『品川家のしあわせ(KKロングセラーズ)』
[著]マダム路子
[発行]PHP研究所
別れるときは女優のように
恋愛関係は元来互角であり対等だ。しかし、夫婦愛を保ち続けるには、双方に忍耐や辛抱、遠慮も必要である。それに、日本的な男女関係は現在でも、家庭や社会で男を立てる女が「できた女」であり、「良妻賢母」の鏡とされている。
私の母も肝心なことになると「それはお父さんに聞いてから」とか、「お父さんに感謝しなさい」とよく言ったものだ。
さらに賢い母親は、表面では夫を上手く立てながら、子供の意志を父親に伝達する知恵を絞り、子供が願望を叶える助けとなり、父と子の関係を上手く調整する。
私もそうした、男に準じる女にならなければという意識もある。離婚した夫にもそうしていた。
長年、私たち親子は作家の大きな傘に守られてきた。となれば、彼との恋愛関係も、日常生活では滅私的に仕える旧い時代の夫婦的な習慣に変わっていた。
その生活が十二年に及んだとき、この愛は終りにするべきではないか、という問いかけが、私の心を占めるようになった。私も、小なりといえどもモノを書き、講演をし、経営もする仕事師である。すべてを依存して生きているわけではない。
それでも自分のスケジュールより、作家の仕事を優先した。また、作家も両親や子供たちの間で、絶えず忙しく動きまわる私に対し、疲労を感じてもいただろう。華のない生活に倦んでもくるのは当然だった。もはや、恋を完結し結婚することは不可能だ。
こうした心境にいたるまでは、私も惑乱し、彼も「自分の傘からはみ出した」と感じれば、徹底的に怒るので、私は仕事以外、人との付き合いもしないという枷にはまっていた。
恋愛感情が強い時にはその束縛を強い愛だと感じていたが、作家には新たな恋の相手も現れたようだ。そうしたことに気がつき、詮索し取り乱すこともあった。
「あなたは特別の人だから」と言われても納得がいかない。
夫婦ではないが夫婦に近い関係、恋人とか愛人と言われ公然の秘密になっても常に多少の後ろ暗さを感じてしまう。自由な行動はできにくい。両親の双方を失ったときには、私は四十七歳になっていた。
「お母さんの愛情は十年単位。また新しい恋をしてください」
私の彼に対する愛は決して終わってはいなかった。むしろこのままでいたら、私の方が彼に嫌われる行動をするのではないかと思えた。今なら二人の関係を、良い人間関係として残せるギリギリのときだ、と私は決意した。
こうして私は、年月と共に形を変えていった女としての長年の愛にも、自分から別れを告げた。作家との別離を伝えたら子供たちはどう言うだろうか。
「お父さんを解放してあげて、私もシワクチャにならないうちに変身するのよ、私は魅力学研究家という女優だから」