『愛すべき音大生の生態』
[著]辛酸なめ子
[発行]PHP研究所
音大生の光と闇
音大生は才能にあふれていて、育ちも良くて、将来も有望……そんな陽のイメージばかり抱きがちでしたが、本当の大変さ、卒業してからの進路については考えが及ばないところがありました。そこで、音大出身で音楽業界で成功している方に実情を伺いながら、音大生の未来について考察してみたいと思います。
10代にして背水の陣
お話を伺ったMinnieP.さんは国立音大出身の女性で、音楽プロデューサーであり、作詞・作曲・編曲家、ボイストレーナーとして活躍。代官山の音楽スクール(ウイングスミュージック)の代表取締役でもあります。才能豊かで成功しているMinnie P.さんは、プリンセス感漂う佇まいから、きっと深窓の令嬢で幼少期から習い事をして、恵まれた環境で才能を育んでこられた方だと思っていました。しかし彼女の話は、想像と全く違う波瀾万丈なストーリーでした。
「音大生の光と闇ですか? 私はいろいろありますよ。生い立ちから話しますと、田舎に生まれて3歳くらいから、何か違う、ここは私の居場所じゃないぞって思っていました。音楽が好きだったので、ヤマハのジュニア専門コースに入り作曲や編曲の勉強をしていました。先生は素晴らしい先生だったのですが、練習が足りずに、怒られたら上を向いて涙をためて、流れないようにしたりしていました。楽器を濡らさないように。でも父親に音楽の道を反対され、やめさせられたんです。母親は応援してくれていたんですが……」
子どもの頃から譜面なしで音楽を耳コピーで弾けたという才能を持っていたMinnie P.さん。入った中学が、深い緑色のジャージに校内では裸足という環境でなじめず、高校からは悲願の音楽高校へ。特待生として奨学金をもらうことができ、学費がタダになったので父親も渋々了承。高校3年生になると、自立心旺盛なMinnie P.さんは自分で立川にマンションを借り、国立音大1校だけを受験。10代にして背水の陣ぶりがすごいです。
「受験の日、自転車で会場に向かっていたら鳥の糞が頭に落ちてきた。ウンがついたのでこれで受かると思いました。ただ、寒い中、頭を洗ってビショビショになりました」
試練と喜びはいつも隣り合わせなのでしょうか。無事、国立音大のピアノ科に合格したMinnie P.さんですが、直面したのが厳しすぎる教授でした。
「ついた先生が国立音大で一番厳しい先生で、譜面は飛んでくるし、大変でした。それでも私には特別に優しかったという話をあとから同級生に聞いたのですが、とにかく厳しい先生なので取り込まれたら大変なことになると思いました。性格的にムリだと思ったんです」
映画の『セッション』みたいなことが実際にあるようです。ヤマハのスクールの厳しさはまだ序章でした。その後も『ガラスの仮面』の音大バージョンのような実話が展開していきます。他の現役音大生の取材でも、厳しい先生の話が出てきました。服装に厳しく、靴下が短いだけで怒られた男子学生など。でも社会に出て困らない礼儀作法を仕込まれるのでありがたい、という意見もありました。
*1 日本でも屈指の楽器メーカー、ヤマハが提供する音楽の英才教育。所属するにはオーディションがある。
*2 入学前から習っていた先生がいなければ、専攻の担当教師は大学から割り当てられる。基本、先生は卒業まで変わらず、どんな先生につくかは運次第。
*3 2014年公開のアメリカ映画。音大の鬼教師と、しごかれる生徒の話。
*4 服装・身だしなみにはかなり厳しい先生がほとんど。茶髪を黒髪に染めさせられたり、女子はスッピンだと注意されることも。
音大で「金持ち」はチートか
Minnie P.さんには漫画のヒロインのように試練が次々と訪れます。
「海外コンクールの話もいただいたのですが、いつ親に仕送りを打ち切られるかわからない状況なので渡航なんて無理でした。生活費のために、生きるか死ぬかで働かないとならない状況でした」
音大生は練習で忙しくてバイトする暇がほとんどないという話を聞きます。また、少し前に音大出身の作曲家のツイートが話題になりました。「音大に行って一番実感したこと」は、「『親が金持ち』これが一番のチート」、つまりゲームでイージーモードという意味でしょうか。バイトもほとんどせず、親から十分な援助を受け、防音マンションを借りてもらって楽器も買ってもらって思う存分練習できる学生が、苦学生よりも上達が早い、という世知辛い現実が。音大生に取材した時に聞きましたが、お金持ちは家に好きなタイミングで弾ける練習スペースがあるので大学に来ない、という話も。
また別の人のケースですが、音大に子どもを進ませようか悩んでいる親に、先生が、「30歳まで子どもに仕送りをし続ける覚悟があれば」とアドバイスしたという話も聞きました。音大で才能を開花させるには、やはりお金が大事なのです。親の反対を押し切って進んだMinnie P.さんの場合は、何の後ろ盾もなく、自力でがんばるしかありませんでした。
「結婚式で演奏するバイトをやりたかったんですが、メロディーとコードだけを見て即興で伴奏を弾けないとならなくて、練習が必要なのでいきなりはできませんでした。なので最初はスーパーでパンを売るバイトでした」
パンまつり的なイベントでしょうか。短期でラクそうな印象ですが、しかし働いてみて、すぐにMinnie P.さんの体に異変が発生。
「それまで私は1日に平均して8時間から12時間、ピアノを弾いたり勉強したりする毎日でした。ずっと座っていたので、長時間立っていたことがなかったんです」