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信長と本能寺の変 謎99
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歴史
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Q1 織田氏のルーツは平氏ではなく越前の神職・忌部氏にある?

『信長と本能寺の変 謎99』
[著]かみゆ歴史編集部 [発行]イースト・プレス


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 寿(じゅ)(えい)4年(1185)の(だん)()(うら)の戦いで海中に沈んだ平清盛の孫・(すけ)(もり)。その愛妾の子の(ちか)(ざね)は越前織田荘(おたのしょう)(福井県越前町織田)の神職の養子となって織田姓を名乗ったとされる。そしてその16代目が織田信長の父・(のぶ)(ひで)であると複数の系図が示しているが、これが本当ならば織田氏は平氏の子孫だということになる。しかしこの説の根拠となる系図の多くは江戸時代に作成されたものであり、その信憑性は極めて低い。


 越前町教育委員会の調査によると、親真は越前の(つるぎ)神社の神職・(いん)(べの)(ちか)(すみ)の子とされており、その墓の一部も発見されている。この子孫が後に織田姓を名乗り、越前国守護の()()氏に仕えるようになったといわれる。(おう)(えい)7年(1400)、斯波氏は越前の他、尾張の守護も兼任することになり、それにともなって織田氏も尾張に移り住み、守護代の地位に就いたようだ。信長が劔神社を氏神として格別に保護していたことからも、織田家の祖先は平氏ではなく、越前の忌部氏である可能性が高いといえる。




 しかし信長の生存当時より、世間には織田氏は平氏の流れを汲むという認識があったようだ。信長は若い頃に「藤原信長」を名乗っていたが、ある頃より平氏の子孫を称するようになった。これは南北朝時代に流布した「源平交代説」によるものといわれている。武家政権は源氏と平氏が交代で担っていくというものだ。


 武家政権は平氏ではじまり(平清盛)、源氏(源頼朝)に移って、次いで平氏を称する北条氏、その次が源氏の足利氏だ(足利尊氏)。足利氏の室町幕府が弱体化していた頃、次に政権を担うのは平氏だといわんばかりに、信長は平氏の末裔を自称したのだと思われる。


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