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教養として知っておきたい 空海の真実(KKロングセラーズ)
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歴史
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8章 釈迦の修行と密教修行

『教養として知っておきたい 空海の真実(KKロングセラーズ)』
[著]池口豪泉 [発行]PHP研究所


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幼少から仏を拝み、仏教に親しんでいた空海



 空海は『三教指帰』で論じたように、道教、儒教、仏教の内で仏教が最善であるとして、仏教の修行に励む。


 しかし、それでも満たされないものがあり、『大日経』をきっかけとして唐に渡り、そこで密教というものに出会い、授かる。仏教が釈尊を開祖と仰ぐのに対し、密教で中心となるのは大日如来であり、曼荼羅諸尊である。


 密教と仏教とは違う教えであると考える人もあるのではないだろうか。そうだとすると空海は仏教ではなく、密教を選んだということなのだろうか?


 空海が唐に渡るまで歩んで来た道は仏道。六世紀中に日本に伝来して以来、釈尊の説く教えとして伝わって来た旧来の仏教である。


 経典論書としては南都六宗といわれる三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の教えのものがそのほとんどだと思われるが、これらは律令国家体制下にあって、学究的要素が強く、また、それは民衆に向けたものでなく、あくまで国家のために拝むという性格であったようだ。実際、僧侶は朝廷が定めた官僧であり、仏教の民衆への布教活動が禁じられたりしていたようである。



 空海は幼少期から、仏を拝み、仏教に親しんでいたという。それは仏教の教えを説く釈尊の衆生済度に懸ける慈悲行に想いを馳せてのものであったように感じられる。

『三教指帰』では、仏教を最善のものとして選んでいるが、道教、儒教のこともそれぞれの役割を認め、これを否定することはせず、このどの道を選んでも意味あるとさえ言っている。ただ、儒教、道教が自己自身にのみ目を向けているのに対し、仏教は自他を兼ねて利益し救済するということをもって、空海は自身が進むべき道として仏道を選んでいるのだ。


 釈尊の説く仏教、そして釈尊という人格そのものに、空海は心惹かれていたのだろう。『三教指帰巻下』によると

わたくしが師と慕う釈尊は、人々を救済しようとする誓願が深く、八〇年間仮の姿でこの世に現れて、人々を救済された。また三〇歳の時にはブッダガヤで覚りを開き、人々を教え導いた。


 とある。


釈尊の求道に倣う



 空海の入唐前の求道、仏道修行といったものは、ある種、釈尊のそれと重なるように感じられる。


 奈良法隆寺の所蔵品に、七世紀飛鳥時代の(たま)(むしの)()()という仏像、経典等を収めるための仏具がある。


 この玉虫の厨子の四面に絵が描かれており、そのうちに「(しゃ)(しん)()()()」「()(しん)(もん)()()」がある。これは釈尊の前世の物語であり、(さっ)()(おう)()が崖から身を投げ、飢えた虎の親子に自らの肉体を食べ物として布施するという物語だというが、空海にも同様の捨身の物語が伝えられている。


 四国八十八カ所霊場七三番札所の(しゅっ)(しゃ)()()に伝えられる所によると、空海七歳の時、()()()(やま)(現在の()(はい)()(やま))に登り、「私は仏門に入り、衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来さま、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を諸仏に供養します。」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。


 すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、真魚(空海の幼名)は「一生成仏」と宣し、願いの成就が約束された。


 感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。


 この説話をみても、空海の念頭に置かれていたのは釈尊であり、仏教を求めたのは、衆生済度を目指す釈尊の教えだからということを示している。


修行中に授けられた求聞持法により神秘体験を得る



 釈迦が出家したのは二九歳といわれているが、大学を中退して仏道修行に専念し始めた空海は、それより一〇歳程早かったことになる。


 仏道修行に専念し始めて、四国の山々や高野山のあたり、奈良の山々で修行を重ねる空海にとって、その頭に思い描いていたのはお釈迦様の覚りに至る修行であったのではないかと思う。

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