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しなくていいがまん
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ルポ・エッセイ
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Prologue

『しなくていいがまん』
[著]小林麻耶 [発行]サンマーク出版


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 好かれたい、ほめられたい、みんなに「いい子」と言われたい。


 役に立ちたい、喜ばれたい、「ありがとう、助かる」と言われたい。


 認められたい、成功したい、「すごいね」と言われたい。


 わかってほしい、受けいれてほしい、「あなたが必要」という言葉が欲しい。



 これは特別な、わがままなのでしょうか?


 こんな願いをもつなんて、わたしは、どこかおかしいのでしょうか?


 でも、こうした願いを一つも抱かない女性は、たぶん、いないと思います。



 たとえばきつい仕事でも、「たった一人、見てくれている人がいたら救われる」という声も多く聞きます。

「がんばってるよね。ありがとう」という言葉が、ボーナスよりずっとうれしいという人も、珍しくありません。


 たとえば睡眠時間を削って、自分の時間を潰して家族のお弁当をつくるのは大変だけれど、「すごくおいしかった!」の言葉と笑顔で、心がするするほどけてしまうお母さんも、多いのではないでしょうか。



 女性は人の気持ちにとても敏感。だから、相手のことを考える人ほど、「誰かのため」を中心にふるまうようになります。


 家族のため、恋人のため、友だちのため、仕事のため。


 役に立つように、好かれるように行動して、認められるように、受けいれられるようにこまやかに心を配るのです。


 かく言うわたしも、そのうちの一人でした。

「八方美人」と言われるくらい、そうだったのです。


 わたしにくっついてくる「ぶりっ子」というキャッチフレーズ(?)みたいに、これが戦略だったらよかったのに。


 合コンでサラダを取り分ける、昔ながらの女子作戦みたいなふるまいだったら、どんなによかっただろう、などと考えたりもします。


 あるいは、「思いやりのあるやさしい人」の範囲で心配りがおさまっていたら、どれほどラクだったことでしょう!



 でも、違いました。


 人の気持ちを意識してふるまうのは、わたしの「作戦」や「武器」ではなく、染みついてしまった「心の悪いクセ」だったのです。


 そのクセは、思いやりの域をとっくに通り越していました。


 こんなふうに書くとまた誤解を招きそうですが、「わたしって、天使みたいに奉仕の心をもってます」と言いたいわけではありません。



 わたしが人の気持ちばかり気にするのは、「そのままの自分」に自信がないからでした。


 なんとか役に立つことをして、無理をしてでもがんばらないといけない。なぜなら、そのままの自分には価値がないと思い込んでいたからです。


 いつもにこにこして、きれいにして、「うん、そういうのわかります」と同意と共感もセットにして(あい)(づち)をうたなければ、誰からも受けいれられないと思っていました。


 だけどこれは、本当にくたびれます。


 二四時間三六五日、自分の部屋のなかでもメイクをして、ヒールを履いて過ごしているようなもの。


 下着がきつくても、コンタクトがカラカラでも、足が悲鳴をあげていても、一秒たりとも「素の自分」になってはいけないのですから、本当につらいです。


 でも、わたしは自分の心を、ずっとそんなふうに扱っていました。


 大事なのはみんなにどう思われるかだから、自分自身がどう感じるかは、がまんして、犠牲にしていたということでしょう。


 そうやって、わたしは素の自分を殺していました。


 自分ではなく、誰かを世界の中心に据えて、「しなくていいがまん」ばかりしていたのです。



 だけど、このままじゃ、わたしは迷子になってしまう……。


 それに気がつくのに、三九年もかかってしまいました。



 わたしたちは社会のなかで生きている大人です。それゆえに当然ですが、「したほうがいいがまん」もあります。また、人を思いやる女性ならではの特性は、悪いことばかりではなく、たくさんのいい面があるのも事実です。


 それでも、まわりの目を意識して、いつも人に合わせて、誰かを喜ばせようとして自分の心を押しつぶすような「しなくていいがまん」は、一日も早くやめたほうがいいのではないでしょうか。

「しなくていいがまん」は単なる心の悪いクセであり、それどころか、自分を殺す毒にもなりかねないのですから。



 そのままの自分でいい。


 生きてそこにいるだけでいい。


 人の目を意識し、誰かを世界の中心に据えて生きるなんて、人生がもったいない。


 こう気がついたきっかけは仕事や恋愛などいろいろあり、詳しくはこれから書いていきます。そして妹の死も、わたしに大きな気づきをくれました。


 わたしと血を分けた、たった一人の妹。


 大切で、大好きで、いまだってかわいくてたまらない、麻央ちゃん。


 彼女は「したほうがいいがまん」と「しなくていいがまん」を知っていました。


 自分を大切にしながら、愛する家族やまわりの人にもあたたかい光を届ける方法を、ちゃんとわかっていたのです。


 身内をほめるのはおかしいのかもしれませんが、彼女は妹であると同時に、一人の女性として尊敬できる存在でした。


 だから彼女が教えてくれたことを胸に抱いて、生きていきたいと思っています。



 この本でわたしは、三九歳の一人の女性として、ありのままを書いていくつもりです。この本を通して、女性が陥りがちな「しなくていいがまん」をやめる方法を、みなさんにも知ってほしいと願っています。



 だって、あたりまえの今日が、ずっと続くという保証はどこにもないのだから。


 いつなんどき、平凡な日常が奪われてしまうか、わからない。


 それなら、誰にとってもかけがえのない一日を、「しなくていいがまん」をして過ごすなんて、あまりにも、もったいない! わたしは、そう考えています。


 あなたが、「しなくていいがまん」から、自由になれますように。



 二〇一八年秋

小林麻耶

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