『品川家のしあわせ(KKロングセラーズ)』
[著]マダム路子
[発行]PHP研究所
笑い者にならないでよ
「学歴がないからって人にバカにされたり、笑われたりするような人間になってもらっては困るわよ」
それが、私の口癖だった。
「やっぱり離婚をした母親のお子さんね」
などと言われたくない。
「そんな風に言われたら、私も悔しいけれどあなたもイヤでしょう」
と念を押す。
「自分の目指すことがあるのなら“わが道を歩いて構わない”わよ」
と、私は常々子供たちに伝えていた。ただし、このことだけは忘れないでと厳命したのは、“世間の笑い者”にだけはならないで欲しいということだった。それから長い時間が流れた。
驚いたことに、なんと祐は、「世間からモノ笑いにされる人間にならないで」の家訓を破り、「世間のみなさま笑ってください」と強くお願いする、お笑い芸人の道を目指したのだ。
その祐から電話がかかってきた。
「俺さあ、山野愛子の孫だって言っていいの」
「なあに、急に」
「ある番組で、有名人と関係ある人ということで、俺が山野愛子の孫として紹介されるらしいんだ。それっていいかな」
私はしばらく考え、そして答えた。
「事実ですもの、いいんじゃないの」
祐は、私が離婚したときにはまだ二歳だった。他の三人とくらべると、山野家に関する断片的な記憶さえないと言ってもいいかもしれない。
だから、「美容界の教祖」と言われた山野愛子氏の孫、という意識はないままに成長したと思う。
祐がこうして、わざわざ私に電話をかけてきて確認したのは、母親である私の、名前に対する思い入れをある程度知っていたからだろう。
名前にこめられたプライド
私が離婚後、仕事上の名前を「マダム路子」に変えたのは、最初から私自身の意志だったわけではなく、離婚条件のひとつだった。
離婚すれば、当然本籍は品川姓に戻る。だが、山野路子名は、いわば私の芸名みたいなものだ。
その名前でテレビ番組にも数多く出演し、講演し、本を出版し、魅力学や美容の指導監修をした雑誌も山ほどある。いわば「山野路子」というきれいな箱に、十一年の歳月と実績を積み上げ、私自身が魂を入れ、売り物になるように育成してきたのだ。
私の「魅力学研究家」という肩書きは、カタカナ呼びで「チャーモロジスト」と書かれたり紹介されたりすることも多々あった。これは「魅力」(チャーム)と「理論」(ロジー)を日本風に合体させ、「魅力学」を「チャーモロジー(丸尾長顕氏提唱)」と呼んでいたことからつけられた呼称である。