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天皇は暗殺されたのか 150年後に明かされる明治維新の真相と南朝の闇
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ルポ・エッセイ
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第四章 後醍醐帝の呪縛

『天皇は暗殺されたのか 150年後に明かされる明治維新の真相と南朝の闇』
[著]大野芳 [発行]二見書房


読了目安時間:36分
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寺のない村と流出古美術


 三つの逸話からはじめよう。これらは一見、無関係のようだが、明治維新を語る場合、避けて通れないカタストロフィであり、三つの根が同じである。


 平成十四年六月の夕刻、わたしは、歯学博士・河合圭子女史の招待で名古屋市内の寿司屋にいた。しばらくして、歴史学者・佐藤政憲夫妻がやってきた。河合女史の友人である。寿司を食べながら雑談といった趣向だが、佐藤にはわたしの用件が伝わっていた。

「まえから調べたいと思っていましたが、こんな村があるんです」


 佐藤は、パソコンのデータベースから採取したコピーをテーブルにすべらせた。彼が示した二十数枚のなかの一枚に、〈全国唯一寺のない村の物語〉とあった。


 寺のない村? わたしにとって初耳だった。その寺のない村は、岐阜県加茂郡東白川村である。その東白川村が作成したデータベースを引用してみよう。

〈明治3年、村に「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れました。仏教をやめて神道に帰依することを強制的に奨めたものです。村にあった2つのお寺も各家の仏壇も、あちこちの野仏も石碑も仏教に関するすべてのものが取り払われ、壊され、運び去られ、神道への改宗が強要されました。(中略)特に(とう)(のう)(岐阜県東部)地方を領した(なえ)()藩は徹底的に断行し、東白川村では後世に仏教が復活する芽さえ摘み取られたためか、この時以来、全国でも珍しい寺のない村、仏教を知らない神道の村となって今日に至っております〉


 このあと廃仏毀釈の物語が書かれている。旧苗木藩は、岐阜県中津川市(旧尾張)と恵那市(旧天領)にまたがる一帯をいう。こんな山間の地に、いったい何があったのか。


 つぎの逸話は、岡倉天心に関する、わたしの取材メモである。

〈明治十四年八月、二台の荷馬車を従えた三台の馬車が東京を出発した。先頭の馬車にのっているのは、大森貝塚を発見した東京大学教授ウィリアム・モース、同アーネスト・フェノロサ、そして大富豪ウィリアム・ビゲロウら三人のアメリカ人である。彼らは東海道を西下し、静岡、名古屋、琵琶湖をへて京都にはいり、山陽道を広島まで二カ月の計画で旅立った。彼らは、仏像から曼荼羅、絵画にいたるあらゆるものを根こそぎ、相手の言い値で買いあさった。それらを梱包して、アメリカのボストンに送るのである。彼らは、このような旅を大小合わせて数回する〉


 三つ目。


 明治三十七年三月、岡倉天心は、ボストン美術館に招かれた。ビゲロウたちが蒐集した美術品の鑑定を頼まれたのだ。どうせガラクタだろうとおもった天心は、期待もなく倉庫へはいった。つぎは、梱包された品々を見たときのシーンである。

〈天心は、コレクションをひとつずつ開けてみて驚いた。なんとそこには、ほかの美術館から買い取りにきたというモースの陶器のコレクション五千点、フェノロサが売却したウェルド・コレクションの七百点あまり、それにビゲロウが寄贈した二万六千点と、想像もしなかったような質、量ともにすぐれた膨大な美術品が蒐集されていた。なかには、超国宝級の『平治物語絵巻』や『(えん)(こう)屛風』、木彫では『弥勒菩薩』といった天心が見知った逸品までが混じっている〉(拙著『白狐』)


 古社寺保存委員をしていた天心がボストンで見たのは、国宝級の山である。とくに仏像や仏画、仏具の数は半端ではなかった。信仰という日本人の心までもが売りはらわれていた。もちろんヨーロッパに流失したものもある。僧侶も人間であれば、今日、明日の米のために、大切な本尊を手放すこともあろう。だが、だれあろうこれを推進したのは、明治政府であった。その政府のもとで天心は、文化財保存のために全国を駆け巡っていた。


 こうした事態が起きたのは、明治維新が「革命」だったからである。革命は、過去のすべてを脱ぎ捨て、みずからの正当性のためには歴史さえも抹殺する。


 これが()(じよう)(かん)(たつし)(政府布告)による神仏判然の令、または神仏分離令に起因していることは、いうまでもない。

廃仏毀釈の嵐


 形もおぼろげな新政府は、慶応四年(一八六八)正月十七日、祭政一致の方針のもとに(じん)()科を、ついで同年三月十三日、神祇事務局、神祇官を復活させて復古神道を唱える国学者や神道家を登用した。そして同月十七日に神社の最高位にある「社僧」を(げん)(ぞく)(僧籍を離れること)させた。それまでの神社や寺は、神仏混淆であった。太政官布告「神仏判然の令」が出たのは、そのあとである。


 布告は、三度にわたっている。最初の布告は、慶応四年三月二十七日、〈今般諸国大小神社ニオイテ神仏混淆ノ儀ハ御廃止ニ相成ニ付キ〉と、神社の仏像や仏具の撤去を命じた。これを「廃仏毀釈」とうけとめた神社では、徹底的に仏像・僧像を壊し、法具・経文を焼き棄て梵鐘を売り払った。これが行き過ぎたがために太政官は、同年四月十日、〈慎重ヲ期スヘシ〉と通達を出した。僧や信徒の暴動を(おそ)れての処置である。


 三度目の布告は、同年(九月八日に明治と改元)十月十八日、〈王政復古、(こう)()維新之折柄、神仏混淆之儀御廃止被仰出候(おおせいだされてそうろう)〉とある。


 王政復古に改まったから神仏の混交は廃止されたのだ。南朝の功臣・北畠親房の『(じん)(のう)(しよう)(とう)()』にある「(おお)日本(やまと)神国(かみのくに)なり」の具現化であった。


 同書は、(かみ)()から筆を起こして後醍醐、後村上天皇までの事跡を記した歴史書だが、目的は神につながる初代神武天皇から、だれが正統の天皇かという「皇統の正閏」を論じ、偽の天皇が国を治めたために「治安の乱れ」が生じた、と原因を明らかにして、正統なのは北畠家が奉戴する南朝であると主張することにある。


 八世紀初頭に設置され、平安時代からは有名無実のまま放置された神祇官は、神主や()()といった神職を統率し、祭祀にあたっては太政官を指揮したりもした。国家の最高機関太政官とならぶ格式を持たされたが、家格・階級はさほど高くなく、行政面では太政官の下に位置している。この実力なき権威者たちは、維新に際して大活躍するのである。


 しかも太政官は、第一回の分離令をだしたあと、つぎのように布告している。

〈去冬、皇政維新(中略)、天下ノ権力、総テコレヲ太政官ニ帰ス、則チ政令()()ニ出ルノ(かん)無カラシム、太政官ノ権力ヲ分ツテ、立法行政司法ノ三権トス、則チ偏重ノ患無カラシムナリ〉

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