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アメリカ民主党の崩壊2001−2020
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人文・科学
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第1章 民主党に支配された四半世紀 ネオコンを理解する

『アメリカ民主党の崩壊2001−2020』
[著]渡辺惣樹 [発行]PHP研究所


読了目安時間:38分
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 ネオコンとは、ネオコンサーバティブ(新保守主義)の略である。


 一九九二年、ビル・クリントン政権が誕生した。それ以来、今日までアメリカの政治は民主党が支配してきた。もちろん、二〇〇一年から二〇〇九年までは、ジョージ・ブッシュ政権(共和党)の八年があった。しかし、ブッシュ政権の看板は共和党であったが、実態は民主党政治だった。そのことは彼の進めた外交でわかる。民主党はリベラル的イメージ、つまり他者に優しいイメージをもつがそうではない。他国に過度に干渉し、その結果、幾多の戦争を(じやつ)()した。第一次世界大戦に参戦を決めたウッドロウ・ウィルソン大統領、ドイツ・日本を徹底的に締め上げて第二次世界大戦参戦を実現したフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領、ベトナム戦争を本格化させたのはジョン・F・ケネディ大統領、北爆を決めたリンドン・ジョンソン大統領。いずれも民主党の大統領である。民主党の大統領は戦争が好きなのである。


 ジョージ・ブッシュ政権は共和党であった。しかし、この政権の中枢には、民主党からやってきた干渉主義者が、政権中枢に陣取り、ブッシュ外交を民主党化した。共和党内にカメレオンが()(たい)したかのように侵入した政府高官がネオコンであった。彼らはビル・クリントン民主党政権の中枢にいた。しかし、民主党内に「ヒッピー的空気」が(まん)(えん)したことを嫌い、共和党に移った。彼らは共和党の伝統を破壊した。外国への干渉に抑制的であることが共和党の外交だった。それが民主党外交と見まごうばかりに干渉的になった。9・11事件(世界同時多発テロ事件)に続いたアフガン侵攻、大量破壊兵器を保有したとの理由によるイラク侵攻。どちらもジョージ・ブッシュ政権が進めた戦争だったが、同政権内で発言力をもったネオコン官僚に操られたブッシュ大統領が起こした戦争であった。


 ネオコンの始祖はヘンリー・ジャクソン上院議員(一九一二年生〜八三年没)あるいはジーン・カークパトリック元国連大使といわれている。どちらも民主党であった。彼らの主張は以下のとおりである。


一 徹底的に反ソ

二 小国の政権を強引に親米に変更(かい)(らい)政権化)させても構わない(レジームチェンジを是とする)

三 先制攻撃は許される

四 経済リベラリズム(自由貿易)

五 リベラル的社会政策

六 親イスラエル



 ジャクソンやカークパトリックに続いた代表的人物が以下の面々である。



 ポール・ウォルフォウィッツ(ジョージ・ブッシュ政権:国防副長官、一九四三年生)


 リチャード・パール(同:国防政策諮問委員会委員長、ユダヤ系、一九四一年生)


 ルイス・リビー(同:副大統領首席補佐官、一九五〇年生)


 ダグラス・フェイス(同:国防次官、一九五三年生)




 ウォルフォウィッツは一九八一年に民主党から共和党に鞍替えした。パールはヘンリー・ジャクソン議員に仕えていまでも民主党員であるが、レーガン政権(共和党)では国防次官に滑り込んだ。年齢の若いリビーやフェイスは、民主党員の経歴なくして、共和党に入りそのまま出世した。共和党内の「本籍民主党ネオコン(第一世代)」という大亀の背に乗った「第二世代」である。


 ドナルド・ラムズフェルド(同:国防長官、一九三二年生)、ディック・チェイニー(同:副大統領、一九四一年生)はネオコンの巨頭となったが、彼らは共和党に籍を置いていたが(ひつ)(そく)していた人物である。それが、民主党を本籍とするネオコンが共和党内に流入すると水を得た魚となった。


 第一世代ネオコンはリチャード・パールの経歴でわかるように、レーガン共和党政権で花が咲いた。同政権に反ソ外交を繰り広げさせ、ソビエト連邦の崩壊(一九九一年)を成功させた。この年の初めにはイラクとの湾岸戦争(第一次)となり、四月にはサダム・フセインを屈服させた(四月停戦:安保理決議六八七号)


 ソビエトは「悪の帝国」(レーガン大統領)だったが、遂に崩壊した。衛星国のような存在であったイラクも牙を抜かれた。世界はより平和になるはずであった。


 しかし、そうはならなかった。その原因は、ネオコンが作り上げたポスト冷戦時代の新外交政策にあった。ソビエトが崩壊した翌九二年二月、ディック・チェイニー国防長官(父ブッシュ政権)の下に、「防衛計画指針(Defense Planning Guidance)」と題されたレポートが届けられた。作成者は、ポール・ウォルフォウィッツとルイス・リビーだった。


 二人は、アメリカが世界で唯一のスーパーパワーとなった現実を踏まえて、アメリカ国益の最大化の方策を提示した。具体的には三つの目標が掲げられた。


 第一の目標は、二度とアメリカのライバルとなる国を生まない、というものだった。地域覇権国の出現も許さない。地域覇権国は潜在的に世界覇権国となり得る。そうした国は早い段階で叩く。第二は、世界各地に散るアメリカ利権の保全とアメリカ的価値観の普及(強制)であった。国際法を(じゆん)(しゆ)させ、民主主義体制への転換を促す。第三は、上記目標の実現のためには国際法の縛りや国連にとらわれない単独行動である。第二点とは矛盾するが、「正しいことをするのに手段の是非は問わない」というアメリカの伝統であった。


 PBS(米国公共放送)は、「防衛計画指針」を次のようにまとめている。


「『世界新秩序はアメリカ(の価値観と軍事力)によって維持されるべきである。国際的に足並みを揃えた対応ができない場合は単独行動も辞さない。危機に対しては、(ちゆう)(ちよ)なく反応(軍事力行使)すべきである』。これが防衛計画指針の要旨であ(*1)



 この指針はポール・ウォルフォウィッツの名をとって「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれた。


 ネオコンが民主党から発生したのは自然であった。アメリカは一八二三年に発せられたモンロー宣言が象徴するように、外国の紛争には基本的に非干渉の立場をとる外交方針をとってきた。先に書いたように、この伝統を破壊したのがウッドロウ・ウィルソン大統領(民主党)であり、彼は第一次世界大戦に参戦した。


 大戦後のヨーロッパに安定は訪れず、再び同地には戦雲が湧いた。建国の父の教えが正しかったことが身に染みていた国民を再び(あざむ)いてアメリカを参戦させたのも、民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトだった。


 ネオコン思想家は、二人の民主党大統領(ウィルソン、ルーズベルト)を絶対善とする。彼らの外交の結果が、世界の不安定化と共産革命思想の世界的な拡散であり、東西冷戦の始まりだった。


 しかし、ネオコンはそうした経緯を考えようともしない。ひたすら目の前にいるソビエトを敵視した。ソビエトと対峙するためには徹底的な干渉主義的外交が必要だとする彼らの主張は危険視されていたが、二人の大統領に勝るとも劣らないほどに干渉主義的なビル・クリントンが登場すると、一躍外交の表舞台に躍り出るのである。

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