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歴史探偵 昭和史をゆく
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歴史
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第六話 「点と線」の悲劇──日中戦争

『歴史探偵 昭和史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:17分
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1、「運命の一発」をめぐって



 昭和十二年七月、蘆溝橋事件の報が日本内地にとどいたとき、首相近衛文麿は、

まさか、日本陸軍の計画的行動ではなかろうな」


 と案じたという。海軍次官山本五十六中将も、

陸軍のやつらは、何をしでかすか、わかったものではない。油断がならんよ」


 と疑いをもらした。


 心ある人は誰もが、第一報をうけたとき、満洲事変のときの記憶を新たにしたのである。また陸軍の謀略がはじまったと思い、それが日本に何をもたらすかについて心から憂えた。


 はたして日本軍の策謀であったかどうか。七月七日夜の「第一発」が誰によって発砲されたかは、いまも解けない謎に包まれている。当然のことながら、東京裁判でも検察・弁護の両陣営から重要証人がたてられ、激論が闘わされた。当時の北京市長秦徳純氏は、攻撃は日本側から行なわれたと論難したし、当時のアメリカの北京駐在武官バレット大佐は、口供書で日本軍の責任を明言した。

中国軍に対する日本軍の態度は傲慢で、攻勢的であり、多くの場合、その行動は中国の主権に対する侮辱と、直接の冒瀆であったと思う。私の考えでは、七月初週の、宛平城付近で行なわれた日本軍の夜間演習は、挑発的なものであった」


 弁護側は、つぎつぎに元将軍をたてて、これに反駁する。多田駿中将、河辺正三大将、桜井徳太郎中将。とくに当時の「支那駐屯軍」参謀長橋本群中将は、四千メートルほども離れていた日中両軍の、ほぼ真ん中辺で、不思議な銃声が起ったもので、

これは、中国学生か、共産分子らしいとの風聞を耳にした。いずれにせよ、日中両軍の衝突を誘発せんとする第三者の陰謀があったように考えられる」


 との、爆弾的な見解を恐れずに述べたのである。


 探偵よろしくいろいろ探索してみたものの、いま公表されている歴史的資料だけでは、最初の発砲者は不明とするほかはない。不明ということは、それだけで陰謀のあることを想像させるが。事件のあと、九日の午前二時、一時結ばれた現地の停戦協定をぶっこわすために、日中双方の強硬派が爆竹などを用いて挑発行動をとったことは確か。結局は十日午後四時、またまた実包が射ちこまれて再衝突、戦火拡大して収拾つかずとなるわけであるが、「運命の一発」を、日本軍の計画的行動とするにも、共産系軍人または中国人学生説とするにも、いずれも確証はないのである。


 東京裁判で陸軍の裏切り者として指弾された元陸軍少将・田中隆吉の、戦後の手記『裁かれる日本』(新風社)に、面白いことが記されている。彼の同僚に茂川秀和という元少佐がおり、事件の翌日の七月八日、天津の芙蓉館の一室で、こう語ったというのである。

あの発砲をしたのは共産系の学生ですよ。ちょうどあの晩、蘆溝橋を隔てて、日本軍の一箇大隊と中国側の一団が各々夜間演習をしていたので、これを知った共産系の学生が双方に向かって発砲し、日華両軍の衝突をひき起させたのです」


 これを聞いた田中中佐(当時)は、この茂川少佐が北京の共産系の学生とつねづね親交をもっていることに、ふと思い当った。

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