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アメリカ民主党の崩壊2001−2020
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人文・科学
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第2章 カダフィ排除から露呈したネオコンの悪行

『アメリカ民主党の崩壊2001−2020』
[著]渡辺惣樹 [発行]PHP研究所


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 前章最終節で、NEDが「アラブの春」なる交響曲の指揮者だと書いた。この組織が(うぶ)(ごえ)をあげたのはレーガン政権時代(一九八一〜八九年)にまでさかのぼる。この時期、CIA(中央情報局)によるアメリカ国内法規を無視した外国政府への干渉が露見していた。それがイラン・コントラ事件(一九八六年)だった。アメリカは、イランに禁輸されていた武器を手配する見返りに、アメリカ人人質(イランの支援を受けたレバノンの過激派ヒズボラに拘束されていた)の解放を求めた。イランへの武器供給のための資金に三〇〇〇万ドルが用意されたが、実際に使われたのは一二〇〇万ドルだった。残りの一八〇〇万ドルは、ニカラグアの反政府組織支援に流用された事件だった。


 当時、ニカラグアはソビエトの後ろ盾を得たサンディニスタが政権を握っていた(サンディニスタ革命、一九七九年)。アメリカは、反政府組織(コントラ)への支援が必要だと感じていたが、当時の法律は、外国政府を転覆させる組織への公的資金投入を禁じていた。それを回避する苦肉の策がイランとの秘密交渉を利用した()(かい)支援だった。司法省や議会の調査によって、この秘密工作にCIAがかかわっていたことが明らかになり、最終的に四人のCIA職員が有罪となっ(*1)



 これ以降、気に入らない外国政府への干渉に、CIAなどの政府組織が「直接」かかわることは難しくなった。しかし、ネオコンたちは、アメリカの安全保障を(おびや)かす「可能性のある国」には内政干渉を続け、反政府組織への金銭的支援も必要だと信じていた。


 考え出された方法(脱法行為)が、NGO(Non-Governmental Organization:非政府組織)の利用だった。CIAや国務省が頼りにした団体が「民主主義のための国家基金(NED)」だったのである。


 NEDは、イラン・コントラ事件発覚の少し前の一九八三年、当時のCIA長官ウィリアム・ケイシーの肝いりで設立され(*2)。CIAの非合法活動の「外注化」組織だった。NED設立趣意書執筆に(たずさ)わったアレン・ワインスタイン(ユダヤ系)は、「NEDの仕事のほとんどが、二十五年前にはCIAがやっていたものだ」(一九九一年九月、ワシントンポスト(*3)と述べている。


 NED会長に推されたのはカール・ガーシュマン(一九四三年生)だった。彼は現在(二〇一九年現在)でもその職にある。若いころは社会主義思想にかぶれたが、その後は強烈な反共主義者となった。いまでは、米政府から年一億ドルもの潤沢な補助金を受け、世界各地の反政府系NGO、活動家あるいはメディアを支援する大組織となっ(*4)


 以下はNEDが関与(資金援助)した各国選挙のリストである。こうした国の反政府系グループへ資金援助することで選挙結果を左右させ(*5)


一九九〇年      ニカラグア、ブルガリア

一九九一〜二年    アルバニア

一九九六年      モンゴル

一九九九〜二〇〇四年 ベネズエラ

二〇〇二年      スロバキア



 二〇〇八年四月六日、AYM(若者運動連盟:Alliance of Youth Movements)なる新しいNGO組織がニューヨーク市で産声をあげた。世界の若者による民主化運動を支援する組織だった。会場には、国務省、国家安全保障省関係者などの代表に加え、ネオコンの(そう)(くつ)ともいえるCFR(外交問題評議会)関係者の姿があった。MSNBC、CBS、ABCの三大キー局やCNNといったメディア関係者の出席も目立った。企業スポンサーには、グーグル、AT&T、フェイスブックなどのIT企業の名があった。


 注目すべきは、国務省から出席した二人の高官である。一人は、国務省政策企画室メンバーとしてヒラリーの外交政策立案にかかわることになったジャレード・コーヘン(一九八一年生)。彼は、コンドリーザ・ライス国務長官(共和党)に仕えることから外交政策にかかわり始めた人物だった。もう一人のジェイムズ・グラスマン国務次官は、ブッシュ前政権時代から対テロ戦争の対外広報活動の責任者となっ(*6)


 設立総会には、四月六日運動(April 6 Movement)と呼ばれるグループがエジプトから参加していた。彼らは旗揚げ総会が終わるとセルビアに飛んだ。CANVASと呼ばれるベオグラードのNGOから反政府活動のいろはを学ぶためだった。CANVASはアメリカからの支援を受け、ミロシェヴィッチ政権を転覆(二〇〇〇年)させた実績があった。


 四月六日運動のメンバーがいかなる訓練を受けたかはよくわかっていないが、SNSの効果的利用法を学んだことは確かだった。同志間のコミュニケーションにはインターネットが利用されるが、独裁政権はそれを許さない「ファイアウォール」を構築している。反政府組織にとって、「ファイアウォール」をかいくぐる新技術の習得は欠かせない。


 また、「パニックボタン」と呼ばれる技術の供与も受けたらしい。メンバーが拘束されると、所有するコンピューターや携帯電話に残された情報で、組織が壊滅する。それを防ぐための技術がパニックボタンである。メンバーが拘束の危機に遭遇した場合、コンピューターや携帯電話に仕込まれたパニックボタンを押すだけで、すべてのコンタクト先が消去される。同時に、メンバーに危機を知らせる。


「パニックボタンはヒラリー・クリントン国務長官がインターネットの自由がチュニジアやエジプトで果たした役割を強調したことで注目されるようになった。(中略)アメリカは、抑圧的な政府の検閲を逃れる技術開発のために、二〇〇八年以降五〇〇〇万ドルの予算を計上してい(*7)



 訓練を終えた四月六日運動の活動家がエジプトに帰国したのは二〇一〇年初めのことである。一月二十七日、彼らの帰国と同期するように、モハメド・エルバラダイ元IAEA(国際原子力機関)事務局長が帰国した。彼は直ちに、翌年に予定されている大統領選挙に立候補することを明らかにし、「変革のための国民協会」を組織した。




 エルバラダイと四月六日運動メンバーの動きは連動していた。ヒラリー・クリントン国務長官に代表されるネオコンのお眼鏡に彼がかなったのである。アメリカは彼を次期大統領に据えるつもりだったが、国民的人気はなく、大統領にはなれなかった。


 エルバラダイは不思議な人物である。先に、イラク侵攻前にチェイニー副大統領やライス補佐官が、サダム・フセイン政権は核兵器を保有していると「偽りの情報」を流したと書いた。このころ、エルバラダイはIAEA事務局長として、イラクの核保有の有無を調査していた。彼は、「イラクは核兵器を保有も開発もしていない」と結論付けた。IAEAの発表(二〇〇三年三月七(*8)は、ブッシュ大統領による対イラク宣戦布告の五日前のことである。

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