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歴史探偵 昭和史をゆく
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歴史
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第十話 溺れるものの手──戦勢非にして

『歴史探偵 昭和史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:36分
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1、風船爆弾と細菌戦


満洲第七三一部隊(石井部隊)や南京第一六四四部隊(多摩部隊)のことが、最近もしきりに喧伝されていますが、わたくしは、実は細菌戦の準備はまだ完成してはいなかった、とみているのですが、いかがですか」


 さまざまな取材をすませたあと、なにげなくそう問いただしたとき、直視する眼が不意に光をおびた。参謀本部の元参謀、陸軍中佐であったその人は、しばらく沈思していたが、やがて思いもかけないことを語りだしたのである。

昭和十九年六月のサイパン島攻防戦のときと、翌年二月の硫黄島のときと、二度にわたって細菌爆弾攻撃が参謀本部では検討・計画されたのです。それとご存じのように風船爆弾に細菌爆弾をくっつける計画もありました。しかし、いずれも実行されなかった。つまりこれでわかるように、細菌爆弾は完成していました。サイパン攻防戦のときには、満洲から釜山まですでに多量の爆弾が運ばれてきていた。命令一下、攻撃機発進の準備はできていたのです」


 サイパン戦のときの参謀総長は東條英機大将、硫黄島戦は梅津美治郎大将に代っているが、最高指揮官がだれであろうと、作戦課の参謀が確言する以上、細菌戦計画が参謀本部内で事あるごとに練られていたということは確かなのであろう。しかも風船爆弾の第一回放球は昭和十九年十一月三日、ちょうどサイパンと硫黄島の二つの激戦の間に位置する。

サイパン攻防戦に敗れれば、この戦争に大日本帝国の勝ち目がまったくなくなります。陸軍と海軍とを問わず、もう必死になった。ありとあらゆる戦力を投入する覚悟を固めざるをえない。細菌爆弾攻撃がひそかに計画されたのも当然です。勝つためなら何でもする。兵器となるものは何でも使う。毒(くら)わば皿までの心境でした。十死零生の特攻攻撃が正式決定されるのも、サイパン奪回をめぐっての大議論のときでしたものな」


 史料によれば、肉弾をもってする特攻兵器が考えつかれたのは、それより前の、昭和十九年春のことである。


 それも海軍のほうが大規模で、この年の四月、軍令部第二部長(戦備)の黒島亀人少将は、第一部長(作戦)の中沢(たすく)少将に“特殊兵器”のリストを提出している。「作戦上急速実現ヲ要望スル兵力」として、体当り航空機、豆潜水艦(震海)、装甲爆破艇(震洋)、人間魚雷(回天)などが列挙されている。


 陸軍も、東條総長が三月二十八日に特攻戦術を採用する決心を固め、このとき、いくつかの陸軍航空組織の首脳人事の更迭をおこなっている。東條の頭には、航空機による体当り攻撃が、おそらく陸上戦闘の最後を決定する“歩兵の突撃”と同様に描かれていたのであろう。その結果として、間もなく陸軍航空特別攻撃隊の編制作業が進められるようになった。


 しかし、陸も海も、ここまでは少くとも準備であった。そして史料は、これが正式の作戦となるキッカケとなったのが、昭和十九年六月二十五日に開催された元帥会議の席上であることを語っている。すなわち、この前日、大本営はサイパン島の奪回は不可能、もはや放棄はやむなしと決めた。天皇はこれを認めず、元帥会議を召集し、かれらの意見を聞いたのである。しかし、結論は結局のところ、大本営の方針(サイパン放棄)を認めざるをえない、というところに落着いた。問題はそのさきにあった。


 このあとで、元帥伏見宮はつぎのような意見をのべる。

現在の戦争において敵味方は、兵器その他でほぼ同じものを使っている。しかも電探などでは敵のほうが質量ともにまさっている。このままでは良い結果はえられないと考えられる。陸海軍ともなにか特殊な兵器を考え、これを用いて戦争をしなければならない」


 そして日清戦争のとき、海軍は清国の巨戦艦に対抗するため、日本の戦艦に四・八インチ速射砲および三二サンチ砲を無理矢理に搭載して、不利な戦況を救った、と例をあげ、

戦局がこのような困難となった以上、対米対策として、なんとかして特殊な兵器を考案し、迅速に使用せねばならない」


 伏見宮は、いわば肉弾攻撃を兵器として採用することを、公式に承認するかのような重大発言をしたのである。


 これをうけて東條参謀総長は、奇襲兵器として風船爆弾がすでに製造されていることを報告する。軍令部総長嶋田繁太郎大将も、海軍が新兵器を目下いくつか考案中であるとつけ加えて、元帥会議は終った。


 会議から戻った嶋田は、ただちに軍令部内に“奇襲兵器の推進掛”を設け、実行委員長を定めることを指示した。こうして戦術として特攻作戦が正式に発動されることとなった。


 陸軍においても同様に進んだ。七月七日夕刻、市ヶ谷台で秘密会議がひらかれ、特攻戦術を正式化する。陸軍航空審査部の反対を押しきり、「体当り攻撃しかやれない飛行機の研究をすべし」という作戦課の要求が承認された。そしてパイロットの“志願者”を募集することがきめられたのである。


 人間の生命を爆弾と化する、しかもそれを志願によるとした。いくら戦勢非なりとはいえ、統率者の無責任もきわまれりというほかはない。命令できない戦法をリーダーはとってはならないのである。それは字義どおりの、統率の()(どう)であった。


 いくら追いつめられた戦勢とはいえ、してはならぬことをする。この時点で、統帥部はすでに狂っていた、というほかはない。


 さらに七月十五日、陸軍は全幹部が参集し、今後の戦争指導方針を検討する。

第一案 (イ)本年国力をあげて決戦す。


    (ロ)後はどうでもよし。

第二案 (イ)本年国力戦力の徹底的重点を構成して決戦す。


    (ロ)全力を以て自活、自戦態勢を強化す。

第三案 本年後期の作戦遂行と爾後の自活、自戦態勢と二本立にて行う。


 議は紛糾したようであるが、結論すれば、どっちつかずの第三案が決定された。ではあるけれど、あとは野となれ山となれの、自暴自棄の作戦ともいうべき第一案が、むしろ怒号と涙をもってしきりに主張されたという。特攻戦術を採用するかぎり、もはや一億特攻の覚悟を固めざるをえない。最後の一兵まで、である。しかも国力の推移をみれば、昭和十九年内はなんとか最低需要をまかないきれようが、来年は航空機、船舶、鋼材、アルミニウムなどあらゆる面で、組織的戦力を失い、近代的戦争遂行の能力を日本は失ってしまう。ならば、いまである。そのもてる戦力のすべてを投入し、あらゆる手段をつくし、勝機を見出さねばならない。それが統帥部の覚悟となった。


 こうした史料にもとづく情況を背景においてみると、細菌戦術あるいは毒ガス戦術の採用に、この時点で、あえて踏み切ろうとした陸軍の決意も察せられなくもない。

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