞り出すような声で切りだした。以前に出した、子どもの絵を心理的な面から解説した『絵と子育ての相談室』(雄鶏社)の読者だったのである。

子を亡くした母親の苦しみ


 話は最初から驚くべき内容だった。二十代になったばかりの長女が少し前に自殺したというのである。それまでも度々家出を繰り返していたらしい。その悲しみとショックで夜もよく眠れないという。なぜわが子が自殺に走ったのかという悔やみと疑問が心を占め、いても立ってもいられない気分で日々を過ごしている。書店に行けば子どもの心理を扱った本が目についてしまう。そんな時に、たまたま私の本を見て連絡してきたのだった。

いったい私の子育てのどこが間違っていたのでしょうか。気づかないうちに子どもを追い詰めていたのかしら」。まるで、罪悪感を一人で背負いこんだような重苦しさが彼女を包み込んでいた。


 この日のカウンセリングではこちらからはあまり質問をせず、とにかくKさんが話してみたいと思うことだけに耳を傾けた。以来、数回のセッションの中でKさんの数奇な人生の物語が詳しく語られていくことになった。それでも、Kさんの長女の自殺の直接的なきっかけは必ずしもはっきりとわかったわけではない。ただ、それ以前にKさん自身の人生の痛ましさ、凄まじさが私を圧倒した。


 Kさんは幼児期に母親が出奔し、その後会っていない。このためしばらくは父親の手で育てられることになる。しかし、その父親はまもなく再婚。Kさんは継母によって養育されるわけだが、妹が出来る頃にさらに祖父母に預けられてしまう。生活が転々とする中、とても聞き分けのいい子どもとして育ったという。恐らくほかに頼る相手のいない子どもとして、本能的な防衛心理だったのではないだろうか。


 やがて、大人になったKさんは知人の紹介で見合い結婚をする。夫になる人とはそれほど気持ちが通じたわけではなかったが、子ども時代から家族的な基盤が不安定であったKさんにとって、結婚することで落ちついた暮らしが得られるのではないかという思いがあったようだ。ところが、結婚してみると夫とは折合いが悪く、Kさんの苦しい結婚生活が続くことになる。どちらかというと我慢強いKさんは夫に自分を合わせる形で結婚生活を維持し、娘二人が生まれる。それでも、夫との暮らしは耐えがたいものだったという。「私はもともと(ぜん)(そく)持ちだったんですが、結婚してからますますひどくなって、よく病院通いをしました。きっと夫との間の葛藤もストレスになっていたのかもしれません」ともいう。

それにしても、そんなにうまくいかないのに別れようとは思わなかったのですか?」と聞いてみると、「ええ、何度も考えました。でも、子どもの頃いろんな家庭に預けられたりしたので、自分の家庭から出るのがもう嫌だったんです。子どもに私と同じような思いを味わわせたくなかったし。でも本当に、夫とは顔も合わせたくない状態で、家にいてもほとんど口もききません。そんな生活がもう長いんです。でもなぜだか、私は夫に対しては面と向かって嫌なことを嫌と言えずつい我慢してしまうんですね。考えてみれば、合わない相手と暮らすことに我慢することは小さい頃から慣れていたんです」。

嫌なことを嫌だと言えない」のは、もしかしたら幼児期からの習い性なのだろうか。生活を転々とさせられたことによって作られた“聞き分けのいい子ども”が、今なお大人のKさんの中に潜んでいるのかもしれない。しかし言葉の端々に(にじ)む夫への強い憎しみの感情。夫への不満を語る時にはむしろ生き生きとした口調にすらなる。そのこみ上げるようなエネルギーは、子どもの頃から蓄えられていたかのように(あふ)れるのだ。“聞き分けのいい子ども”の陰にもう一人の“激しい子ども”の姿が見え隠れするのを私は感じた。


 この“陰の子ども”が何か鍵を握っていそうだ、この子ともう少し話をしてみたい。そう思った私は、何度かのセッションの後、Kさんに絵を描くことを勧めてみた。というのも、自由に描かれた絵には心の奥にしまってあった深い感情が現れることが少なくないからである。言葉が意識された感情を語るのだとするなら、色彩を使った絵は埋もれていた感情を掘り起こしてくれることがある。

赤に表現された愛憎の情

絵ですか? うーん、絵は昔から嫌いではないけど上手に描けるかどうか自信がありません」

(うま)く描くということではなくて、自分の心と語り合ってみるような気分でやったらどうでしょう」


 Kさんは絵を通して“自分と語り合う”ことに興味を持ったらしく、その次から必ず自分が描いた絵を持参するようになった。Kさんが見せてくれた絵はことごとく強烈な赤が溢れていた。


 一枚目の絵には赤いワンピースを着た女の子が描かれていた。まだ母親がそばにいてくれた頃の楽しい思い出だという。似合うからといってよく赤い服を買ってくれたそうだ。


 次にKさんが描いたのは、一人の女性の絵だ。継母だというり黒い服に身を包んだその女性像の背後には激しい赤が塗り込められていた。服の黒とコントラストしたその赤はますます強烈で燃え盛るように見える。「絵を思い切り描くって気分いいですね。それに描いているうちに不思議といろんなことを思い出すんです。小さい頃の私は、義理の母の前では身を縮めて暮らしていました。彼女はそびえ立つような強い女性で近寄りがたいものがあったんです」。


 Kさんは次に自画像だといって自分を描いた絵を見せてくれた。それは画面いっぱいに顔を描いたものだが、背景の色はまたも赤だった。「なんだか私、絵を描きはじめてからやたら赤が目について仕方がないんです。洋服では赤なんてほとんど着たことがなかったんだけど、絵だと自由に使えるでしょう。今は赤が欲しくて欲しくてたまらないという感じ。赤を塗っていると気分がいいんです」。


 Kさんは自画像が気に入ったらしく、繰り返し自分の顔の絵を何枚も描き続けた。そして、その絵の背景はいつも決まって赤だったのだ。興味深いことに、Kさんは絵を描きはじめてから話の仕方に少し変化がみられた。最初の頃はとつとつとした喋り方だったのが、感情表現が豊かになった。自由に色を楽しむことでリラックスする面もあるのだろう。話しながらよく泣いたり笑ったりするようにもなったのである。

Kさんがよく使う赤なんだけど、この色からどんなことを思い出しますか?」


 自画像が十枚ほどたまった頃聞いてみた。

いろいろ思い出します。実母は私に赤い服を着せるのが好きで、私もそうしてもらうのが嬉しかったの。赤は母の愛情の思い出かな。でもそれだけじゃない。最近、赤を塗りながら浮かんでくるのは、どうして私を置き去りにしたのかという悲しい気持ちですね。不思議だけど、悲しみも強くなると赤い色で表せるんじゃないかと思うんです。


 それと、どうにもならない不満。この感情は今の夫に対してのものだけど。いや、もしかしたら祖父母に預けられた項のやり切れなさかな。大切な親から引き離されてわんわん泣きたかったはずなのに泣いた記憶がないんです。私、もしかしたらずっと泣きたかったのかな。とにかく赤を塗っている時って、子ども時代からの持って行き場のない感情がどんどん流れだすような感覚なんです。そう、私はこの持って行き場のない感情を体中にこめてずっと生きていたような感じがします。でも、それを一言も口にできなかったんですよね。その分、夫に八つ当たりしていたのかな」


 そう言いながらKさんは涙を(ぬぐ)った。前出のアルシュウラとハトウィックは「ペインティング&パーソナリティー」の中で、赤について「幸福な状態、または愛情に飢えているとか敵意にみちている場合」と述べている。まさにKさんの場合も、愛憎にみちた心の歴史が赤という色を通して噴き出しているかのようだ。

考えてみたら、私自身が苦しんでいるわけだからそばにいた娘たちも(つら)かったんでしょう。私の中ではずっと感情の戦争が絶えなかったし、夫とも冷戦状態。当然、娘に対してもちっとも優しくする余裕がなかった。ほら、今だって私の心の中には戦火が燃え盛っているみたい」。Kさんは再び自分の赤い絵に目を落とした。「きっと、死んだ娘はこの私の心の戦争に付き合うことに疲れてしまったのね」。


 Kさんの絵に他の色が出るようになったのはその後一年ほど過ぎてからだった。

ムンクの『叫び』は何を叫んでいるのか


 Kさんの赤。それは愛を求めて得られなかった子ども時代の葛藤が表面化したものだったのだろう。赤は、彼女の心が引き裂かれて流れだした血そのもの。三十数年経っても、なお流れだす鮮血のような叫びなのだ。この赤い叫びに私は、人間の心の普遍性を感じる。というのは、Kさんの自画像の赤を見た時に私が思い出したのは、ノルウェーの画家エドヴァルト・ムンクの『叫び』という絵だったのだ。


 最近では、空を赤く彩ったムンクの『叫び』という絵はとても有名だし人気がある。両手で顔を抱えて橋の上で叫んでいる人物は一度見たら忘れられない。ゆらゆらと揺れるような姿はまるで人の魂そのもののようだ。あの魂は何を叫んでいるのか。


 ムンク自身、日記に次のように書き残している。

私は二人の友人と通りを歩いていた──日没を見ていた──空が急に血のような赤に変わった──私は立ち止まり、フェンスに寄りかかった。ひどく疲れていた──青く黒ずんだフィヨルドと街の上には血と舌のような炎が広がっていた──友人たちは歩き続け、私は残された。恐怖に震えながら──そして、私は風景をつんざく果てしなく大きな叫びを感じたのだ」(『ムンク展』カタログ、千足伸行監修・湊典子訳、出光美術館)


 それにしても、ムンクが感じた叫びはどこからやってきたのか。ムンクはまた、別のところで「病いと狂気と死は私の揺り籠の上に漂い、以来生涯にわたって私につきまとった黒い天使となった」(同、文・千足伸行)とも書いている。


 子ども時代のムンクはたしかに死のイメージに包まれていた。五歳の時、母親は結核で死亡。さらに数年後、姉ソフィエを同じ病魔によって奪われることになる。


 この子ども時代の連続した悲しいショックはやがて三十代になって制作された一連の作品のテーマに反映されていく。『死んだ母』『病室での死』『臨終の床で』『病める子』……。そして、これらの一群の死のシリーズに先立って描かれたのが、かの『叫び』だったのだ。死の悲しみと恐れ、なにより肉親の愛が死によって奪われた記憶。さらにそれを乗り越えて生きようとする時に溢れる生のエネルギー。それらのすべてが赤という色になって絵の中の空に響きわたっている。まさに赤が究極の感情が噴き出す時のカタストロフィーの色であることを語りかけてくるのが、ムンクの絵なのだ。

赤が伝える古代人の心


 先のKさんの赤もムンクと似た心境から生まれたものではないだろうか。激しい喪失の記憶にとらわれた人間にとって、人を愛し、人と共生することは易しいことではないはずだ。ムンク自身も必ずしも幸せな人間関係に恵まれたわけではなく、ある女性との葛藤の中でピストルを暴発させて自らの手指を失っている。Kさんの場合も肉親の愛を奪われたことからくる“心の中の戦争”が渦巻いていた。彼女自身が言うように、その心理的暴発が長女を知らず知らず打ちのめしていたのかもしれない。


 恐怖と闘って生きようとする人間のエネルギーは凄絶だ。しかし、その瞬間、人は内側に流れる血潮と呼応して赤という色に目覚めるのにちがいない。そのことを私に実感させるのは子どもたちの絵なのである。


 アトリエに通ってくる子どもたちを観察していると、人間が赤に目覚める瞬間を目の当たりにすることができる。子どもが赤という色に手を伸ばすにはさまざまのきっかけがあるが、特に赤が形にとらわれず激しく塗られる時、そこには精神的な脱皮の痛みが少なからず関係しているようだ。いずれも、ある種の切迫感がある。たとえば、親の愛が下のきょうだいに移りいよいよ独り立ちを迫られるというような時など、突然()かれたように赤を塗りまくることがあるのだ。それは、あたかも野生動物が自らを力づけるために(ほう)(こう)する姿を思わせる。生命力を奮い立たせようとする色、それが赤なのだ。


 人間の原型ともいえる子どもたちが赤を求める心理。それは、古代の人々が赤という色に最初に色名を与えたという謎に光をあててくれそうだ。世界各地の古代文明の、特に死者を埋葬した聖域に赤が施される例が多いのはなぜなのか。火の色、血の色である赤、つまり命の象徴である赤と、死の恐怖を越えようとした古代人の激しい祈りとが結びついたのではないだろうか。


 赤は、死の不安を越えようとした天才画家の絵の中に、また、私と語り合ったKさんのように子ども時代の痛みを癒そうとする色彩セラピーの絵の中にも、さらにどこにでもいる子どもたちの落書きの中にすら、(こつ)(ぜん)と姿を現す。

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