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第九話 大いなる欠落──十二月八日の開戦

『歴史探偵 昭和史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
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1、「開戦の詔書」にない一行



 いうまでもなく日本帝国の戦争目的を全世界に明示したものは、昭和十六年十二月八日午前十一時に発布された「開戦の詔書」である。敗戦を中学三年生で迎えたわたくしは、毎月の大詔書奉戴日に奉読されるこの詔書に“気ヲツケ”の姿勢をとらされた。この詔書と教育勅語と、青少年学徒に賜わりたる勅語は、はげしい学校教練やビンタとともに、なにほどかの苦痛をともなった記憶として戦後しばらく脳裏に刻まれていた。しかし、いまはキレギレにしか想いだせない。はたしてこれを(ろう)(もう)の悲しみとすべきなのか、どうか……。


 少しく調べればわかることであるが、対米英開戦の名目骨子というものが構想されたのは、まだ和戦両様の構えでいた十一月十一日の、大本営政府連絡会議においてである。

一、大東亜の新秩序を建設して永遠の平和を確立し、進んで世界平和に寄与せんとするは、帝国不動の国是であること」


 にはじまって、二で支那事変の目的と完遂を謳い、三は米英のアジア制覇の政策が「実質上の戦争行為を敢てし、帝国の存在を危殆に陥め」ていることを示し、四で忍び難きを忍んで対米交渉をつづけてきたが、米の主張を容認することは、支那事変完遂の努力が水泡に帰し「帝国の存立と威信とに懸けて忍び得る所に非ざること」とし、五で米英の態度はまったく誠意なし、と認識し、それゆえに、

今や大東亜の前途危急を告げ帝国の存立危殆に瀕せんとす。事茲に至り帝国は盟邦と共に(かん)()を執りて一切の障礙を破砕するの已むなきに立至りたること」


 と結論づけている。


 そしてその後、ハル・ノートが手交されたのちの十一月二十九日、連絡会議はいよいよ詔書起草のことを決定する。この詔書案づくりに参画したのは、書記官長星野直樹を中心に、軍務局長佐藤賢了、外務次官西春彦、企画院総裁鈴木貞一、情報局次長奥村喜和男らといわれているが、いずれにせよ、基礎となったのが、この十一月十一日決定の「開戦名目骨子」であったことに間違いはない(なお用語・表現・体裁などについては、漢学者の川田瑞穂、吉田増蔵の二人が相談に与っていた。さらに最終チェックを徳富蘇峰がした)


 あるとき、必要あって以上のようなことを調べた上で、ホコリをはらって書庫から「開戦の詔書」をとりだして読み直してみて、わたくしはおかしなことに、ある意味では当然のことながら、気づいた。そこにはのちに大いに唱導されたような“聖戦”意識などは謳われていないのである。詔書は、「開戦名目骨子」とほぼ同じ順序で、開戦にいたるまでの経過を縷々説明したのち、

帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為(けつ)(ぜん)起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」


 と、対米英戦争を自存自衛のための防衛戦争と規定しているだけである。当時の貧弱な国力を背景にした日本帝国にとって、それが本音というものであった。だから「名目骨子」が主張しようとした「大東亜の新秩序を建設して」は、詔書においては「東亜ノ安定ヲ確保シ」と謙虚なものとされている。


 また詔書には「(けい)(てい)尚未タ(かき)ニ相(せめ)クヲ(あらた)メス」とあるが、前の文脈からすると「重慶の蔣介石政権が米英の支援をうけ、いまだ日本と戦うのをやめない」ととれる。“聖戦”思想でいうところの、アジア解放をめざし、八紘一宇で世界の親たらんとしているのであれば、その盟主日本と“相手にせぬ”蔣政権とを「兄弟」にたとえているのは、本来奇妙なのではあるまいか。


 要は、開戦詔書にいう対米英戦争の目的は自衛戦争につきたのである。実際に、当時の日本の指導者はほとんどすべて、太平洋戦争を自衛の戦争と観じ、またそう信じていた。十二月八日の時点ではそれ以外の考えはなかったとみたほうがよい。真珠湾奇襲やマレー半島奇襲上陸は、他国の領土への「侵略」ではなく、「自衛権の行使である」と、東京裁判で日本が終始一貫して論じぬいたのも、それが現実であり、そう信じきっていたからなのである。


 当時の外相東郷茂徳はその著『時代の一面』(改造社)でいう。

(日米交渉中において)米国の利益が侵略せらるる(おそれ)がある場合には、自国の領域以外の如何なる場所に於ても、手遅れにならざる時期に於て対抗することが米国の自衛であると述べ、……米国政府は頑として自説を固執した」

米国政府の解釈では、何が自衛行為であるかは、自国のみが決定し得ると云うのであったから、此際の日本の決心が自衛の範囲を逸脱して居ると論ずる訳にはいかない」


 これでみても、日本の戦時指導者が開戦にあたって最高に頭を悩ませたのは、これが自存自衛のための防衛戦争になるかどうか、についてであったことがわかる。そして「自衛権」ということにかんして、アメリカの主張にいかに強く影響されていたかが、東郷の記述で非常によくわかる。しかも東郷は当時にあっていちばん冷静に政略を考えた人でもあった。


 にもかかわらず、自衛権にかんするアメリカの主張や行動は是とされ、なぜに日本のそれは非とされねばならなかったのか。くわしく記す余地はないが、シロウト探偵として調べたことを一言でいえば、アメリカには国際法観というか、国際公法政策というか、世界輿論にそった政策が基礎にあった。

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