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ルポ 外国人ぎらい EU・ポピュリズムの現場から見えた日本の未来
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ルポ・エッセイ
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第3章 ドイツ──揺れる難民大国

『ルポ 外国人ぎらい EU・ポピュリズムの現場から見えた日本の未来』
[著]宮下洋一 [発行]PHP研究所


読了目安時間:25分
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 さまざまな民族、宗教、文化が交わる多文化主義国家の現状を知るため、オランダの三都市で取材を重ねた。そこから見えてきたのは、国が「マイノリティ政策」を掲げ、移民によって構成される言語や文化を尊重し、彼らを支援してきたことだった。しかし、世界に賞賛されたオランダのモデルにも限界があった。


 各民族の生活を保障し、自由な信仰を認めてきたオランダ人の寛容精神が、二〇〇〇年以降、悲劇を生み出す結果に終わった。それを多文化主義の失敗と捉える国民も多く、極右政党が次第に支持を伸ばしていくことになった。


 この歴史的変貌を前に、前章で取り上げたオランダとは、また別の政策を導入している、EU最多人口のドイツを取材してみることにした。オランダ同様、戦後、難民や移民に寛容であり続けたドイツでの外国人居住者数は、約一一〇〇万人。八人に一人が外国人で、その割合も欧州最多である。


 ドイツの移民政策はオランダとは大きく異なった。ドイツは、彼ら「よそ者」に対し、自由な生き方を保障しなかった。そこまでの余裕がなかったと言ったほうがいい。一九九〇年十月、東と西が再統一され、西側は()(たん)した旧共産圏の国民への優遇政策に取り組むことで精一杯だった。さらには東側の失業問題も深刻化すると、「よそ者」扱いを受けたのは、当時から定住していたトルコ移民だった。


 二〇一九年十一月九日で、ベルリンの壁が崩壊してから三〇年を迎える。以来、ドイツは、EU最大の経済大国へと発展し、かつナチス時代の反省から、欧州最大の移民ホスト大国にもなった。しかし、二〇一五年に一三〇万人規模の難民がドイツに流入すると、この国は再び「外国人ぎらい」が表層化し、ナチスを思い起こさせる排外主義政党が台頭し始めた。


 私は、四年前に難民が押し寄せたミュンヘン、外国人排斥運動が広がるドレスデン、そして六〇年代からトルコ移民が共存するベルリンの三都市を訪ねることにした。複雑な要素が混在するドイツは、今後、EUとどのような関係を保っていくのだろうか。

四年前の難民たち


 二〇一五年秋、私は、ハンガリー南部のルスケで、(すた)れた線路の上に立ち、欧州連合の入り口を目指してやってくる難民の群れを待ち構えていた。欧州史に刻まれる歴史的転換期だと感じ、すぐさまバルセロナからブダペストに飛んだのである。


 シリア、アフガニスタン、イラクなどから、赤ん坊を抱きかかえて黙々と歩き続ける家族の集団を目の当たりにした。ハンガリーのオルバン・ビクトル首相は、すぐに国境に鉄柵を張り巡らせ、難民の流入を防いだ。これは世界中で報じられ、難民を封鎖するハンガリーは欧州各国から強烈に批判された。


 しかし、私は、その批判の意味に戸惑った。現場で大量の難民が一気に押し寄せ、身元も分からない人間(出身国を偽る難民もいた)を一時的であれ、国内に滞在させることに反対することが、非人間的なのか、と。


 絶え間なく線路を歩きながらやってくる何十万人もの人々を目にすれば、無条件に彼らを受け入れることに躊躇するのは当然だろう。欧州各国のテレビやネット上では、非人道的な行動を匂わせる映像や写真を流し、視聴者や読者の同情を集めている。


 鉄柵を張り、催涙ガスを使って入国を拒否するハンガリーの行動は、懸命な緊急事態対策に思えた。ボランティアも募金もせず、ただ「(ひど)い」とか「可哀想」と嘆くことほど簡単なことはないだろう。


 いずれにしても、当時、ほぼすべての難民は、ハンガリーに留まらなかった。この国にいても、難民()()を受けられないことはもちろん、出稼ぎとして滞在するには、経済力がないことを知っていた。彼らは、憧れの大国ドイツに向け、ぎゅうぎゅう詰めの列車に乗り込んだ。


 ハンガリーの取材を経て、一週間後、私は、難民で(あふ)れかえるドイツ南部バイエルン州のミュンヘンに行った。毎週末ごとに一万五〇〇〇人が降り立った中央駅は、大混乱に陥っていた。どこかしこを見渡しても、黒ずんだ顔に汚れた服を(まと)った難民で溢れていた。彼らは、戦争のない平和な国で、いつか家族全員でごく普通の生活が送れることを夢見ていた。


 あれから約四年の歳月が流れ、私は、再びミュンヘンに戻ってきた。彼らは一体、どこに行ったのか。中央駅を再訪してみたが、難民の数は圧倒的に少なくなっていた。しかし、悲しいことに、ドイツ在住でない私でも、駅構内を目配りするだけで、難民とそうでない人々を瞬時に()ぎわけることができてしまう。

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