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新選組 組長・斎藤一
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ルポ・エッセイ
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十六章 「誠義」を貫き、会津に残る

『新選組 組長・斎藤一』
[著]菊地明 [発行]PHP研究所


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二つの過誤



 母成峠の敗戦は若松城下への新政府軍の進攻を許し、八月二十三日より会津藩は籠城戦を余儀なくされた。


 大鳥圭介の率いる旧幕軍は塩川村方面に集結しており、二十四日には諸隊長とも「今、若松の危急を棄てて救わざるは不義なり」(『南柯紀行』)との意見で一致したが、弾薬も食料も欠乏していた。大鳥はその補給のため米沢に向かったが、すでに降意を固めていた米沢藩は入国を許さず、わずかに食料の提供を受けたのみで戻らざるをえなかった。


 日々に戦況が悪化するなか、彼らは城北の地において、越後方面の津川口より進撃する新政府軍と交戦することとなる。『島田魁日記』が「越後本道、同間道、陣ケ峰等は戦い、かつ退いて若松に帰る」と伝えている戦いがそれで、旧幕軍は九月二日に陣ケ峰、四日に長窪で小戦を行い、追撃を受けて塩川方面へと退却した。


 その四日の出来事として記録されるのが、如来堂の戦いである。


九月四日、(たか)()村にて戦争相始まり、当隊より応援として一小隊操(繰)り出す。しかるところ、ほどなく如来堂の本営へ敵兵不意に押し寄せ、すぐさま接戦相始まり候ところ、何分味方二十余人の小勢故、ほか防禦のすべなく、ことごとく討死す。

(『中島登覚書』)



 この「一小隊」が一の率いる新選組隊士だったことはいうまでもない。


 なお、「如来堂」とは神仏を祭る建物である「お堂」そのものではなく、現在も「(こう)(ざし)町如来堂」の地名があるように、高久村(会津若松市)の字名である。


 その如来堂は、塩川村(喜多方市)のほぼ真南、直線距離で約九キロの地点にある。若松城からは北西に同じく約四キロの距離がある。


 一がわずかな隊士を率いて如来堂へ向かったのは、「ひとたび会津(へ)来たりたれば、今、落城せんとするを見て志を捨て去る、誠義にあらず」(『谷口四郎兵衛日記』)との思いからだったとされる。

『藤田家の歴史』も「ヒヂ((ママ))方歳((ママ))等、新選組の一部に会津のタイセイ(退勢)救うべからず、仙台を経て榎本武揚等の函館の軍に至らんとする声ありしが、新選組が今日まで会津のためスコブル〈ケンコ〉をこうむりしを、今日ふり捨てるに忍びずとして、多数とともに会津に止まる」と伝えている。「ケンコ(眷顧)」とは「特別に目をかけること」の意味で、会津藩の新選組に対するこれまでの恩顧に応えようとした行動とされる。

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