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品川家のしあわせ(KKロングセラーズ)
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ルポ・エッセイ
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『品川家のしあわせ(KKロングセラーズ)』
[著]マダム路子 [発行]PHP研究所


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私は強欲な女である



 私の子供は四人。(はる)()(かず)(はる)()()、そして(ひろし)。この(ひろし)が現在、吉本興業のお笑い芸人「品川庄司」の品川祐である。


 私は二十三歳で結婚をしたが、十一年後、長女・晴美十歳、長男・一治七歳、次女・実花五歳、そして次男の祐がまだ二歳だった時に離婚をした。幼かった祐は、成長と共に問題児として心配させられ、泣かされもした。


 最近では「マダム路子」へではなく「品川くんのお母さん」として、テレビやラジオへの出演依頼もかなりいただくが、それはそれで嬉しい気持ちになるのも事実である。


 私は結婚と同時に品川姓から山野姓に変わり、生活も独身時代からの「美容家」「魅力学研究家」としての仕事に、妻役、母役が加わった。離婚と同時に、本籍は旧姓の品川路子に戻ったが、仕事上は、山野路子からマダム路子と名乗ることにした。それから、三十一年の月日が流れた。


 私の名前の変遷には、娘、妻、母、そして生身の女としての生き方が凝縮されている。親に対しては良き娘であり、妻として完璧であろうと努力し、賢く優しい母でありたいとも頑張ってきた。さらにそれだけではない。「女」としての看板もおろそうとはせずに生きてきた。どれも捨てたくなかったのだ。


 どうやら私は、何事も自分が欲しいものは手にしたい、「する」のだと欲張りな気質を持って誕生したようだ。「欲張り」程度の欲望ではない。それは「強欲」と呼ぶべきほどの、桁外れの願望を実現していく欲張りぶりだと自覚している。


 娘、妻、母、女を上手く生きようとすれば、つまずきもする。ほころびも出る。


 自分が痛みや傷を背負うだけではなく、周囲の人も傷つけてきた。


 七転び八起きなんてものではない。十回も二十回も転び、そしてフラリフラリと起き上がる。こんな私の生き方は、強引にして、ある意味「手前勝手」「自己中心」でもあったろう。


 その証拠に十一年間、私なりには頑張り、突っ張った妻役を、私から捨てた。だが、母役からはおりなかった。なぜなら、こうした考えは不遜かもしれないが、結婚相手は他人でも、子供たちは、私の血脈を受け継いでいるのだと、強く思ったからだった。


 子供たちを自分が引きとり、育てて行くことに決めた時、この先どのような苦難が待ち受けているものやらと思案に思案をかさねた。子育てが容易でないことは、それまでの十一年間で十分過ぎるくらい熟知していた。


 それでも、母として将来背負うであろう、今まで以上の子育ての困難を予測しながらも、出した結論は、なにがなんでも、子供は私が育てることだった。


ガムシャラにしか生きようがない



 妻役を捨て、四人の子供を育てることを選択したが、だからといって、「女の性」というものも、捨てられなかった。


 女として生きたいという願望を持っているのに、それを無視し、捨て、困難が予測される子育てだけに集中して生きたとする。


 そんな、「良い母、立派な母」と気張った生き方を自分に課したら、私の精神のバランスは崩れてしまい、そのために、母としても破綻をきたす可能性が大きかったと思う。


 妻であり、母親になっても、恋をする。夫への愛を失い、また愛されなくなり、夫以外の男性に心身ともに惹かれることは世間にもよくあることだ。私も、そのひとりだった。だから妻役からはおりたのだ。


 しかし、両親の「娘」、四人の子供たちの「母親」、そして「女」を生きるには、当たり前のことだが、大小さまざまな問題が発生する。その問題を乗り越えていくには、いきおい乱暴でガムシャラになることを余儀なくされることも多かった。


 ガムシャラに生きるとは、自分の信じた生き方を貫く強靭な意志を持つことだ。


 だが問題は、その自分の生き方が正しいか否かであるが、たとえ自分の生き方を正しいと信じ、その道を極めようと突き進みたくても、そう簡単に思うに任せられないのが人生である。


 特に、母親として正しいと信じ、良かれと思い込んだ道であっても、おいそれと簡単に歩いてくれないのが、四人の子供たちだった。


子供たちは地球の子



 子供たちの個性から生まれるエネルギーと、私のエネルギーが激しくぶつかり、周辺の人々を巻き込み、時に悲劇的、あるときはドタバタ喜劇的様相を呈し、「事実は小説よりも奇なり」といった数々のドラマも生まれた。


 四人の子供たちと対峙し、斬った張ったとやり合ううちに、私は当たり前のことに、ハッと気がついた。


 確かに子供たちには私と同じ血が流れている。が、すべて私の血だけというわけではない。私にしても、両親の二つの血脈が合成されてでき上がった性格なのだ。子供たちも同様である。父方の血脈、気質も引き継ぎ誕生したのだ。


 そう気がついてからは、自分の心のうちを可能な限り冷静に整理し、母性的な愛情である「私の子供だから、私の思うように育てる」といった生の感情を、ぶつけ過ぎず向き合う努力をするように心がけた。


 とかく母性的な愛情に傾き過ぎると、「私がこれだけ愛しているのだから、私の言う通りにすることこそが、あなたの幸せなのよ」という理屈に陥りがちだ。それでは子供を愛しているようで、実は子供の個性や人間性を閉じ込めてしまうことになる。


 母親の保護や干渉なくしては、生きる力を発揮できない「良い子=弱い子」にしてしまうことにもなりかねない。


 私は自我の強い性格なので、時とすると過干渉の母親になるタイプだ。それは決して子供たちにとって良いことではない。


 だから私は、「この四人の子供たちは、地球の子供だ」と発想の転換をした。「地球の子供」とは、私たちの生きている現代から、次の世代を引き継ぐ、未知なる能力や魅力を秘めた人材であり、自分だけの所有物ではないという意味だ。


 私に属してはいるが、次世代の地球全体を動かす担い手なのだから、私だけが満足する独断偏向的な育て方をしてはならない、と思う努力をした。


 実は、このような考え方を自分に対して押し付けでもしないと、現実の子育てはあまりに大変で、疲れ果てて自滅しかねなかったというのが本音でもある。


 私はひとり、立ち向かう四人のそのそれぞれの個性にぶつかり、とまどい、腹が立つことも多く「地球の子」とでも考えなければ、「やってられない」、ご苦労続きの子育て道中だった。


たった一度の人生ならば



 本音を言えば、娘、母、女の三役をガムシャラに百パーセントで生き抜くことはシンドイことである。上手く回して行こうと思い、気張れば気張るほど、無理も生まれる。しかし、自分の子を「地球の子」と思うことで、「子育てが楽しく、面白く」なった。


 子供が「地球の子」なら、親である私もまた地球の一員である。その地球の一員として生きられるのは「たった一度だけ」だ。「たった一度の人生」で親子として出会った人間関係は、あらゆる関係のうちでも一番濃密である。


 同じ血脈を受け継いだことだけでも、凄い縁の深い関係ではないだろうか。


 子育ての苦労、人生の困難を、なにかにつけ陰湿に受け止め、不快な感情を持って暮らすのも一生。


 反対に濃密な縁で結ばれた親子関係を楽しみ、苦労を吹き飛ばし、笑いの多い人生を生きるのも一生だ。どうせ同じ一生なら、楽しく生きたいと思う。


 私は、楽しいことはひとりよりふたり、いや三人と、できるだけ多くの人を笑いに誘い込みたいと考え実行してきた。強欲に、ガムシャラに突き進んで今日まできて、ふと振りかえれば、六十五歳。五人の孫のおばあちゃんになっていた。


 だが、私が柔和な祖母というポジションのみに鎮座するであろうか。そんなこと、真っ平ゴメンだ。孫もまた地球の子供である。


 彼らはまだ幼い。だがすでに一緒に歌い、踊り、学び、幼い胸を膨らまし、未来の夢や希望を聞かせてくれる。未知なる人財として出会い、未知の世界へと誘われ刺激を受ける。結構、話が通じるのが楽しく、幼いとはいえ鋭い人間観察の視点に触れ、人生の妙味を教えられる興味はつきない。

私の大泣き大笑いドラマ! はいまだ進行中!


 読者のみなさま! 元気、やる気、陽気、本気、勇気が枯れたと感じられたときに、この本を漢方薬がわりに読み、笑って頂ければ幸いです。

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