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天皇は暗殺されたのか 150年後に明かされる明治維新の真相と南朝の闇
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ルポ・エッセイ
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第六章 孝明天皇の崩御

『天皇は暗殺されたのか 150年後に明かされる明治維新の真相と南朝の闇』
[著]大野芳 [発行]二見書房


読了目安時間:33分
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西郷写真の真贋


 不思議な写真がある。オランダ系アメリカ人宣教師ガイドウ・フルベッキ父子を囲む四十四人の塾生を写した写真だ。このなかに西郷隆盛がいるという。


 定説では、西郷は肖像の類を一切残さなかった。ために「西郷写真」には、常にナゾがつきまとう。この写真の存在は、史家のあいだでは有名だった。写真史家・小沢武志編著による筑摩書房刊の『幕末・写真の時代』にも収録されている。


 小沢武志は、そのキャプションに、〈明治2年、東京開成所に招かれ、東京へ移った。この写真は、長崎を去るにあたり、英学塾の門下生たちとの上野彦馬の写場における記念撮影である〉と、書いている。


 フルベッキは、安政六年(一九五九)十一月にアメリカから長崎に来航。長崎奉行の洋学所の教授に招かれたあと、幕府が長崎で経営する(せい)()(かん)(のちの広運館)と肥前佐賀藩の()(えん)(かん)で教鞭を執った。英・仏・独・蘭そして日本語を自由にあやつり、国際政治学に通暁した彼は、数多くの有能な門弟を育成している。


 明治二年三月、彼は、弟子の大隈重信、(そえ)(じま)(たね)(おみ)の推薦で上京。明治政府の顧問に迎えられ、大学南校(現在の東京大学)の教頭、元老院顧問などを歴任して、現在の明治学院大学の教授になっている。


 明治二年は、ちょうどフルベッキが上京する直前、佐賀藩が長崎に建てた致遠館で教鞭を執っていた時期である。写真は、上野彦馬の長崎の「写場(スタジオ)」で撮られたという。


 ところが、この集合写真の後列中央に、マントを羽織った立ち姿の頰骨の張った(いか)つい感じの武士が隆盛だという。上野の「西郷さん」とは、似ても似つかぬ風貌である。

〈西郷隆盛の写真は、各種の人物写真が西郷写真として発見され、そのたびごとに否定されている。現在までに真の西郷写真は1点も存在していない。この写真もいわゆる“にせ西郷写真”として、話題になった複合写真である〉(『幕末・写真の時代』)

「複合写真」とは、集合写真のことだ。小沢は、「この写場が明治二年から使われている」のを理由に「明治二年説」を採る。


 ひとまずこれを、「にせ西郷写真」としておこう。ところが平成十六年十一月二十八日、『朝日新聞』の広告欄にこの写真が掲載され、またも史家の話題となった。


 九州有田の陶器会社がこの写真を焼き付けて陶板額を製作し、これを東京書芸館から発売したのである。


 そして驚いたことに、全員の氏名が判明し、例のマントの男が「西郷隆盛39」と書いてある。さらにこの写真は、〈フルベッキ博士の玄孫(やしやご)である中村保志孝氏に伝来したもの〉であり、〈慶応元年(正しくは元治二年。四月七日に改元)二月、上野彦馬によって撮影されたと伝えられています〉と、その解説書にある。

「ときどき時代が経つとこの写真が登場しますが、上野先生(彦馬)の末裔も、一切の発言を断っておられる。われわれも“またか”という感じで言及しないんです」


 小沢武志は、至極当然のようにいう。


 陶板額の解説書『フルベッキ博士と幕末維新の志士達』(山口貴生編集)には、以下の人物が解説付で紹介されている。真偽はともかく、重要な部分だから四十六名全員の氏名と年齢を書き留めておく。



 薩摩藩……西郷隆盛39、大久保利通36、西郷従道23、寺島陶蔵32

黒田清隆26、鮫島誠蔵21、吉井友実38、森有礼18

小松帯刀31、五代友厚31、村田新八30、別府晋介19

中村宗見25


 長州藩……桂小五郎33、高杉晋作27、伊藤博文25、大村益次郎42

井上聞太31、品川弥二郎23、広沢真臣33


 土佐藩……坂本龍馬31、中岡慎太郎28、後藤象二郎28、岡本健三郎24

中島信行20


 佐賀藩……大隈重信27、副島種臣38、江藤新平32、大木喬任34

中野健明22、石橋重朝21、江副廉蔵18、香月経五郎17


 熊本藩……横井小楠57、横井左平太21、横井大平16


 福井藩……日下部太郎21


 紀州藩……陸奥宗光22


 その他……勝海舟43、岩倉具視41、岩倉具綱24、岩倉具定15

岩倉具経13、大室寅之祐13

ガイドウ・フリドリン・フルベッキ博士36

ウィリアム・フルベッキ(5)



 このなかに経歴不明の人物がいる。(おお)(むろ)(とら)()(すけ)である。生年は〈一八五二(嘉永五年~不明)〉とあって没年がなく、〈出身地 諸説あり。経歴不明 諸説あり〉となっている。


 編者・山口貴生は、写真と資料を提供した中村保志孝の解説を載せている。

〈資料によると西郷隆盛は各藩の勤皇党の連合を計画し、長崎に結集をかけるため大久保利通・吉井友実等をアドウヴァンスパーティ(さきがけ)党の意か)として遊説を計り結集場所を決めるため慶応元年一月二十七日大久保等は長崎に上陸した。……西郷隆盛達は我日本の統一をどのようにするか、王政復古後の日本をどうしていくのか、国際情勢に詳しいフルベッキ博士を交え議論しあったとある〉


 その記念として慶応元年二月、上野彦馬の撮影となった、というのである。

「写真といいますが、古写真の場合は、人物不明なことがあって真実を写していないことがあるんです」


 小沢は、即断を避けるべきという。


 これと同じ写真は、馬場章編『上野彦馬 歴史写真集成』にもみることができる。産業能率大学所蔵のものである。そのキャプションにはこうある。



〈写場の様子から明治元年(一八六八)頃の撮影と思われる(中略)。台紙にはフランス語で「Le fils du Taïcoun entouré de Yakounines.(Japon.)(役人に囲まれた大君=将軍の子息)との書き込みがあるが誤り〉

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