「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス」
とされて、米国および英国に対して戦が宣せられた。宣戦布告の大詔である。
情報局は八日午前十一時四十五分、その旨を発表した。
その時、日本人の多くがどのような気持ちでこの「宣戦の大詔」を受けとめたか。
当時の毎日新聞が十二月九日付に掲載した「東亜解放戦開始」と題する社説の前段部分から、その一斑をうかがい知ることができる。かな使いを現代風に直して、紹介してみよう。
──一億総進軍の日は来た。待ちに待った日は来た。米英両国に対する宣戦の詔書を謹読するもの、誰か血沸き肉躍るの感を抱かないものがあろうか。
──既に事は決した。われら全国民は、東條首相の謹話にある通り「必勝の信念」をもって、最後の勝利を得るまで戦い抜こう。路はいかに険難であろうとも、また戦いはいかに長引こうとも、宣戦詔書の一字一句ことごとく魂をこめて拝読せねばならぬ。否、一句一行の間を埋むる聖旨を、国史によって鍛われた日本精神をもって、拝読せねばならぬ。
──万邦の平和と共存を念とし給う大御心は炳乎として、天日のごとく明白である。しかしながら、東亜の禍乱を長引かせ、東亜を奴隷化し、東洋制覇の飽くなき非望を遂げんとする彼米英の汚濁せる鏡面には映じない。
──政府が危局を既倒に挽回せんとした幾多の努力は、事毎に無謀にも蹂躙せられた。七重の膝を八重に折り、われらをして歯痒い思いをさせてまで、平和を太平洋に維持せんとした努力は、顧みられることなくして、泥土に委せられた。性格的に短気であるといわれているわが国民は、よくここまで辛抱したものだと思う。
──「隠忍久シキニ渉リタルモ」と仰せられた大御心を奉察して、わが国民の心臓は煮えたぎる思いがするのではないか。