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風鳴り止まず〈真珠湾編〉
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歴史
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真珠湾に賭ける

『風鳴り止まず〈真珠湾編〉』
[著]源田実 [解説]戸高一成 [発行]PHP研究所


読了目安時間:54分
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 歴史は壮大なドラマである。そこには必ず主人公がいる。


 もしも歴史上、山本五十六という人物がいなかったら、また、たとえいたとしても、連合艦隊司令長官の重職を占めていなかったならば、一世を(しん)(がい)させた「真珠湾攻撃」という、あの奇想天外な作戦は敢行されなかったであろう。


 東京湾からハワイのオアフ島まで、洋上三千四百カイリ(六千三百キロ)の距離がある。太平洋における米軍最大の前進根拠地オアフ島へ、当時最新鋭の航空母艦六隻を中核に、戦艦、巡洋艦、駆逐艦など合わせて七十隻以上もの大艦隊をもって、絶後とはいわないまでも、空前の奇襲攻撃をかける。その用兵、尋常にあらず。並みの用兵家には、思いもよらぬことである。


 白鳥は一声に全生涯を賭けるという。山本長官は、この一挙に賭けた。


 いまのハワイは、戦略的価値もやや薄れて、日本人の観光客などで今年の正月も大いに賑わったようだが、戦前のハワイはそんな悠長なものではなかった。


 昭和十五年九月、私は駐英大使館付武官補佐官の任務を終え、戦乱の欧州をあとに帰朝の途にあった。大西洋をクリッパー(大型飛行艇)で渡り、米国本土とハワイを経由して帰ってきたのだが、当時、ハワイの警戒ぶりはすでに相当なものであった。私の身辺にも厳しい監視の目が光っていた。


 思えば、私とハワイ・真珠湾とのそもそものなれそめは、この時のホノルル寄港に始まったといってよい。


 私の乗った船が、ホノルルの桟橋に横付けになると、待ちかまえていたように友人が船室に駆け込んできた。

「Gメンが、君をさがしているよ」


 上陸すれば、どうせつけ回されると思って、船のラウンジで本を読んでいると、ほどなくそこへGメンがのこのことやってきた。

「源田少佐か?」

「左様」

「ロンドンはどうだった?」


 ドイツ空軍の爆撃下にあるロンドンの様子はどうか、という意味である。

「真っ暗だった」


 灯火管制下のロンドンが真っ暗なのは、当たり前だろう。

「上陸するのか?」

「まだ、決めていないよ」


 Gメンとの問答はそれだけだったが、要するに、滅多なことはしてくれるなよ。ちゃんとこうして見張っているのだから──ということだ。


 大西洋を横断した飛行艇がニューヨークに着水した時にも、十人ほどの新聞記者が他の客には目もくれないで、私を取り囲み、同じ質問を浴びせかけた。翌日の朝刊は一様に私の写真を載せ、次のような説明書きがしてあった。

──この男が、イギリスから日本に帰る途中、アメリカに立ち寄っている。


 ハワイ列島中のオアフ島は、米国にとっては東太平洋における最大の要塞島であった。ここに米太平洋艦隊が駐留することは、対日作戦上の立ち上がりの姿勢を、常にとっていることを意味する。たとえていえば、ちょうどライオンが獲物を襲う直前の、あの“跳躍準備”の姿勢に当たる。



 一方、昭和六年九月の満州事変勃発以来、年を()って悪化の傾向を強めていた日米関係は、十五年九月の日独伊「三国同盟」の締結によって最悪の状態に達し、日本としては明治以来の大陸政策を「ハル・ノート」のいうままに一八〇度転換するか、それとも米英を相手に(けん)(こん)(いつ)(てき)の決戦に踏み切って、死中に活を求めるか──二者択一の立場に追い込まれていた。


 世間には、ハワイ・真珠湾攻撃をさして、あまりにも投機的な作戦である、と批判するものが多い。特に海軍の用兵家にそれが多かった。


 しかし、よく考えてみれば、日本が米英を相手に開戦することの方が、はるかに無謀であった。なんとなれば、米英を相手にする場合、その作戦の主舞台は「海洋」である。従って、海上作戦において勝利を収めなければ、この戦争に勝つ見込みはない。


 わが国の海軍力は、今からちょうど六十年前、大正十一年二月に締結されたワシントン条約(海軍軍備制限条約)によって、主力艦(戦艦、巡洋戦艦)と航空母艦において、対英米六割(五・五・三)の比率に抑えられていた。


 この条約は、やがて廃棄された。しかし、彼我の海軍力の差は、概ねそのままの姿であった。海兵五十二期の私たちが、海軍少尉に任官した大正末期から、およそ海軍に籍を置く者の頭の中から片時として離れなかった最大の課題──それは「いかにして“六割海軍”をもって“十割海軍”を撃ち破ることができるか」ということだった。つまり「N2法則」(数の多い方が勝つ)を超えることにあったわけだ。


 そのために、夜戦の演練、優速の活用、一般術力の練磨……等々、用兵と技術の両面にわたって、文字通り骨身を削るような猛訓練が、日夜をわかたず繰り広げられていた。しかし、いくら骨身を削るような努力をしてみても、何百回とやった演習や図上の研究に関する限り、「これならば……」という自信の持てる戦法の案出や、またこれを実用に供し得るような態勢は、残念ながら整っていなかった。


 山本連合艦隊司令長官は、時の及川海軍大臣にあてた書簡(十六年一月七日付)の中でこの点を指摘し、その対策を真剣に考えていたのに対して、一般の用兵家の間では、

──いざ戦争ということになれば、精神力も加わるし、戦運もある


 といった漠然とした考え方が支配していた。


 山本連合艦隊司令長官が昭和十六年一月七日付で、時の及川海軍大臣あてに出された書簡の一節に、次のようなくだりがある。

──しばしば図上演習などの示す結果を観察すれば、「正々堂々たる邀撃作戦によって」帝国海軍はいまだ一回の大勝を得たことがなく、このまま推移すれば、恐らくジリ貧に陥るのではないかと懸念される情勢で、演習中止となるのを恒例とした……(防衛庁戦史室編「ハワイ海戦」による)


 私が参加したほとんどすべての図上演習での結果でも、まさに山本長官がこの書簡で指摘している通りであった。


 長官は「このままではいけない。なんとか(きゆう)(とう)を打破する方策を講じなければ……」と真剣に考えていた。これに対して一般の用兵家の間では「実際の戦争は、机上の演習とは違う。精神力も加わるし、戦運もある」と漠然と考えていた。そこに用兵家としての根本的な違いがある。


 日本海軍の基本的な戦略戦術は「戦艦主兵」の固定思想に基づく「邀撃作戦」にあった。

──太平洋を西進してくる(であろう)米国艦隊を途中に(よう)し、潜水部隊、水雷部隊、航空部隊などをもって漸減作戦を実施し、彼我の勢力がほぼ伯仲したところで、全力決戦を行う


 というもので、バルチック艦隊を日本海で撃滅した輝かしい伝統に根ざしていた。


 最後の勝負は、戦艦同士の「タマの射ち合い」で決まる。この「戦艦主兵」の思想は、米海軍も当時は同じことであった。


 さすれば、精神力や術力、用兵能力などにおいて「十」に対する不足の「四」を補って余りあるものがなければならない。だが、そんな確証はどこにもない。ないどころか、これらの要素において、わが方が劣っている場合さえ考えられないわけではなかった。


 射った砲弾が必ず命中すると仮定しても、N2法則は冷厳で、五隻と三隻で射ち合い、双方とも一分間に一発の命中弾を得て十発命中すれば相手を撃沈し得るものとすれば、約五分後の残存勢力は一方がなお四隻なのに対し、他方はゼロ隻になるのである。


 対米英戦において、勝算を立て得る見込みを理論的に求めるならば、まず、基本的には旧来と異なる兵術思想に基づき、兵力構成と戦法とを組み立てなければならない。当時にあっては、わずかに「航空主兵論」のみが、これに対応することのできる唯一のものであった。


 昭和十一年ごろから、海軍航空関係者の一部によって、航空主兵の兵術構想が提案されていたのだが、大艦巨砲の戦艦主兵思想に凝り固まっていた海軍首脳の頭を切り換えさせることはできなかった。


 山本長官のハワイ攻撃の着想は、その頭脳も軍備もそのままにして、ただ用兵の上だけで「航空主兵論」を実行に移したのである。


 日本だけでなく、世界中の海軍が「戦艦主兵思想」に凝り固まっている中で、それを超えて用兵の上だけで「ハワイ攻撃」を着想した山本司令長官は、人も知るごとく最も強硬な戦争反対論者であった。が、同時に作戦部隊の指揮官としては、この人ほど攻撃精神の旺盛な人もいなかった。


 その面目をうかがわせる書簡は多い。特に、日米交渉がヤマ場にさしかかったころ、時の嶋田海軍大臣にあてた書簡(十六年十月二十四日付)は、作戦指導の最高指揮官として、山本長官が当時、どのような心境にあったか。その一端を知るよすがとも思われるので、次にその内容を紹介しておこう。


──さて、この度は容易ならざる政変(注=東條内閣誕生)の跡を引き受けられ、ご苦辛の程深察にたえず、専心隊務に従事し得る小生らこそ、もったいない次第と感謝つかまつり候


 しかるところ、昨年来しばしば図上演習ならびに兵棋演習等を演練せるに、要するに南方作戦がいかに順当に行きても、そのほぼ完了せる時機には、甲巡以下小艦艇には相当の損害を見、殊に航空機に至りては毎々三分の二を消尽し(あと三分の一も完全なるものは殆んど残らざる実況を呈すべし)、いわゆる海軍兵力が伸び切る有様と相成るおそれ多分にあり、しかも航空兵力の補充能力甚だしく貧弱なる現状においては、続いて来るべき海上本作戦に即応すること至難なりと認めざるを得ざるをもって、種々考慮研究の上、結局、開戦(へき)(とう)、有力なる航空兵力をもって、敵本営に斬り込み、彼をして物心ともに当分起ち難きまでの痛撃を加うるのほか無し、と考うるに立ち至りたる次第に御座候



 敵将キンメル(注=米太平洋艦隊司令長官)の性格および最近の米海軍の思想を観察するに、彼必ずしも漸進攻法のみによるものとは思われず、しかして我が南方作戦中の皇国本土の防衛実力を顧念すれば、真に寒心にたえざるものこれあり、幸いに南方作戦比較的有利に発展しつつありとも、万一、敵機が東京、大阪を急襲し、一朝にしてこの両都府を焼尽せるが如き場合はもちろん、さほどの損害なしとするも、国論は果たして海軍に対して、何というべきか。

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