『生き方下手(KKロングセラーズ)』
[著]西郷輝彦
[発行]PHP研究所
昔の話になると涙が止まらなくなる
ボクは辺見マリと結婚し、離婚した。多くの人が知っているとおりだが、ボクはこれまで自分の心情も含め、最初の結婚から離婚に至る経緯、あるいはその後に起きたことについてはまるで口にしてこなかった。
なぜなら、あまりにボクにとって生々しい記憶ばかりだったし、また二人の子が同じ業界に身を置いているせいもあった。思い出したくなくても、忘れることが不可能なほどの痛手を被り、ひょっとすると今もまだ自分が引きずっている出来事だってある。
離婚ということがこれほどまでに自分の力を必要とし、自分を苛立たせるものとは正直、思わなかった。けれども、それ以上に僕を苦しめたのは二人の子供、鑑孝と絵実理(以下、えみり)との関係だった。今、こうして書けることそのものが、時間の経過を伝えているのかもしれない。
起きたことのほとんどは三〇年以上前の話だ。途切れがちになった記憶の糸を必死になってたぐり寄せ、思い出してみた。このプロセスは、胸をかきむしられるような時間の連続でもあったけれど、消し去りようのない過去は、やはりボクにとっての決定的な記録ばかりだ。
こうすることが、ボク自身、次に向けて歩き始めるための必要な作業なのだ、と思う。だから真摯な気持ちになって、振り返ってみたい。
鑑孝とえみり
「おとうさんはさ、昔の話になると、すぐに泣いちゃうよね」一緒に酒を飲んでいると、えみりはそう言う。二人でほろ酔い加減になってくると、昔の話になってくる。涙は止まらなくなってきてしまう。年を追うごとに、年齢を重ねるほどに、涙と仲良くなってしまって、自分でも困ってしまう。
えみりと二人、居酒屋で泣いたこともあった。周囲に仲のいい俳優さんが何人かいたにもかかわらず、抱き合って泣いた。酔ってはいたが、嗚咽していたように記憶している。
鑑孝とはこんなことがあった。今でも鮮明に覚えている。ボクの車に鑑孝を乗せ、どこかに送って行くときだった。彼がまだ小学生のときだ。
「鑑孝、おとうさんとおかあさんは別れることになるかもしれないけど、おとうさんとどこかに行くか」
あまりにも残酷な質問だったろう。自分でもハッとして、額に汗が浮かんできた。
「……ぼく、おかあさんについていく……」
鑑孝はそう言った。ゴメンな、鑑孝。とうさん、変なこと、聞いたよな。本当にゴメンな。このときボクはいかに自分が弱い人間であったかを、思い知らされた。
離婚が成立してからも子供たちには会えない日々が続いた。彼らの家が見えるホテルの一室を予約して泊まり、その部屋の窓から必死になって家の窓を見つめていたこともあった。もしかしたら鑑孝が、えみりが家の窓際に来るかもしれない、と。今の時代ならストーカーまがいの行為だったかもしれないが、そうするよりほかに方法がなかった。子供たちに対する自分の思いや気持ちを抑えることは、どうしてもできなかった。
やるせない思いを「胸が張り裂ける」と表現することがある。歌の中でもよく出てくる言葉だ。ボクの歌の中にもあったように思う。ボク自身、本当にそれを実感したのは、子供たちに会えなかったこのときだったと思う。
鑑孝が小学五年生のときだったか、登校拒否になったことがあった。彼女から「私じゃどうしようもないから一度、会ってあげてください」と言われた。待ち合わせの場所に行くと、彼女の手に引かれた鑑孝がボクを待っていてくれた。それだけでも涙があふれてきた。
そのときもえみりには会えなかった。「まだダメよ」。近くの喫茶店でおばあちゃんと一緒にいるえみりの姿。涙をボロボロ流しながら眺めていた。「いつかは会える」そう信じるしかなかった。
それからまたしばらく経って、ボクの一人住まいのマンションに鑑孝が遊びに来るようになった。えみりが一緒についてくるようにもなった。ボクが舞台で公演しているときは二人で一緒に楽屋へ遊びに来るようにもなった。森繁久彌さんにはしょっちゅう、頭を撫でてもらった。懐かしい記憶がいつでもよみがえってくる。夫婦関係は破たんしてしまったけれど、子供たちとはやっと同じ気持ちを分かち合えたような感慨があった。
マスコミへの復讐と結婚
昭和四四年、ボクはデビューしてから六年目を迎えていた。歌手に限らず、どんな仕事をしている人でも三年から五年、そして十年と時間が過ぎていく中では気持ちや活動に、変化と変遷が存在する。