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歴史探偵 昭和史をゆく
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第八話 転がる石──昭和十六年

『歴史探偵 昭和史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:17分
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1、山本五十六の大きな憂慮



 この人のことをなにかにつけて、わが先輩と親しそうによんでしばしば書いてきたが、もちろん会ったことはない。いままた記しておきたいのは、歴史上の人物としての、かつての連合艦隊司令長官山本五十六大将の憂いについてである。同じ新潟県立長岡中学校卒の後輩として、反対していた戦争の陣頭に立たねばならなかった悲劇以上に、この先輩の抱いていた日本人観が、いまになると、何と悲劇的であったかと思えてならない。


 昭和十五年九月、三国同盟締結から北部仏印進駐という戦争政策をとり、日本は坂道を転がりだした。昭和十六年、対米英強硬路線を突っ走る陸海軍中央にたいしての怒りをこめ、山本は海軍大臣及川古志郎に一書を送った。日付は一月七日。この書簡は「全滅を期して」ハワイ作戦強行の決意を、最初に公式表明したものとして知られている。そのなかで山本は、大本営が決定したもたもたした長期戦戦略は反対であるとして、こう書いている。

……敵ハ敢然トシテ一挙ニ帝国本土ノ急襲ヲ行ヒ、帝都其他ノ大都市ヲ焼尽スルノ策ニ出デザルヲ保シ難シ。若シ一旦此ノ如キ事態ニ立到ランカ、南方作戦ニ仮令成功ヲ収ムルトモ、我海軍ハ輿論ノ激攻ヲ浴ビ、延テハ国民ノ志気ノ低下ヲ如何トモスル能ハザルニ至ラムコト、火ヲ観ルヨリモ明ナリ(日露戦争(ウラ)(ジオ)艦隊ノ我太平洋岸半周ニ対スル我国民ノ狼狽ヲ回顧スレバ思半バニ過ギン)……」


 戦争を眼の前にして、第一線部隊の最高指揮官として山本がもっとも恐れていたのは、このように“輿論の激攻”であり“国民の志気の低下”であったのである。


 さらに日米交渉の不成功から東條英機内閣が成立、もはや戦争は避けられないと予想されるに至った十月二十四日付の、海相嶋田繁太郎宛ての手紙でも、山本は同じ恐れを述べている。

……我南方作戦中の皇国本土の防禦実力を顧慮すれば、真に寒心に不堪もの有之、幸に南方作戦比較的有利に発展しつつありとも、万一敵機東京大阪を急襲し、一朝にして此両都府を焼きつくせるが如き場合は勿論、さ程の損害なしとするも国論(衆愚の)は果して海軍に対して何というべきか、日露戦争を回想すれば想半ばに過ぐるものありと存じ候……」


 悲しむべきことに、これが海軍開明派のひとりとされる山本の、日本人観であったのである。日露戦争に少尉候補生として参加したかれは、ロシア海軍のウラジオ艦隊が巧みに通商破壊戦をおこない、ついに太平洋上から日本本土沖に接近したとき、ほとんど半狂乱状態となった日本国民を見ていたのである。このため、ウラジオ艦隊撃滅の任を負った第二艦隊司令長官上村彦之丞中将の東京の私邸は暴徒に襲われ、しょっちゅう投石される始末となった。第二艦隊旗艦の吾妻艦長藤井較一大佐の私宅もしばしば襲われた。「またも負けたか二艦隊」とさげすまれ、ついには「露探艦隊」とまでののしられた。露探とはロシアのスパイという意味である。


 山本はこれらの事件のことを終生忘れられなかったものと思われる。熱狂し熱情にかられ動揺しやすい国民性が、かれの骨身にしみていたのである。

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