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改訂版 社会的ひきこもり
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生き方・教養
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第1部 いま何が起こっているのか──理論編

『改訂版 社会的ひきこもり』
[著]斎藤環 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間38分
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1 「社会的ひきこもり」とは


無関心による悲劇


 平成八年十一月に、東京の会社員が中学生の息子をバットで殴り殺すという、いたましい事件がありました。まじめで仕事熱心な父親が、息子の家庭内暴力に耐えかねた挙げ句の出来事でした。十一月七日付の朝日新聞の記事によれば、息子は一年ほど前から学校を休みがちになり、家族に暴力をふるうようになったとのことです。このため母親は間もなく別居するようになり、ずっと父親と二人で生活していましたが、父親への暴力も絶えなかったといいます。


 いきなり悲惨な事件の話で戸惑われたでしょうか。類似の事件は、これまでにも何度か起きています。これらはいずれも、「社会的ひきこもり」の問題と深い関わりを持っていたはずです。私自身が外来で相談を受けた経験からも、追いつめられればこうした事態に至ったかもしれない事例はまったく珍しくありません。それだけに、このようないたましい事件をみるにつけ、私はいつも無念な思いを禁じ得ませんでした。


 この種の犯罪の背景には、明らかに一種の無知があります。やっかいなことには、この「無知」は、たんなる個人的なものに限定されません。それは構造的無知、この社会全体の無関心によって生まれた無知です。この無関心が続くかぎり、このようないたましい事件が絶えることはないでしょう。思春期の心、わけても「社会的ひきこもり」への無理解、無関心が続く限りは。


 そうではない、思春期の心への関心がこれほど高まっている時期はなかったではないか、そのような意見もあるかもしれません。それは一面では真実です。しかし残念ながら、そこで関心をもたれているのは「社会現象としての思春期」なのです。具体的には書きませんが、「風俗としての思春期」「病理としての思春期」「事件としての思春期」がこれにあたります。その一方で、「ひきこもる思春期」は、ずっと黙殺されたままになっているのです。


 それでは「社会的ひきこもり」とは、どのような事態をさすのでしょうか。


四つの事例


 例えば「不登校」が何らかの理由で長期化すると、その一部は学籍を失って二十代にいたっても、在宅の状態で過ごすことになります。この在宅状態のものの一部(あるいは大部分)が、社会とのつながりを持たないまま「ひきこもり状態」にいたるのです。

「社会的ひきこもり」という言葉は、Social withdrawalという英語の直訳で、いかにもこなれていない感じがしますが、ここでいう「社会」とは、ほぼ対人関係全般をさすものと理解して差し支えありません。家族以外のあらゆる対人関係を避け、そこから撤退してしまうこと。それが「社会的ひきこもり」です。


 もちろん社会的ひきこもり状態にいたる契機には、不登校のほかにも、さまざまなものがあります。しかし私の調査と経験からは、やはり不登校からそのまま長期化した事例が圧倒的に多いと考えられます。この調査結果については、後で具体的に提示するとして、ここでいくつかの事例を具体的に述べてみます。


事例1 二十九歳 女性


 内気でまじめな性格でしたが、高校卒業まではとくに問題なく過ごしました。専門学校で洋裁を勉強し、洋品店に就職しましたが、対人関係がうまくいかず半年後には退職、その後は自室にこもりがちになりました。ほとんど食事にも出てこず、きれい好きだったのに入浴もしなくなってしまいました。それでも翌年に事務所に就職しましたが、上司に気に入られず半年でやめてしまい、その後は自宅で手芸の小物を作って親戚に売ったり、病気の祖父の介護を手伝ったりなどして過ごしていました。


 ところがある時、親戚から手芸品の出来が良くないとけなされたことがありました。本人はこのことで大変なショックを受け、それからは小物作りがぜんぜん手につかなくなってしまいました。さらにこの直後に祖父が亡くなり、落胆がかさなりました。しばらく茫然として何も手につかない状態が続きましたが、やがてまったく自宅にひきこもった状態になってしまいました。自分の部屋からもほとんど出てこず、家族とすら顔をあわせることを避けています。昼間はほとんどベッドの中で過ごし、夜中になってから起き出して音楽などを聴いているようです。このような状態が二年ほど続いています。


事例2 二十一歳 男性


 小さいころは勝ち気で活発、高校まではスポーツに勉学に熱心に取り組み、志望する大学にも順調に合格しました。大学ではテニスサークルに入り、授業にもまじめに出席していました。ところが大学一年の夏休みあけから、ばったりと講義に出なくなってしまいました。親が理由を尋ねてみると、ある科目のクラスに馴染めず、とけこめないということでした。


 その後しだいに他人の眼が気になるようになり、電車にも乗りにくくなりました。大学二年の時、試験期間の最中に電車に乗れず帰宅し、精神科で対人恐怖症と診断されました。その後は両親の付き添いで登校を続けていましたが、やはり教室には入れませんでした。その後カウンセリングを一カ月間うけてやや不安が薄れ、郵便局のアルバイトなどをはじめ、成人式にも出席できるようになりました。しかしそれでも、大学の教室に入ることはできませんでした。


 大学のカウンセリングルームに通ってみましたが続かず、とうとう休学することになりました。その後は自宅で過ごしています。新聞配達のアルバイトを続け、バイクで出かけたり、テニスをしたりするなど、自宅では比較的明るく過ごしていますが、今後の具体的な見通しは、依然として持てないままでいます。


事例3 三十歳 男性


 小・中学校時は問題なく過ごしましたが、高校一年から不登校となり、気に入らないと物に当たるなど家庭内暴力がみられるようになりました。高校は中退しましたが通信教育で高卒の資格をとりました。その後、家の中の汚れに対してこだわりが強くなり、少しでも汚いところがあると腹を立てて、母親に暴力をふるうこともありました。ほとんど連日の暴力にたまりかねて母親は別居し、やがて父親も家を出ざるをえなくなりました。


 その後は別居状態のまま両親は新築した家に住み、本人はもとの家に留まったまま六年間が経過しました。現在まで本人は就職することなく、両親から生活費を得て単身で生活しています。


 昼夜逆転の生活で、窓や玄関などには鍵をかけ、両親への連絡はメモで行います。友達関係を含めまったく人間関係はありません。最近になって高価なオーディオ機器を買うよう一方的に要求してきました。買い与えると今度は、完全に望み通りのものが届かなかったと文句をつけてきました。このため「自分のことは自分でするように」と両親が応じたところ激怒し、高額の「罰金」を要求してきたり「必ず殺す」などと脅迫めいた手紙を送ってきたりするようになりました。


事例4 二十九歳 男性


 もともと気が弱いところがあり、中学校のクラブを退部する時なども自分ではいいだせず父親に断ってもらったり、無断でやめるなどしていました。また高校の時に飲酒して暴れたことがありました。


 大学を卒業した後、地元の会社に就職しましたが、一カ月でやめ、次の会社も半年でやめました。その後もいくつか職業を転々としましたが、いずれも数カ月しか続きません。また、やめる時も無断欠勤や失踪などという形でやめていました。以後は自宅にひきこもりがちな生活が続きました。


 こうした生活の辛さからか、二十六歳の五月に手首を切ってしまい、それから精神科に通うようになりました。その後も家庭内暴力めいた行動があったのですが、主治医の指導によって現在は比較的落ち着いた状態にあります。しかし相変わらず、自宅にひきこもった、無為な状態が続いています。


一過性の流行現象ではない


 実をいうと、ここに掲げた事例はいずれも、私自身の経験したものや、そうではないいくつかの事例を合成したフィクションです。私は一般向けの本では詳しい事例の報告をしない立場をとっておりますので、この点はご了承ください。


 はっきりといえることは、社会からひきこもっていく過程は、実にさまざまであるということです。しかし同時に、そこにはいくつかの共通点もみられます。


 事例の多くはもともと内向的で、家庭では「手のかからないよい子」とみられがちな子どもたちです。ほとんど反抗もしたこともなく、強いていえば几帳面すぎる点など、のちの強迫症状(無意味な確認行為など)につながる傾向を持っていることはあります。ただし、ひきこもる子どもたちがすべて、こうした性格傾向を持っているかというと、必ずしもそうではありません。中学までは活発で学級委員などをしていた子や、高校までスポーツが得意で、積極的に発言もしていたような子も、何かでつまずいたことをきっかけとして、人が変わったように落ち込み、ひきこもってしまうことも珍しくありません。一定の性格傾向と必ずしも結びつかないところにも、こうしたひきこもり事例の特徴があると、私は考えています。


 ただし、ひとつだけはっきりした傾向がみられます。「社会的ひきこもり」は圧倒的に男性に多いのです。また、きょうだいの順位では、私の統計結果によれば、どうも長男に多くみられるようです。女性の事例もないわけではありませんが、一般にそれほど長期化しないようです。両親ともに高学歴で中流以上の家庭に多く、仕事熱心で養育に無関心な父親と、過敏で過干渉気味の母親という組み合わせは、ここでも珍しくありません。また家族や親戚など周囲に優秀で勤勉な人間が多いことが、本人の負担になっている場合も少なくないようです。


 ひとたびひきこもり状態におちいると、ほとんど外出もしないまま昼夜逆転した生活となり、家族を避けて自室にとじこもった状態が続きます。本人の自尊心や世間体、家族関係の悪化などが相まって悩みや葛藤が大きくなり、時には家庭内暴力や自殺未遂にいたることもあります。また強迫症状、対人恐怖症状などの精神症状を示す場合もあります。そしてこうした症状がいっそうひきこもり状態を長引かせ、抜け出しにくくなるという悪循環が起こってきます。


 このようにして、かたくなといってよいほどの無為・ひきこもり状態が長期間続くことになります。その期間は数カ月から数年、長いものでは十数年以上の長期間にわたってひきこもりが続いている事例も経験しました。


 経過が長くなってくると、みかけ上はあたかも無気力で怠けているだけのような状態になります。しかし実際にはこうしたみかけの下に、深い葛藤や強い焦燥感がひそんでいることがしばしばあるのです。その証拠に、無為の日々を送りながら、彼らの多くは退屈を知りません。これは一つには、退屈さを感ずるほどの精神的ゆとりもないためと考えられます。


 現在、社会的ひきこもりの問題は、二重三重に不遇な状況におかれています。一番の問題は、予防や治療が十分に可能であるにもかかわらず、その受け皿がほとんどできていないということです。こうした事例を抱える家族が困りきって相談にいく場所としては、とりあえず精神科しかないのが現状ですが、当の精神科医も、この種の問題に対して、なぜか消極的なのです。わが国の精神科医が「社会的ひきこもり」に対してどのような見解を持っているかは、この後の章でも詳しくふれますが、ともかく対応策があまりにも立ちおくれています。このままでは困る一番の理由は、ひきこもり状態が、自然に解決することが、ほとんどないためです。後でも述べるように、社会的ひきこもりの問題は、個人の病理だけでは説明ができません。社会、家族を巻き込んだ、一つの病理システムとして理解する必要が、どうしてもあります。専門家は、この病理システムの解消に向けて努力すべきなのですが、この程度の理解すら、まだ一定のコンセンサスに達していないのが現状です。


 これはけっして、○○シンドロームであるとか、○○症候群であるとかといったような、一時の流行には終わりえない現象です。この問題に関わりはじめて十一年になりますが、この間少しも事例数に減少の兆しがみえません。爆発的にも増えないかわりに、少しずつ、着実に増えていき、なかなか減らない。流行のシンドロームより、おそろしいのはむしろこちらの現象ではないでしょうか。かりにその発生率が減少することがあったにしても、治療・相談を受けないままに長期化する事例の数が変わらなければ、全体の数は徐々に増加せざるをえない。その時、われわれ精神科医は、どのような対策を講ずべきか。私はみずからの経験したこと、考えたこと、行っていることのほとんどすべてを、この本の中でさらけ出そうと思います。それが一つの挑発となって、論議のきっかけを作ることができればと願っています。


「社会的ひきこもり」の定義


 これから社会的ひきこもりの問題について述べるにあたって、まずこの本の中で用いられる「社会的ひきこもり」という言葉を定義しておこうと思います。本書では「社会的ひきこもり」について、次のように定義します。


「六カ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」


「六カ月」以上というのは、DSM-Ⅳ(アメリカ精神医学会編:精神疾患の分類と診断の手引き 第四版)などで用いられる、精神症状の持続期間としての、一つの単位です。もちろん三カ月でも一年でもいいわけですが、そうしなかったのには、やはり二つほど理由があります。一つは、これより短期間にした場合、周囲の家族などの過剰対応を呼んでしまう可能性があるためです。比較的短期間のひきこもり状態が、休養のために必要とされる場合も、けっして少なくはありません。私はその場合、治療へせき立てたりするよりも、ゆっくり休ませてあげることが望ましいと思います。逆に六カ月より長い期間、例えば一年を目安にすると、今度は対応が遅れてしまいます。そのようなわけで私は、ひきこもり状態が六カ月間続いた時点で、周囲の人だけでも、何らかの治療的対応へ向けて動き出すことが望ましいと考えています。


 最後の項目、ほかの精神障害によらないこと、という条件については、とくに解説は不要でしょう。社会的ひきこもりと同じような症状を示す、ほかの精神疾患の可能性を否定してから、はじめて本格的な対応・治療を開始できるわけです。社会的ひきこもり状態を示す、いくつかの精神障害については、後の章で詳しく述べてあります。


症状と診断をめぐる問題


 ひとくちに「社会的ひきこもり」といっても、そのなかにはさまざまな状態のものが含まれています。のちにふれるように、精神科医の多くは、ひきこもり状態を診断するに際しては、これに伴う症状で診断することが望ましいと考えています。つまり対人恐怖症状が強い事例は「対人恐怖症」、強迫症状が強い事例については「強迫神経症」と診断する、ということです。私はこれらの立場も良識的なものとして否定はしませんが、全面的には同意できません。それはなぜでしょうか。


 例えば風邪をひいた人を診察する場合、咳、喉の痛み、頭痛、発熱などは「症状」です。その「状態」としては「熱が三八度あって、咳が止まらず、頭重感が抜けない」というように表現できます。こうして例えば「上気道炎」という「診断」が下るわけです。社会的ひきこもりを「症状で診断」するという場合、私にはどうしても、上気道炎という「診断」を避けて、「咳症候群」とか「頭痛シンドローム」などと「診断」するのと同じことになるのではないか、という疑問が残ります。


 社会的ひきこもりに伴うさまざまな症状は、しばしば二次的なものです。つまり、まず「ひきこもり状態」があって、この状態に続発する形で、さまざまな症状が起こってくるということです。やはりもっとも重要で、一次的な症状としては、「ひきこもり状態」を考えるべきではないでしょうか。その理由はいくつかあります。


 まず、もっとも持続的で安定した、ただ一つの症状が「社会的ひきこもり」であることが挙げられます。これは逆にいえば、ひきこもりに伴うさまざまな症状は、経過とともに消長することが多いのです。つまり、ひきこもりはじめた当初は自己臭症状(自分の体からいやな臭いが出ていると思い込む)が強く出ていても、それが経過とともに軽くなっていって、今度は被害妄想や強迫症状などにとってかわることもあります。このような場合、症状にもとづいて診断を下すのであれば、症状が変わるたびに診断名が変わることになってしまい、あまり実際的とはいえません。


 また、さまざまな症状の主な原因の一つとして、当のひきこもり状況が考えられるという点も重要です。例えば、ひきこもりに伴う対人恐怖症状は、ひきこもりが長引くにつれて悪化することが多いのです。この場合、対人恐怖症状は、ひきこもり症状から二次的に起こっているか、少なくともひきこもり状態によって悪化させられている可能性が高い。長く人に接触しない生活を続けていると、人とふれ合うことが次第に恐ろしくなってくるのは、自然なことです。そしてその結果、いっそう深くひきこもってしまうという悪循環が生じてきます。


 治療場面でも、以上のことを裏付けるような経験をよくします。たとえば入院治療などで、家ではあれほど苦しんでいた神経症の症状が、入院によって環境が変わったとたんに、すっかり消えてしまうことがあります。対人恐怖などのような、通常ならば入院したくらいでは容易に改善しないような症状ですら、あっさりなくなってしまうことがあるのです。


 そのようなわけで、社会的ひきこもりの事例を治療する時は、個別の症状もさることながら、ひきこもり状態に対する配慮の比重がもっとも大きくなりがちです。少なくとも、ひきこもった状態について本人がいだいている劣等感、それに対する配慮を抜きにして、治療をすすめることは難しいでしょう。臨床的な実用性から考えるなら、やはり「社会的ひきこもり」の状態を第一に考えて、診断・治療に取り組む必要があると私は考えています。

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