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誰も知らない死刑の舞台裏
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人文・科学
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第4章 死刑制度の危険な落とし穴

『誰も知らない死刑の舞台裏』
[著]近藤昭二 [発行]二見書房


読了目安時間:41分
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捏造された証拠ゆえに死刑判決を受けた男

一家四人惨殺放火事件の容疑で逮捕された青年

「“お迎え”がきて、連れて行かれる時はほとんどみんな黙っていくね。ずっと無言のまま、廊下にスリッパの音だけがきこえてね。ただ、たった一人だけ、ちがったのがいた。大きな声でね。“みなさーん、さようならァー”って言いながらいった人がいたね。その声は今でも耳の底に残ってるよ。ねー」


 こう語るのは「松山事件」の斎藤幸夫「元死刑囚」。ひょっとしたら自分もそう叫んでいたかもしれないというように、身を固くして話す。


 実際、再審が開始されて斎藤被告の無実が証明されなかったら、今頃そんな思い出話もできなかった。


 今ではもう六〇年以上も前の、一九五五(昭和三十)年十月十八日。仙台から北東へ約四〇キロ、宮城県志田郡松山町(当時)の祭りの夜に、事件は起きた。例年どおり白子明神の祭りが賑やかに終わったあと、夜中の三時三十分、農家のO氏宅のわら(ぶき)屋根から、月のない闇夜をこがして大きく火の手があがった。


 全焼したO家の焼け跡からみつかった一家四人、O氏夫婦と四女、長男の死体の頭部には、頭蓋骨骨折をともなった切り傷があり、近くで薪割りがみつかったため、さっそく地元の古川署に捜査本部が置かれ、殺人放火事件として捜査が始められた。


 強盗、怨恨、痴情のもつれなど、さまざまに捜査は進んだが、おおかたの見方はO氏の妻をめぐる痴情関係という線が強かった。


 のちに、東京放送のラジオ番組の取材に応じて当時の刑事が語っている。

「もの盗りだとすればですネ、部落きっての零細農家(O家のこと)にですネ、そこに好き好んで入るというのはおかしい。犯行の動機は何であろうかということについては、(O氏の)奥さんが多情、淫奔ということで、男関係があるということは、最初からニオイは出とったです」


 もっとも有力だった痴情怨恨説で、容疑者を一七名にまでしぼったが、決め手に欠け、捜査は難行、長期化して迷宮入りの様相を見せていた。


 そして事件から二カ月近い十二月の初めになって突然、ひとりの若者が逮捕された。当時二十四歳の斎藤幸夫容疑者、容疑は別件の傷害罪だった。


 痴情怨恨の線上にはいない彼がなぜ突然、逮捕されたのか。


 一週間前、捜査本部の幹部打ち合わせ会議で、県警捜査一課の佐藤課長が強硬にもの盗り説を主張して、その線から出ていた斎藤容疑者を東京から引っ張って取調べようということになったのである。


 飲み屋に一万円ほど借金があるというのが、その容疑だ。別件の傷害は、盆踊りの夜、友人と酒に酔ってやった()(さい)な喧嘩によるものだった。


 斎藤容疑者は逮捕当初から犯行を否認していた。


 逮捕当夜、彼にはアリバイがないとされていたが、長兄は反論する。

「あの晩、奥の八畳間にたしかに、幸夫兄妹三人が寝ているところを見ているんですよ」


 弟も、

「あの晩、目がさめて便所に行くのに、起きて布団の(すそ)をふんでいったら、幸夫が怒って“廊下を通って行け”と言ったんです。その時ちょうど火事を知らせる半鐘の音がジャンジャン鳴ってました。ですから、事件の時は幸夫はまちがいなくうちで寝てたんですよ」


 O家の現場から斎藤家までは、古川署員の調べによると、船越街道の切通しの上を通って約一・四キロ、早足で一三分の距離である。


 幸夫は懸命に否認したが、事件当夜のことは、寝ていたというアリバイしか主張のしようがなく、認めてはもらえない。


 冤罪事件の被告、弁護士のよくいうことだが、無実であることは証明がきわめて困難なのである。


 やっていることなら、現実的な事実ならば、それについての証拠は何かしら残りうる。


 しかし、無実、事実にないことは、ないのだから何の形跡・証拠も残らない。それを証明するのは容易なことではない。たいていはアリバイくらいしか材料はないのだ。


 そのアリバイが、家族の証言では信用できないというのなら、たいていの者が無実は立証できなくなる。


 やはり冤罪事件だった松川事件の被告のひとりが、こういったことがある。

「深夜に起きた事件のアリバイといったって、たいていの人間は、家族と寝ているのがふつうだ。その家族の証言が信じられないというのなら、みんなオマワリサンと一緒に寝なきゃならないってことだよ」


なぜ、やってもいない殺人・放火を自供してしまったのか?


 斎藤容疑者の否認は、わずか五日で崩れる。


 朝九時から深夜十二時までの暴力的な取調べが連日つづいたことで、それに抵抗しきれなくなったためだった。


 もうひとつの理由は、留置場で同房だったT・Kのささやきだった。


 T・Kは、斎藤容疑者のあとからおなじ房に入ってきた前科五犯の窃盗犯である。


 このとき、留置場のほかの部屋はいくつも空いていた。それなのに、T・Kは斎藤容疑者とおなじ房に入ってきたのだった。


 そのT・Kが、不安と疲れで眠れない斎藤容疑者の耳もとで、「俺のいうとおりにしたら早いとこ出られるよ」と、そっとささやいた。

「警察にきたら、やらないこともやったことにして、裁判のときに本当のことをいえばいいんだ。裁判のときは俺が証人になってやるから」


 これは、魅力的な言葉である。無実の証明のしようがなく、逃げ出しようがないと絶望的になっている苦境にさしてきた一筋の光明、脱出口に見えるのだ。

「裁判のときに本当のことをいえばいい」


 事件の専門家であり、公正な審判者である裁判官には、自分の嘘など簡単にお見通しのはずだ、ここでいったん嘘の自白をしたって裁判で真実は必ず明らかになる――こう考えて犯行を認める。斎藤容疑者も、その誘惑に負けた。


 犯行現場を知っている取調べ官は、つじつまの合うように自白をより厳密なものにしようとする。いったん嘘の自白を決意した容疑者は、一刻も早い解放をのぞんで、想像をたくましくして犯行を再現、取調べ官に迎合する。


 こうしてできあがった自白調書は、しかし、法廷にいった段階でもはや簡単に崩せるものではなくなっているのだ。


 取調べ官の要求で斎藤容疑者は、“犯行”を手記に書き、録音テープにまで吹きこんだ。

「殺そうと思いマサカリのような物があったので、それを持って入りました。××さんの頭を三回か四回殴りました」


 そして、現場検証で犯行の手順を説明までしたのだった。


 犯行を自供したという新聞の号外を見たときの気持ちを、幸夫の母は、こういっている。

「まだ警察を信じてるときだったからネ、なんだ野郎(幸夫)頭おかしくなったんじゃねえだかなァって、あいつ(幸夫)ばかりウラんでいたのサ」


 兄にしても、

「ほんとうにビックリしましたねえ。なんで火事のときにうちで寝ているものがやれるんだ? 頭おかしくなったんだと思ってねえ」


 しかし九日たって、斎藤容疑者は今度は全面否認の手記と母宛ての手紙を書いている。

「お母さん、××さん一家を殺し火をつけたのは、幸夫ではありません。しかし同じ留置所に入ってる人から、やらないこともやったことにして、裁判で本当のことを言うんだと聞かされ、私が殺しましたと言ってしまったのです」


 しかし、この手紙は差し出されず、母親のところに届くことはなかった。


 翌日、取調べ官から無実を証明しろとまた迫られて、否認を撤回する。その翌日には、検事の取調べで否認、以後は一貫して否認の態度を変えていない。


裁判では無罪を主張したものの最高裁でも死刑の判決

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